バスタイム「お互い傷を持つ身だろう。違うかい?」
ドクターの言葉に、エーベンホルツは聞こえないように紳士的でない舌打ちをした。
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ハイビスカスが困ったようにエーベンホルツが風呂に入らないと伝えに来た。
「はい?」
「ですから、エーベンホルツさんが───」
書類の山に囲まれてペンを動かしていたドクターは手を止め、ハイビスカスの言葉を手を挙げて制した。
「すまない、言葉は聞こえていた。……それを私に伝えに来る意味を聞いてもいいだろうか」
「エーベンホルツさんはドクターの言うことなら聞いてくれると思ったので」
ハイビスカスは柔らかく優しい微笑みを向けた。慈愛あふれる笑顔だ。ドクターもつられて微笑む。
「それはどうかは知らないけれど、注意はしよう。曲がりなりにも製薬会社だからね。彼は外交を対応してもらうオペレーターだったはずだから、清潔にすることも大事なことだ」
「ああいえ、たぶんシャワーは使われていると思うんです」
ハイビスカスの言葉にドクターは首を傾げた。
「ロドスの大浴場に入りに来ないらしいんです。何名かが誘っても当たり障りのないことを言われてはぐらかされるとかで。彼は私が連れてきたので、何か水に心的外傷があるのかと。そのように質問を受けました」
「……ハイビス、さすがに君もそのような内容の案件については、妹のことでもなければ余計なお節介だと思わない君ではないと思ってるんだが。違うかな?」
手を止め、指を組んでフェイスシールド越しにドクターが見つめると、ハイビスカスもまっすぐに見返してくる。
「はい、私も別に入らせるようにしろと頼まれているわけではありません。ただ、ドクターなら……と思ったことがあって。いえ、確かにお節介です。なんでもありませんね。急に失礼しました」
言うべきことは伝えたという微笑みでぺこりと会釈をして、ハイビスカスはさっさと執務室を出て行ってしまった。後に残されたドクターはやれやれとペンにキャップをはめて、椅子に深く腰掛け直す。
「彼女は一体どこまで気づいてるんだ?」
独白は誰にも聞かれずに部屋に溶けて消えた。
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「……ということなんだけれど」
夜半に訪ねてきたエーベンホルツに押し倒されながらドクターは言葉を述べた。ハイビスカスからとは言わずに、適当な繋ぎで誰から聞いたとは誤魔化して。
「貴殿と同意見で、余計なお節介だと答えても?」
「私はまあいいけれど。そういえば君は私の部屋にある風呂にも浸かっている記憶がないと思ってね」
「シャワーは使わせてもらっている。さすがにこれからのアンサンブルを終わらせて、そのままで聴衆の前には出られないだろう?」
体を引き起こされ、シャツを脱がされるドクターはされるがままにエーベンホルツの手を受け入れる。
ドクターにある無数に残った切り傷の痕や火傷をうっすらと触れつつ、エーベンホルツはそれらにひとつひとついたわる様に唇を落とす。
「理由を聞いても?」
いつもは好きにさせている愛撫を、頬を撫でることで停止させた。
「理由───別段特に理由などない。強いて言うなら、頭痛発作が起きた時に風呂で昏倒してはかなわない。その程度だ」
「ふぅん」
ドクターは逆に今度はエーベンホルツの上着を脱がせるのを手伝いながら、「じゃあ今から一緒に風呂に入ろうか」と言った。
「ドクター」
「ここは君と私しかいないんだ。頭痛がするならすぐにあがればいいし、濡れた足で歩き回ろうと私の部屋だ。許可する。それに───」
ドクターはエーベンホルツを押し退けるとバスルームへ裸身のままで歩いていく。
「風呂に入るのは気持ちがいいからね」
エーベンホルツは下衣をくつろげる間も無く、頭を掻くとドクターの後を追いかけた。
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「湯加減はどうだい」
猫脚のバスタブに湯を張り、エーベンホルツを放り込むとドクターは側の椅子に腰をかけてちゃぷんと手桶でエーベンホルツの肩に湯をかけた。
無言で波打つ湯を睨みつけているエーベンホルツに、ドクターは肩をすくめて手桶にためた湯にタオルを湿らせてそっとエーベンホルツの角を拭う。
嫌がれば止めるつもりだったそれを、エーベンホルツはドクターを一度目を見開いて見た後で、顎まで湯に浸かると目を閉じてしまった。触れても構わないものと判断したドクターはエーベンホルツの角を湿らせたタオルで拭っていく。
「頭も洗おうか」
声をかけると、エーベンホルツはしばらく迷ったように口を開いては閉じて、ややあってから小さく頷いた。
「湯をかけるから目を閉じておいて」
声をかけて目を閉じているのを確認してから一回、二回、そして数回に分けて湯をかけると泡立てた洗髪剤を彼のカールした髪に馴染ませる様に含ませてゆっくりと滑らせるように洗う。
「キャプリニーの髪はみんな艶やかと聞くが、君の髪に触れているとそう思うよ。角といい、実に見事だ」
角に触れて口付けを落とすと、エーベンホルツは弾かれたように身を引いた。
「ああ、痛かったか」
「……いや、すまない」
角に触れて困惑した様子のエーベンホルツに、ドクターはバスタブの淵に手を当ててエーベンホルツの紫水晶の瞳をのぞく。
「頭痛か?」
「いや、頭痛は問題ない」
「そうか」
続けるから頭をこちらにといえば、おずおずと言ったふうにエーベンホルツは頭を差し出してきた。ドクターは角の根本が絡まない様に指を開いて指先でくすぐる様に洗いながら、後頭部を撫でる様に下から上に何度か往復させる。
「はい、終わりだ。とりあえず湯を流すから、また目を閉じて」
その言葉にエーベンホルツは目を閉じる。ドクターは最初と同じ様にバスタブから湯をすくって泡を流し落とした。
「痒いところは?」
「……ない、問題ない」
「そうか。体はどうする?」
ドクターが悪戯っぽく訊ねれば、エーベンホルツは負けたと言う様に肩をすくめた。
「ひとりで、できる」
「そうか」
ドクターは小さく笑うと、エーベンホルツの角を拭ったタオルで体をざっと清めて彼の足の間に「失礼」と体を滑り込ませた。
湯を少なく張ったが、それでも成人男性が二人も入るとバスタブはギリギリといったところか。泡が二人の体を覆い、ぬるぬるとした感触がある。
「今度、一緒に大浴場に入りに行こうか」
「……いい」
「風呂の入り方を教えてあげるのに」
ふいと視線をそらすエーベンホルツに、ドクターは彼の唇になだめるようなキスをした。
「ロドスの風呂は炎国や極東式だからね。入り方がわからないと困惑するのも無理はない」
「私は───」
「これは私の独り言だよ、エーベンホルツ。私の部屋に風呂が特別にあるのは、私が他の皆を困らせないためでもある」
傷だらけで首元から腹の側部には大きな火傷のある体を見て、ぎょっとした顔をする一般の患者は少なくはない。そして同時に申し訳なさそうな顔をさせるのも忍びない。そういった理由でドクターは一人用のバスルームを作ってもらい、かつ風呂を満喫していたが、エーベンホルツはそもそもが一人での風呂の入り方に慣れてはいないのだ。
「君が一人で風呂に入らなくてもいい境遇だったのを忘れていた。今度から風呂に浸かりたくなったなら、私の部屋においで。手が空いてる時なら洗い役を勤めてあげよう」
ふふんと笑ったドクターに、エーベンホルツは何やら考えこむような素振りをしていたが、そうだなと小さく呟いた。
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「だからといって、翌日にアンコールとサインを求めにくる聴衆がいるとは……!」
すれ違いざまに倉庫の隅に引き入れられての口付けを受けながらエーベンホルツは呻いた。
「いいじゃないか。風呂は毎日入ってもいいだろう? ついでに、私と共に眠れる。君にとっては良いことが二つでお得だと思うが」
キスの終わり際、ドクターは夜部屋にくるようにとエーベンホルツの胸ポケットに今日のパスコードが書かれた紙を挟み込んだ。腰砕けになって木箱に座る彼から数歩離れ、扉から半身を外に出しながらドクターはにやりと笑う。
「お互い言えない傷を持つ身だろう。違うかい?」
共に暖め合おうじゃないかと言うドクターの言葉に、エーベンホルツは聞こえないように紳士的でない舌打ちをし、絶対に「もう止めろ」と懇願されるまで抱き潰すと誓った。
(終わり)