【君、想フ】
「…………ここ、か?」
辿り着いた店の前で足を止めると、僕の隣で司くんが虚を突かれたような声を漏らした。確かに──学校帰りにちょっと行きたい所があるんだ、と──目的地の店名までは言わずに彼を誘ったけれど、そこまで驚かれるのは予想外だ。
僕達の前には一軒のカフェがあった。真新しい外装は茶と白を基調としていて決して派手ではなく、男性だけで入るのにも抵抗を覚えない雰囲気の店構えになっている。もちろん中に入ってもその雰囲気は変わることがなく、居心地の良い店として印象深い店なのだった。
僕は英字が踊る看板を指差して、彼を振り返った。
「前にショーの打ち合わせをした時に来たことがあるんだけど、覚えていないかい?」
「へ? あ、いやもちろん覚えているぞ! ただ……ここにはオレもまた来たかったからな。驚いただけだ」
カバンを持ち直して大きく胸を張った姿は嘘をついているようには見えない。いや第一、ここで嘘をつく利点などあるのだろうか。僕には想像がつかない。いま確実に分かっているのは、店の前での立ち話を続けるわけにもいかないということくらいだ。
僕は彼の手を握って木製の扉に手をかけた。
「フフ、良かった。僕はあれから時々来ててね。今はちょっとしたお気に入りの場所なんだ」
そうか、と答えた司くんはまだどこか複雑そうな表情だった。
女性店員の出迎えを受け、一対の椅子がはす向かいに配置された二人掛けのテーブルへ案内された僕達は、腰を下ろすと早速それぞれメニュー表を開いた。
目当ての物を見つけた僕はメニューの写真を指差して注文し、司くんも同じように指で示して注文を済ませる。それから、他愛ない話だったり、公開されたばかりのミュージカル映画の話だったりに花を咲かせている内に、案内してくれた女性が注文通りの品をテーブルへ運んできてくれた。
先にやってきたのは、僕が注文したかき氷だった。平たいガラスの器へ盛られた削り氷の白い山に、水色のシロップがかけられている。水色の山肌には星形にくりぬかれたマンゴーが散らされていて、何よりそのてっぺんを大きく飾るのは──
「おお、ペガサスか!」
デフォルメされた天馬形のアイシングクッキーに司くんの目がキラキラ輝く。まるで宝物を目の前にした子供のようだ。見ている僕まで嬉しくなって、勝手に頬が緩んだ。
「実は少し前にこの店で、かき氷のアイデアが募集されていてね。まぁリクエストに近い形のものだったんだけど……折角だから僕も一口応募させてもらったんだよ」
募集を見た瞬間、なぜか脳裏に浮かんだのははじけるように笑う司くんだ。平時は高笑いの多い彼だが、不意の事にはそういった自然な笑い方をする時があって──僕はその笑顔が一番好きなのだった。
記憶の中からお目当ての笑顔のワンシーンを手繰り寄せつつ、ぼんやりして。……ふと気が付けば、司くんをイメージしたかき氷を用紙に書き込んで、店の人に渡していた。
まさかそれが本当に採用になるとは思わなかったけどね、と言葉を付け足したところで、司くんの顔がみるみる赤くなってきたのに気付いた。きりっとした眉尻を少し下げて視線をさ迷わせたり、無意味に髪をかき上げて咳払いしたりとひどく落ち着きもない。明らかに様子がおかしかった。
さすがに気のせいで看過出来るレベルを越えている。僕はさっきまでの嬉しさが急激にしぼんでいくのを感じながらも、何でもない風を装って尋ねた。
「……本当にどうしたんだい、司くん?」
「う……あ、あのな類。……オレもひとつ言わなければならない事があるんだ」
「言わなければならない事?」
反復した言葉に相づちを打つかのようなタイミングで、店員さんの失礼しますという静かな声が割って入ってきた。条件反射で口をつぐんだ僕だったが、店員さんがトレイの上に乗せていた物を横目で見て思わず声をもらしてしまった。
「……それは……」
司くんの前に運ばれてきたのもかき氷だった。しかし、僕が頼んだものでも、その他の通常メニューでもない。
同じ器に同じ量の削り氷。それにかかっていたのは淡い紫のシロップだ。ぶどうの粒が散りばめられた氷の山の裾野には、さくらんぼを頂に飾った小さなソフトクリームの山が添えられている。そして何より紫の氷のてっぺんに載っていたのは──僕がよく使っている紫のドローンが描かれたアイシングクッキーだった。
店員の女性が完全に離れたのを見計らって、司くんがまごつきながらも話し始めた。
「その、オレも……たまたま来た時に、かき氷のアイデア募集を見て、だな。…………あ、あとはお前と同じだっ」
首まで真っ赤にして顔を伏せる、司くん。
なるほど。そういうことなら──その時、彼の中に渦巻いていた感情の詳細まではわからないが──あの複雑そうな様子の数々にも納得がいく。
しかし、新たに胸に寄せ返す喜びの波に、我ながらだらしなく顔がニヤけてしまうのは止められそうになく。僕は片手で口元を覆って誤魔化しながら、紫の氷の山を指差した。
「司くん。よければ君のと僕のを交換しないかい?」
「ん? こ、交換?」
「うん。だって『それ』は僕の為に考えてくれたものなんだろう?」
「それはそう、だが」
「僕のこれも、君の事を思いながら考えたものなんだ。だから交換。ごく自然な話だと思うんだけど」
すると、ひだまり色の髪が左右にぶんぶん振れた。紅潮したままの顔を隠そうともしない。ただただ決死の色が滲む声で、彼は訴えかけてきた。
「っ……オレはっ、両方食べてみたいんだが!」
なるほど。
今日二回目の得心をしながら、とうとう心の奥から溢れだしてしまった幸福感につい、くっくと肩を揺らした。
「ふふっ、じゃあどちらも半分こにしようじゃないか。──食べさせてくれるかい、司くん?」
首を左右に振った時と同じ勢いで何度もうなずいた司くんは、スプーンを手に取ってひとさじすくうと、まばゆい笑顔を咲かせてこちらに差し出してきた。
一番好きな笑顔とは少し違うけれど──やっぱり、この笑顔も好きだな──胸の中で呟きながら。僕は優しい甘さの氷を有り難く頂戴した。