タイトル未定2あれから数日。
含光君から『先日のことで今一度雲深不知処まで来て欲しい』という旨の書簡を受け取った。もちろん、自分がしたことの後始末はつけるつもりで承諾し、それなりに雲深不知処を騒がせたのだからと、土産物を携え、さらには自身が戒鞭に打たれるつもりで数日仕事をあけてもいいように手配をした。そうして訪ねた雲深不知処で、俺は今沢蕪君と顔を合わせている。
-何故?
いや、確かに詫びは入れると言った。しかし、呼び出したのは含光君だ。それならば、まずは顔を合わせるのは含光君であるのが筋のはず。だが、その肝心の含光君は所用で不在とのこと。呼び出しておいて、何故。沢蕪君は、確かにここ藍家の宗主だが俺は仙督である含光君に呼ばれたのであって……などと、疑問は浮かんではいたが、はたと、先日のやらかしはこの人に対してであった分、詫びを入れるのなら直接この人に対してだと思い直し、飲もうとしていた茶を卓に置き姿勢を正す。
「沢蕪君、先日の非礼、誠に申し訳ない。改めて謝罪を。」
「江宗主っ…どうか、頭を上げてください。」
茶を出したきり喋らない相手に世間話すらせず頭を下げ謝罪をするも、慌てたように告げられた言葉を受けそろそろと頭を上げる。目の前には眉を下げた沢蕪君が、いつの間にか挟んでいた卓を避けこちら側へと来ていた。
「そもそも、不甲斐ない私をあのように叱咤してくれる方が居たことに感謝こそすれ、貴方を責めるつもりなどありません。」
どうかお礼を言わせてください、と肩に手を置かれ首を傾げる。れい…?礼?なぜ礼なのだ。怒鳴り、物を投げ、挙句の果てに手を上げた相手に礼?おかしくはないか?もしや、おかしくなったのか?そこまで考え口に出そうになる言葉を転がし、言い換える。
「いやしかし…確かに喝を入れるようなことはしたが、それを多めに見積もっても私は随分なことをしたはずだ。」
視線のみあの時去り際に赤く腫れていた頬を見る。修位の高い沢蕪君ならすぐに治っただろうし、ここは冷泉のある雲深不知処。多少力を込めて殴っていたとしても、その水を少し当てていれば治るものだ。事実その頬に傷はない。だが、それはそれだ。手を上げたことには変わりはない。
「やはり謝罪はさせてくれ。その……正直に言えば八つ当たりも多大にあったのだ。」
八つ当たり?と先を促され、言いたくはないが、としぶしぶ口を開く。
「……閉関を許される環境にある貴方のことが羨ましく、そしてその環境の上に胡座をかく貴方に腹を立てた。甘えている貴方が、甘えられる環境にある貴方が、羨ましかったのだ……。許して欲しい。」
「江宗主……。」
まだ下がるのかという程眉が下がった相手に、やはり俺にこの手のやりとりは向かないな、と苦笑する。
「すまない。ずるい言い方をした。優しい貴方ならこう言えば、私に同情し貴方自身を鼓舞するだろうと打算もあり、私は身の上を利用した物言いをした。耳を傾けてくれるようになった貴方に早速このような物言い、申し訳ない。恥の上塗りだ。」
それこそ、座学の頃から顔を見知り、射日の頃には寝食を共にすることもあったのだ。見苦しいところなど嫌という程見られているが、ここ最近では宗主として対峙することが多かった分なんとなく気恥ずかしく、顔を隠すため頭を下げる。
「貴方は、辛い時も一人で立ち続け、進み続けるしかなかった。私のように家族に甘え、閉関を許されることなど出来なかった。だって、貴方にはその時家族が居なかったのだから。」
痛ましそうな声で人によって言葉にされると、改めて当時の傷が疼く気がした。伏せた顔をそのままに、奥歯を噛み締める。
「ずるくも、打算でもありません。そんな貴方が過去にいて、それを乗り越えて今ここに居ることに気づいたからこそ、私は、私を不甲斐ないと思いました。そして同時に過去、貴方を立ち上がらせるために私が掛けた言葉が、貴方を追い詰めることもあったかもしれないと気づきました。本当に、申し訳ない。」
今度は、沢蕪君が深々と頭を下げてくる。それに慌てて、顔を上げさせようと腕に触れる。
「顔をあげてくれ。結果だけ見れば、あの時いただいた言葉は私を立ち上がらせた。前に進ませてくれた。今の私が在るのは、貴方のお陰もある。だから、そこは謝らないで頂きたい。」
「しかし、結果としてでしょう。その内実は、先日お話していただいたままなのです。死にたいほど、追い詰められている方を、私は……さらに追い立てるようなことをしました。」
「だから、今となってはそれもよい結果に繋がっている!謝罪など必要ない!!」
だんっと、卓を叩けば、申し訳なさそうに笑う顔があった。
「では、先日の貴方の行為にも、謝罪は必要ありません。事態を好転させています。」
………ここに来て、わざと言わされたと気づき、相手を恨みがましく見てしまう。
「申し訳ありません、江宗主。この件に関しては、謝罪をしていただきたくなく、話を仕組みました。」
ため息が出た。盛大なものだ。しかし、そう言われて引き下がるわけにはいかない。筋は通らないのだ。
「いや、やはり謝罪はする。」
「江宗主っ」
「最後まで聞いてくれ。……こちらは代わりに貴方からの過去の件への謝罪を受け入れる。」
はっとした様子にニヤリと笑うと、沢蕪君は困ったように笑う。
「貴方も頑固な方だ。」
「筋を通す一本気のある者と言ってくれ。」
「……わかりました。では、貴方の謝罪を受け入れます。そして、その原因を全て許します。」
「感謝を、沢蕪君。貴方からの謝罪も受け入れよう。私が許さなければならないこともないのだが、……貴方を許す。」
互いに拱手をし、顔を上げると晴れやかな顔がそこにあった。ああ、やはり、貴方は穏やかに笑っていてこそだ。胸がほのかにあたたかくなり、そっと笑みを漏らす。
「さて、貴方への謝罪も終わったことだし、藍先生と含光君への謝罪を…。」
「それも必要ありませんよ、江宗主。」
卓の向かいに改めて腰を下ろした沢蕪君は、くすりと笑った。
「貴方が気にしているのは、この雲深不知処で騒ぎを起こしたこと。私へ乱暴な態度をとったこと。で間違いないですか?」
「あ、ああ。」
「でしたら、問題ありません。そもそも私の不甲斐ないところを叱っていただいただけなのですから。騒ぎとなったのも、私が原因です。皆への謝罪は、私の方からしています。」
「待て。待ってくれ、それは俺の方からしないと意味が」
「原因はどちらも、私です。」
「だが、……。」
目を見ると、譲らないというのが伝わり、思いのほか、我の強さを見せている沢蕪君を見遣りため息を吐く。厳しい藍家だからと、戒鞭まで覚悟してきていたのに……。
「……そう、戒鞭。」
無意識に胸をなぞり、顔を上げる。
「戒鞭とまでいかなくとも、自他関係なく厳しい藍家。例え宗主でも罰はあるだろう。」
「ええ、それは。雅正集を5回ほど。」
「それだけか?」
「…概ねは。」
「誤魔化さずに言ってくれ。」
もし、大変な罰を受けていたら、俺も一緒に受けようという意志を込めて見つめる。困ったような顔が貴方が謝る必要は本当にないのだと微笑む。
「写本も幾つか請負ました。重要書籍の修繕も含め。」
「雑用ではないか。」
「必要なことではあります。それに、重要書籍の修繕は、藍家の者でも修位が高いものにしか出来ないものもありますから。今の私にはうってつけです。」
追加されるように、これを終えたら閉関を解くつもりだと言われた。
「待ってくれ。もののついでのように言うことではないだろう、それは。貴方が閉関を解くと言うのは、大きなことだ。本当か…?」
「藍家の者は嘘をつきません。ご存知のはず。」
「嘘を言わないが、真実を巧みに隠すことはあるだろう。」
「それは……けれどこれは真実です。貴方のお陰で、閉関を解くに至ったのです。」
まっすぐに言われて、面食らう。
「いや、俺は…私は、何もしていない。むしろ、ひっかき回しただけだ。それに、恐らくだが、貴方が閉関となった原因や悩みのそもそもの解決には至ってないはず。」
「それは、…はい。ですが、立たぬことには、進まぬことには、回らない事態があることを理解しております。貴方には、理解はしても心の澱みに沈み動けなかった私を、脱け出させてもらった。……死したものに義理立てするより、生きているものに誠意を尽くすことのが、今は優先すべきと、あの言葉には背筋が伸びました。義理を立てるのも大切ではありますが、私はそれほど器用ではないようで…。」
「……だが、何も閉関を解くまでしなくとも。甘えるな、とは私も言ったが、その環境があるのなら、甘えてもよいと思う。貴方が甘えるなどそれこそ貴重なことだ。貴方を大切と思う家族たちも、可能な限り助力するはず。もちろん、私も。宗主でなければ出来ない助力もあるだろう。その時は私を頼ってくれていい。過去において貴方にいただいた恩はいつでも返したいと思っている。」
甘えろと言うのもおかしなことか、と思うも、心の傷は容易に治らないものだ。閉じかけたと思えば、些細なことをきっかけにまたじくじくと血を流す。本人は区切りがついたような口ぶりだが、その実なんの解決もしていないのであれば、休むのも策なのだ。許されるのなら、許されなくなるまで甘えてもよいのだ。
「ありがとう、江宗主。貴方の、その真っ直ぐな誠意のお陰で私は立ち上がれるのです。」
「私は別に…。」
「いいえ。私に、藍曦臣に、私の心は私のものであり、殺す必要はないのだと。泣き叫び取り乱す私に声を上げてくれた。」
「……手も上げたがな。」
「ふふっ、そうでした。あの平手はなかなか痛かった。」
「目が覚めただろう。」
「ええ、とても。」
穏やかな笑みに、つられて笑う。それと同時にこれ以上はこちらがとやかく言うことではない、という事実もありため息で過剰な気遣いを吹き飛ばす。
「貴方がそれでいいなら閉関を解くのもいいだろう。だが、無理だけはするな。膝を着く前に休め。私に出来ることがあれば、言ってくれればいい。他でもない藍家宗主からの頼みだ。おいそれと無碍には扱わない。それに…家族がいるのだ。共にゆっくりと話をしたり、茶を飲んだり。そういう時間をとるのも、よいかもしれないぞ。」
「ゆっくりとした時間…。」
「そうだ。例えば、藍先生には宗主代理をやっていただいていたのだろう?なら、引き継ぎなどで話すことも多いはず。用件だけでなく、草木の移ろいや世情など世間話をしながらお茶を飲むのもよいのでは?含光君となら、兄弟水入らず……琴と簫で合わすのもよいと思う。」
「そうですね、それもよいでしょう。では、貴方と過ごすなら…?」
沢蕪君の目がひたりとこちらを見てとまる。……俺?俺と?過ごす??
「お…私と?私は、貴方の家族ではないだろう。」
「確かに家族ではありませんが…思えば、貴方との付き合いも長いはずなのに、貴方のことは表立ってのことや、触りないことしか知りません。」
「他家の宗主同士。それぐらいでよいのでは?」
「そのような悲しいことを仰らないでください。古くから知った仲ではありませんか。」
知った仲、それは確かに。温氏による焼き討ちから射日の時に乱葬崗、そして観音廟と、気がつけばそれなりに仙門を揺るがすその時々に、協力をとることはあった。これだけの時に共闘をしながら、よく知らない、とはそれはそれである意味避けてきたような行動ではあるが。……いや、真実避けていたところもあるのかもしれない。並び立てば、この人と比較されるのはわかっていた。まあ、雲夢、蓮花塢の立て直しに奔走していた俺としては、避けていたのと交われなかったというのと半々ではある。この人も、雲深不知処の立て直しは大変なことであったはずだ。そんな最中、三尊と言われる斂芳尊と赤鋒尊と義兄弟となり、そちらとの交流を深めていたのだから、仕方ないだろう。この人の言葉を借りるのならば、「器用ではない」のだから。そちらと仲を深めていれば、こちらが疎かになるものだ。それに、俺もその頃は金凌を育てたり、江氏を盛り立てようと、文字通り不眠不休で走り回っていたのだ。縁が薄いのも致し方ないこと。……なのだが、それを今更ながら深めたいと言うことらしい。
「先日のことから数日、なんとなく、貴方のことを知らなすぎることに、不安を覚えました。貴方とて、その身のうちに苛む傷があるというのに、その足で心で真っ直ぐと立って歩んでいる。私には出来なかったことをやっている、そんな貴方に羨望を抱きました。そんな貴方に、あやかりたい気持ちと、あと……恥ずかしながら、私には友と言える方がおらず、これを機に貴方との仲を深めてみたいと……。」
そこまで言って恥ずかしげに頬を染めるその男は、ちらちらとこちらを見ながらもお伺いをたてる気はあるらしい。まあ、沢蕪君だからな?この人と友とはなかなか恐れ多い。沢蕪君、姑蘇藍氏宗主……この人の友とは?義兄弟ではなく、友、とは??悩み腕を組む。そもそも、友とはどんなものだ?そこまで考えて肝心なことに気づく。
「沢蕪君。」
「はい。」
「申し訳ないが、私も友というのがいささか経験としては乏しい。かつては、魏無羨は義兄弟であった。聶懐桑は、同じ座学で学んだ……そうだな、大雑把に言えば友かもしれぬが、今は宗主同士の距離感だろう。かつて、友のように鍛錬を重ねた同門の師弟たちは、蓮花塢で絶えた。故に、私もそのような意味では友は居ないと言ってもいいだろう。そんな私でよいのか?」
自分で言うのも情けないが、この性格もあり友らしい友もおらず、友とはどういうものか、と俺自身よくわからず、首を傾げる。
「貴方がよいのです!!」
わからない、と言っているにも関わらず、目の前の男は輝かんばかりの笑顔で即答してきた。俺がよい、などと…そのようなことを言われたことがあったか。いつだって、俺は誰かを求めてばかりで、誰も手に入らないというのに。俺を求めてくれるのか……そう思うと、胸に熱が灯る。
「……では、共に友を模索していく、というのはどうだろう。」
「なるほど、それは名案です。」
迷案かもしれぬがな、とも思いつつ、ならばと手を出す。
「友として、これからよろしく頼む。」
「こちらこそ!」
よくわからないが、沢蕪君と友になったらしい。どこかくすぐったいような、気恥しい心地だが、ひとまずはこの人と茶を飲むところから始めようと思った。