バレンタイン主刀本丸2022~3Pオチなんてサイテー!~ 二月半ば、そこそこの質量と想いが詰まった紙袋をいくつか両手に持って門の前に立つと、ああ、もう今年もそんな季節だなあ、と審神者は思う。そして、本丸の外で貰ってきたあれこれの運搬を、護衛の数振りは決して手伝ってくれない。初期刀などはあからさまにそっぽを向いているので、可愛いやら、呆れるやらだった。
「俺、清光が唇尖らせてるの、可愛くて好きだな」
「……ばか」
そんな他愛もないやり取りをして、さて、と門をくぐる前に、ゲートがけたたましく反応して手荷物の半分ほどが廃棄処分となる。微量、それこそ素人のおまじない程度のものでも、呪術の気配があるもの、普通に毒物であるもの、血液反応があるもの、飲み込んだ瞬間爆発するもの、そういう類はここで弾かれる。
「あーあ」
審神者は残念そうに溜息を零し、残った半分を持ち直してゲートをくぐった。審神者に就任し、ほとんどの時間は現世から離れた本丸で生活しているものの、演練やら買い出しやらで外出すれば毎年バレンタイン商法に巻き込まれる。備前区域に本丸を構える審神者は、人付き合いに関しては内でも外でも深く広くをやりすぎているきらいがあり、本丸の刀達はほとんどが審神者とただならぬ仲であった。その上、審神者御用達である食堂の娘との別れ話でひと悶着あって食堂を出禁になった事件もあり、そのひと悶着では無傷で済んだものの、兼業している別の職場でも痴情の縺れで刺されたこともある。その全てを笑い話で済ませている男なので、好かれてはいるが、嫌うものは徹底的に嫌い、恨んでいる、というのが常だった。
玄関口に着く前に、石切丸、祢々切丸、太郎太刀、次郎太刀の四振りに囲まれる。ゲートで反応するものはまだ可愛い方で、もう少し厄介なものはこの四振りによって精査される。
「これは……だめだね。良くない気がものすっ……ごく溢れてる」
「こちらも穢れが」
「あ、これ良いお酒入ってるやつじゃない!?」
「次郎太刀、真面目に」
「大真面目だよ~ ねえねえ主、これ大丈夫だったら次郎さんにもお裾分けしてよ」
「いいよ~ 一緒にたべよ」
「……毎年こうか?」
怪訝な顔で尋ねた祢々切丸はつい先日この本丸で鍛刀されたばかりの大太刀である。審神者が外から持ち帰った、所謂バレンタインチョコの山から、『中に入れていいもの』『いけないもの』を選別するのに何となく神刀がその役割を担っている関係で一緒に連れて来られたが、初めてのイベントに戸惑っているようだった。
「毎年っていうか、ここ数年だよね」
「主がきちんと断らないからだよ。義理ちょこというやつも、本命というやつも」
「いやあ……だって申し訳ないじゃん?」
へらへらと笑う審神者に、石切丸、太郎太刀は小さく溜息を零す。零している間にも慣れた手つきで可愛らしいラッピングやシンプルな包装紙のものやらを右へ左へと仕分けている。手間暇をかけて、結局最後に残ったのは大きな箱一つと、小さい箱一つ、それから袋が半透明なアソートタイプのチョコレート詰め合わせだった。次郎太刀が目をつけてたウイスキーボンボンは、既製品と見せかけて不純物が混ざっているのが分かり、廃棄に振り分けられた。
「結局今年もこれだけか~」
「大きい箱は?」
「これはうちの地域担当職員からの義理チョコだね。俺宛てじゃなくて、本丸宛てだから多分人数分ある」
「詰め合わせは?」
「それは主が買ったんだよね」
「そ。人数増えたし、たくさん食うやつもいそうだから、足りなかったら補充しようと思って」
「……その小さい箱は?」
「ふふ、女の子に貰った」
「食堂のさ、前に主と付き合ってた人いたじゃん。あの人の孫が今年で十歳くらいなわけ。偶然街中で会ってさ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「そんな目で見るなよ! 俺だって小さい女の子に手出したりしないって! これはたまたまダブりで持ってた景品か何かのお菓子をくれただけ」
「……まあ、不浄の気は感じられないから、大丈夫だとは思うけどね」
「ほどほどにしなよ~?」
と、一通り呆れられた審神者は今度こそ紙袋一つにまとまった贈答品を持ち、本丸の玄関に辿り着いた。とはいえ、それらの包装を解くのは審神者自身ではない。
「光忠、あと頼む」
「はいはい」
午後三時の少し前だった。部屋に戻る前、ちょうど通りかかる台所に顔を出すと、紙袋をそのまま燭台切光忠に託す。彼を始め、料理を得意とする面々が腕を振るい、この時期にはガトーショコラやチョコレートクッキーなどがメニューに多く登場する。最早最後の一つになった贈答品の中身は毎年変わらず、備前地域担当の政府職員が万事屋で買ったボンボンショコラだったので、この日のお八つの皿に添えられるのだった。
***
「毎年こうなるのに、どうして貰ってくるのかなあ」
「いいじゃん。バレンタインチョコくれる人の顔が好きなんだよ、俺」
「顔?」
「そう」
審神者用に取り分けた皿には、今日のお八つとしてガトーショコラと、贈答品である市販のチョコレートが載っている。今日の近侍でもある光忠が部屋に運び、「台所落ち着いたなら休憩していけば?」と言われて何となく始まった会話だった。
「本命と見せかけた義理、義理と見せかけた本命、マジの義理、義理と見せかけて恨み入り、色々あるじゃん?」
「最後のはなかなかないと思うけど」
「まあ、そういうの含めてだよ。自分に向けられている複雑な表情を見るのが楽しいんだよね」
「趣味が良いとは言えないなあ」
「そうかな~」
審神者は心外である、という顔でガトーショコラをつまんだが、次の瞬間には「おいしい」と破顔する。光忠はそれだけで幸せな気持ちになった。分担しているとは言え、自分が関わって作ったものを喜んでもらえるというのは、やはり嬉しいものだ。刀剣男士から審神者へのチョコレート贈呈は、受け渡しだけで一日かかるほど人数が増えてしまったのでもうずいぶん前からなんとなく廃止の流れになったのは残念だったが、審神者により良いものを食べて貰いたい、と凝りだすとキリがないので、ちょうど良かったのだと自分に言い聞かせる。しかし、
「だからさ、さっきの話の続きなんだけど」
あっという間に皿を空にした審神者の次の言葉には、咄嗟に誤魔化すことができなかった。
「光忠が、俺へのチョコレートを渡そうか渡すまいか、ずうっと悩んでいるのも、可愛いなあと思って、楽しんでるよ。趣味が良くない、じゃなくて、愛だと思って欲しいんだけどなあ」
「あ、」
真っ直ぐな言葉に頬が熱くなり、その上隠していたはずの事実がバレていることに動揺して、思わずエプロンのポケットに目線がいくと、審神者はますます嬉しそうに顔をほころばせた。
「ここまでもってきたんなら早くくれればいいのに」
「! ちょっと」
止める間もなく、審神者の手が遠慮なく伸びてくる。ポケットに簡単に収まってしまって、出さなければきっとそのまま自室に持ち帰るだけだったそれは呆気なく取り上げられてしまった。申し訳程度に巻かれていたリボンが解かれ、シンプルな柄の包み紙から、ボンボンショコラが二つ、顔を出す。
「はは、懐かしいなあ」
にこにこしている審神者とは反対に、光忠は真っ赤になった顔を覆う。
「昔、光忠がくれたよな。手作りのボンボンショコラ。あれ思い出す」
「……さすがに昔よりは上達していると思うけど」
「そうだね。すごいなあこれ、お店で売ってるやつみたい」
「昔もそういってたよ、君」
「そうだっけ」
本丸内でバレンタインが規制されるよりも前、刀剣男士達から審神者へチョコレートを贈るようになる、更に前のことだった。
***
今でこそ審神者は備前地域の中でもベテランと言われるほど長い年月審神者業を続けており、それなりの戦績を収めてはいるが、就任したばかりの数年は慣れないことも多く、少ない資源と戦力でやりくりをしていたこともあり、季節イベントを気にかけている余裕はほとんどなかった。そんな中でふと思い出したのは、誰が見ているわけでもないのにつけっぱなしだったテレビに映ったワイドショーが目に入ったからだ。審神者は遅い朝食を摂りながら、『あ、昨日だったんだ』と呟いたので、その時もやはり近侍であった光忠はつられてそちらを見る。番組の中では、昨日終わったばかりのバレンタインがいかに盛り上がっていたか、チョコレート売り場や街中の様子などを何度も流して強調していた。
『いいなあ』
『? バレンタインが?』
『うん』
昨晩も遅くまで起きていたらしい審神者はそれまで言葉少なだったが、もそもそと食べ進めながら話す。
『バレンタイン商法だのなんだの言うけど、やっぱ年に一度、好意がある人に、この時期しか買えないものを渡すって、なんかいいよね。特別でさ。甘いもの特別好きってわけじゃないけど、年々売り場が豪華になっていくのも壮観だし』
『へえ。今日、時間あるんだったら行ってみたら? まだ売ってるかも』
『いやあ、こういうのは当日が終わったら綺麗に片付けちゃうからね。ハロウィンとかクリスマスと同じで』
『……そうなんだ』
『現世行くような時間も暫くはなさそうだし。ごちそうさま』
『あ、うん。片付けておくよ』
『ごめん、助かるよ』
ただそれだけの、短い会話だった。けれど、ぼんやりとではあってもテレビ画面に見入っていた審神者に、ひどく疲れていた審神者に、何かしてあげられないかな、と思ったのだった。洋菓子を作った経験はほとんどなかったが、刀剣男士に使用を許可されている電子端末で調べれば、簡単なものであれば台所にある材料で作れることを知ったので、そこから行動に移すのは早かった。運よく近侍以外に予定がなかったこともあり、夜までにはそれらしいものを用意出来た。しかし。
『……何やってるんだろう、僕』
間食用に買い置きしてあった板チョコを溶かし、台所の備蓄に響かない程度に材料を集めて作ったボンボンショコラは、初めて作ったにしてはそれなりに見栄えよく、審神者に渡しても恥ずかしくない出来にはなった。ラッピングまではさすがに用意できず、小皿に敷紙を載せただけにはなってしまったが。けれど、そこまで用意して、夜食くらいにはなるだろうとお茶を添え、審神者の部屋の前まで来て、我に返ってしまったのだった。
何かしてあげたい、と作ったものの、バレンタインは過ぎてしまっている。今更すぎる。それに、『年に一度、好意がある人に』という審神者の言葉が思い浮かんだ。過ぎているとは言え、わざわざ審神者のためだけに作ったチョコレートは、夜食にどうぞと渡すつもりとは言え、気持ちが重すぎやしないだろうか。何でもないふりを装えるだろうか。実際に、気持ちをこめて作ってしまったものだから余計に気恥ずかしくなってしまった。それでも部屋の前で立ち尽くしたままでいると、決断する前に襖が開いてしまった。出てきた審神者と危うくぶつかりそうになる。
『わ、』
『っうわ、びっくりした。……まだ起きてたんだ』
審神者は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに光忠の手元に目線を落とした。
『もしかして夜食? 俺の?』
『いや、あ、えっと、そうだけど』
今更否定するわけにもいかず、ええい、なるようになれ! という気持ちで観念して頷く。審神者はぱっと顔を輝かせると、改めて盆に載せられたそれに手を伸ばした。
『さすが光忠、ちょうど何か食べようかと……、』
言葉が途切れる。一口サイズで、ナッツが乗った一つが摘まみ上げられていた。審神者の目線が、ボンボンショコラと、光忠の間を行き来する。
『これ、テレビで見たやつじゃん』
『うん、まあ』
『……あれ? もしかして作ったの? 今日?』
『そう……』
『……俺が、いいなって、言ったから?』
違うよ、偶然だよ、と言うには、説得力がないくらい自分の顔が赤くなっている自覚があった。僅かに首を動かすようにして頷く。沈黙が訪れた。審神者はまじまじと手の中のボンボンショコラを見つめている。それからゆっくりと視線を上げて、光忠を見た。
『ありがとう』
そう言って、微笑む審神者はあまりにも嬉しそうな顔だったので、心臓が跳ねる。何でもない振りはもう無理だと思ったのは、その時からだった。
***
「懐かしいな。あの時は、まさか既に君が何人かと深い仲だったなんて気付かなかったよ」
「あはは」
快活に笑う審神者を今更責める気はなかった。あれから色々あって何度か体を重ねる仲になったものの、それが自分で五振り目だと知らされた時はさすがに動揺したが、同じ立場の仲間が二桁を超えたころから慣れてしまった。
「それにしても、僕が用意してるってどうして分かったんだい?」
初めて作った時よりは見た目も味もうまくできているはず、と自負しているショコラが一つ、審神者の口の中に消えていく。おいしい、と顔を綻ばせてから、審神者は笑みを深くした。
「まあそこに関しては、ネタばらしするとだな」
言うと静かに立ち上がり、廊下に続く襖を開ける。ちょうど声をかけようとしたらしい人物が、驚いたように目を見開いた。その肩を抱いて部屋に招き入れると、審神者は「こういうこと」と笑った。
「情報提供者、ってとこかな。な、大俱利伽羅?」
「……何の話だ」
書類を手にしているのを見るに、報告にきたのだろう。憮然とした表情の大俱利伽羅を見て、なるほどと思うと同時に申し訳なくなる。大俱利伽羅と光忠は長く同室だった。顕現時期が近く、元の主が同じということもあり審神者が配慮したのだった。どれくらい長くかというと、初めて審神者にバレンタインのチョコレートを作り、渡すかどうか悩んでいた姿、それから何年かこの時期にチョコレートを作っていた姿も、そしてここ数年はそういった受け渡しが廃止になっても何となく作ってしまい、部屋に持ち帰った姿も全て見られていたくらいには長い。不要物となったチョコレートを部屋に持ち帰った時には捨てるのも忍びなく、食べるのを手伝ってもらっていたくらいだ。慣れ合わないと言いつつも彼が何も言わず受け入れてくれていたのでつい甘えてたが、今年はそういうわけにはいかなかったらしい。
「毎年渡さないチョコレートを作ってるのを、いい加減どうにかしろって言うから」
「……俺は、別に」
途端にばつのわるい表情を浮かべた大俱利伽羅に、審神者と光忠は顔を見合わせてこっそり微笑みあった。一応は審神者個人にバレンタインの贈り物をしないということになってはいるが、光忠が毎年そんな風に渡せない贈り物を部屋に持ち帰っているのが続いて、見過ごすこともできなくなったのが彼らしかった。
「でも、やっぱりこれはルール違反だよね。抜け駆けみたいでかっこわるいし……残りは部屋に持って帰るよ」
「え~?」
はい、返して、と手を出した光忠に、審神者は不満げに唇をへの字に曲げる。
「ルールつったってそんな厳密な感じじゃないだろ? このくらい良いと思うけどなあ……あ、そうだ」
肩を抱かれたまま律義に口を挟まずにいた大俱利伽羅は、自分に矛先が向くとは思わなかったらしい。そのまま抱き寄せられると、抵抗する間もなく深く口づけられた。
「えっ」
「!! っん、な」
光忠は思わず硬直してしまったし、大俱利伽羅の手の中で書類がぐしゃりと音を立てたが、審神者は構わずに大俱利伽羅の頭を固定して舌を差し入れる。くちゅ、と濡れた音が二人の合間から漏れた。審神者の胸を押して突き放そうとする大俱利伽羅の手が次第に力をなくす。
「ん、」
一瞬にも数分にも思えたが、審神者は唇を離すと、光忠を見て悪戯っぽく微笑んだ。
「三人で食べたことにすればいいじゃん」
「な、あんた、なにいって」
審神者の腕の中で大俱利伽羅がわなわなと震えている。羞恥か怒りか、多分両方かな、と光忠は頭を抱えたくなった。大俱利伽羅もまた審神者と『そういう』仲であることは知っていたが、お互いなんとなく言及せずにいたのに。
「そもそも、バレンタインを廃止にしたところでそれ以外で理由つけて俺に何かしらくれる子はいるし」
皺がついた書類をいつの間にか大俱利伽羅から取り上げて、机に放った審神者は半分程空いていた襖を静かに閉じる。
「でも、光忠が気にするなら、さ」
襖を全部締め切ってしまうと、外はまだ明るくとも途端に部屋の中は薄暗くなった。大俱利伽羅の金色の瞳だけがぎらぎらと輝いている。すり、と審神者の手がその頬を撫でる。いいな、と思った。
「もらったチョコ、おいしいなあ大俱利伽羅?」
ちろりと覗いた舌先には、うっすらチョコレート色が残っている。
「みつただ」
助けを求めるような大俱利伽羅の声と、揶揄うような審神者の声が重なった。
「一緒に食べるだろ?」
残ったもう一つのチョコレートは、審神者の手の中で溶けかけている。誘われるまま、光忠はその手に唇を寄せたのだった。