恋せよ若人 いつか、再会できるだろうとは思っていた。そう、信じていた。でもまさか、それが今日この日だとは、アルトは予想していなかったのだ。
声をかけられ振り返った先に、再会を願っていた二人の顔があって。アルトは珍しくも数秒固まってしまった。
それから怒涛のように物事が過ぎていって、今アルトは、新たに星の宿命を背負った者達が集まる城に立っている。
◇ ◇ ◇
「お、ほんとに来たな」
懐かしい声が聞こえて振り返ると、そこにいたのは先の戦争で苦楽を共にした友人達だった。
「君達も来ていたのか。ルックは、石版があるからもしかしてと思ったけれど、シーナもいたとは」
「なんだよ、俺がいるのがそんなに意外か?」
「君も国を離れているというのは風の噂で聞いていたんだ、でもまさか隣国の軍に参加しているとは」
「いや俺けっこう頑張ってるんだぜ、なぁルック」
「そうだったっけ?」
「お前な……」
以前と同じ、他愛もないやりとり。懐かしさに思わず頬を緩めるアルトに、ルックとシーナも少し笑った。ひとしきり笑った後で、あ、とシーナが声を上げる。
「そうそう、会ったんだろ? ビクトールさんとフリックさん」
「あぁ……」
終戦時、行方不明になった二人をアルトが気にかけている様子はルックもシーナも目の当たりにしていた。それ故のシーナの言葉なのだろう。突然ではあったが、無事が確認できて、再会できて、良かったとアルトは思っている。
「いつかは、と思ってはいたが、突然目の前に現れたものだから、頭が追いつかなかった」
「あんな消え方しておいて何も連絡せず、しれっと隣国にいた方が悪いでしょ」
「まぁ、そう言うなって。ミランは随分あの二人に助けられたみたいだし、それが巡り巡って、今こうやって俺達が再会することに繋がってんじゃん」
「そうだな……」
仮に国に連絡が入ったからといって、国を出てしまったアルトには消息を知ることができたかはわからない。再会できたことを素直に喜ぶべきだろう。
「変わっていなかったな、あの二人は」
アルトはあの二人の姿を思い浮かべながら、そう呟いた。そう、変わっていなかった。ビクトールも、フリックも。そして、自分のフリックへの想いも。
ルックが、探るようにアルトを覗き込んで、尋ねた。
「……そっちも、変わってないのかい」
何を、とはルックは言わなかった。だが、アルトにはそれが何を意味しているのかはすぐにわかった。この二人は、アルトがフリックに想いを寄せていたことを知っている。
まっすぐ前を見続ける姿勢が、眩しいと思った。時折見せる優しさに、心があたたかくなった。そして、気がつけば、アルトの心はフリックに傾いていたのだった。だがそれを伝えることはせず、一人で旅を続ける間に想いは消えていくと思っていたのに。
「残念ながら、消えてくれなかったな。会わなければ、変わると思っていたのに……いや」
アルトは、ルックとシーナを順に見て、微笑んだ。
「一つ、変わったかもしれない」
「何だよ、変わったことって」
シーナの問いに、アルトは軽く深呼吸をしてから答える。
「想いを、伝えてみようかって」
その言葉に、ルックとシーナは目を丸くした。
「……前は、言わないって言ってたよな」
「あぁ」
アルトはふと、空を見上げる。
「軍主として、一人に心を傾けるべきではないと思っていたし、仮にそれでぎくしゃくして、軍に悪影響を与えたらという懸念もあった。それに」
フリックには、オデッサがいた。彼女は亡くなってしまったけれど、フリックは、ずっと彼女のことを大切に思っている。そんな彼に想いを伝えても、困らせるだけだと以前のアルトは考えていた。
「でも」
アルトは微かに浮かべていた笑みに、困惑の色を乗せる。
「全然、この感情は消えてくれなくて。そしてあの時、フリックの行方がわからなくなって。あれから一人で旅を続けていたけれど、時間が経てば経つほど、僕の中で後悔のようなものが出てきたんだ」
「後悔?」
「そう」
一人で歩き続けている間も、ふとした時にフリックの事を思い出した。美しい景色や珍しい景色を目にする度に、隣にフリックがいて、これを分かち合えたらと思ってしまった。そして、気付いたのだ。会えなくなる前に、言っておけば良かったと。
「けじめを、つけるべきだった」
言わずに心の中にしまい込んだままだったから、どこかで諦めきれなくて、ずっと想い続けていた。このまま再会できなかったら、この片想いを抱えたまま、いつまでも世界を彷徨っていたかもしれない。
「いっそ、玉砕覚悟で伝えて、敗れて。そうすればきっぱり諦めがついて気持ちの整理がつくと思うんだ」
また、会えなくなる前に、自分の気持ちを口にしたい。フリックに、想いと、恋することを教えてくれた事に対する感謝を伝えたい。そう考えるようになっていた。そうすれば、自分の中のフリックへの想いはとても良いものとして、心の奥にしまい込むことができる。
「だから、どこかで思い切って言ってみようと思っているんだが…………どう、だろうか?」
静かにアルトの考えを聞いていたシーナだったが、最後、急に気弱になった様子を見て思わず吹き出した。
「お、お前……何でそんな自信なさげになるの」
シーナが笑う様子を見て、アルトは眉を寄せる。
「仕方ないだろう……こんな感情を持つのも、迷うのも、全て初めてだ」
経験など無いから、全てのことに体当たりで挑むしかない。まだ武術や戦術など、機械的に物事を考えられるようなことなら上手く立ち回れるような気がするが、人の心はそうはいかないと、この感情を持ったことでアルトは痛感していた。
「まぁ、俺はそういうお前が良いと思うけど。良いじゃん、迷い恋せよ若人ってな」
「他人事だと思って……」
「そんなことないって。俺は常に恋してるし」
これがシーナらしい励ましだということはアルトにもわかっていたので、感謝をしつつ軽口で返す。二人に話したことで、改めて意思が固まった気がした。
「よし、頑張って来いよ。万一砕けても骨は拾ってやるからさ」
「シーナ、痛い。頼むぞ全く……」
元気付けるように、シーナがアルトの背中を力一杯何度も叩く。心強くはあるが、背中を叩く音の煩さと痛みにアルトは抗議の声を上げた。そんなやり取りをしていたから。
「……別に、玉砕覚悟する必要はないと思うけど……」
微かな声で呟いたルックの言葉は、アルトの耳には入らなかった。
◇ ◇ ◇
酒場の窓の外、少し離れたところに、見知った姿がいくつかあった。ぼうっとそれを眺めていると、大きなジョッキを持ったビクトールが隣にどかりと座り込む。
「なんだなんだ、窓の外に何かあるのか」
「……別に、景色を眺めてただけだって」
「そうか……あぁ、あれか」
はぐらかしたつもりだったが、窓の外に目をやったビクトールにすぐに気付かれて、フリックはため息を付いた。いつもそうだ。この男は、大雑把に見えて意外と周囲をよく見ている。
「いやまさか、ここで会うなんてな」
「……まぁな」
窓の外を眺め続けながら、フリックは相槌を打った。視線の先にいるのは三人。ルックと、シーナと、それから、先日再会した元軍主の少年。
以前行動を共にしていた頃と、全く変わらない姿。その姿を見ていて自然と込み上げてくるのは、いつの間にか胸に宿っていた劣情を伴った好意だ。
何が起きても決して曇らないその目が、綺麗だと思った。悩み苦しみながらも前に進もうとするその体に手を差し伸べ、手の中に収めて守りたいと思った。そしてその想いは、離れていた間も決して消えなかった。
再会してからここまで、慌ただしく時間が過ぎ去っていったから、まだまともに会話ができていない。今すぐ駆け寄って声をかけたい気持ちと、敢えて距離を取りたい気持ちが、フリックの中でぐるぐると回っている。
「そんなにじっと見てるくらいなら、会いに行けばいいじゃねぇか」
「それができれば、とっくにそうしてる」
けれど今のフリックにはアルトに声を掛ける理由は見つからず、理由なしに声をかけたとして一体何を話せば良いのか、と考えてしまい、結局こうして眺めているだけだ。
ビクトールはそんな相棒を見て、豪快に笑った。
「あの国を出てから、何か目にする度にあいつの名前を出してたやつが、よく言う」
「……」
図星だった。フリックは気恥ずかしさで、僅かに俯く。
旅先で何かを目にする度に、あいつは見たことがあるんだろうか、見せたらどんな反応をするのかとつい口にしてしまっていたし、戦術を練らなければ行けないときは、あいつならどう決断を下すのか、とまた口にしてしまっていた。それを逐一隣で見てきたビクトールには、フリックの想いはとうに知られている。
「いっそ、思い切って全部ぶちまけちまうのはどうだ。意外と良い方向に行くかもだぜ」
「……そんなこと、できるわけないだろう」
それは、アルトを困らせるだけだとフリックは思っている。あの少年には、背負うもの、抱えるものが沢山ある。そこに自分の想いを割り込ませても、アルトにとっては寝耳に水だろうし、それによってあの顔を曇らせたくはない。
「んじゃ、言わないままずっといるつもりか? この戦争が終わったら、また次いつ会えるかなんてわかんないんだぜ」
「…………」
「言わないつもりなら、もっと穏やかにあれ見れるんじゃねぇの」
「……俺、どんな顔してた」
「今すぐ側に行きたいって顔」
「…………」
ビクトールの直球の言葉に、フリックは頭を抱えた。そうなのだ。言わない方が良いと頭ではわかっているはずなのに。心が、それに従ってくれない。
どこかで、伝えたいという気持ちもあった。伝えれば、きっと区切りがつく。想いを吐き出せずにいるから、体内でこの感情が暴れているのかもしれないと。でもそれは自分の独りよがりではないかとも思う。それに、仮にアルトが受け入れてくれたとしても、自分とアルトの流れる時間は、違う。いずれは年老いてアルトの前から消えざるを得ないならは、アルトを悲しませるだけなのではないか、そうも思うのだ。
「でも、その時間の流れってやつが違ったとしても、あいつの人生も、お前さんの人生も、一回きりだろ」
ビクトールがジョッキを傾けながら言う。
「たった一度の生涯、言わずに悶々としながら終わるか、何でも言ってみてすっきりして終わるかは、お前さん次第だけどさ」
勿論、明らかに相手の迷惑になる、害をなすというならやっちゃ駄目だけど、多少困るかもだけど大きな迷惑になることはないんじゃねぇの、というビクトールの言葉を、フリックはゆっくりと噛み締めた。
「そう、だよな……」
「案外、待ってるかも」
「いや、それはないだろうけどさ」
窓の外の三人が解散する。アルトが歩き去る方向を確認したフリックは、立ち上がった。
「お前の言う事も一理あるよ。まずは会ってみる。このまま燻ってても、堂々巡りなだけだ」
その姿を見上げたビクトールは、にやりと笑う。それから、ばしりと背中を叩いた。
「ま、玉砕も一つの経験だぜ。立派な男になるためのな。行って来い。恋せよ若人ってな」
「何だその言葉……」
ビクトールらしい荒い言葉だったが、勇気付けてくれたのは確かだ。この相棒は、なんだかんだでいつもフリックが前に進むきっかけをくれる。フリックは礼を言って、酒場を後にした。
足早に、アルトが向かった方向に進む。時間が経ったら、また決意が鈍ってしまうかもしれない。だから、今すぐ、会って話したかった。
「アルト!」
姿を見つけ、駆け寄る。アルトは立ち止まり、少し驚いた様子でフリックを見上げた。
「やぁ、フリック。何か?」
「突然すまん。ちょっと、話したいことがあって」
そう伝えると、アルトは一度目を見開き、それから笑った。
「ちょうど良かった。僕も君に伝えたいことがあったんだ」