目覚ましには向かない「───い、───おい、ドクター」
遠くから聞こえる少し苛立たしげな、それでいてとろけるような声、ふわふわと甘くて霞がかるわたあめのようなしゅわりと溶ける気持ちよさ。しかし強めに揺すぶられているのに不快を感じて目を開けば、眩しさに目を細める。
「起きたか、いや起きろ」
「……んぅ、ねむい」
頭を振り、あのわたあめのような気持ちよさを思い出そうとするけれど、それは溶けてなくなってしまったようで。掠める不愉快感に包まれていた人物の服で顔をこする。
「ひどい、いいここちだったのに」
そう呟けば強めのため息があって、頬にかかった髪が揺れた。フェイスシールドを外していたらしい。顔がこすれたのだからフェイスシールドは外しているはずなのだが、私はそれをいつ外したのかも思い出せない。
「なら私を目覚ましがわりにするな。この時間に私に起こせと頼んだのは貴殿だろう」
「ねむい、やだ、ねる」
ぎゅっと腕を伸ばして揺すぶる腕を押さえて体を再びベッドに沈める。相手は私を起こそうとつかみかけて私の拒絶にとうとう根負けしたように力を緩めた。
「私は起こした。貴殿はそれを拒絶した。───あとで文句を言うなよ? 絶対に」
「……んー…」
私は腕の中の人にすがりついて再び眠りの世界へと誘われた。
■□■
「なんで起こしてくれなかったのさ! 会議遅刻しちゃうよ!」
慌てて支度をして走り回る私をエーベンホルツはコーヒーを飲みながら無視している。苦い味の香草を間違えて噛んだ時のような眉根のより方に、私がそういえばと思い出した時にはエーベンホルツは一人だけ焼いたトーストにバターとジャムを塗ってかじりつこうとしていた。
唇にジャムがついて、ぺろりとそれをなめとる唇。
私はそれに近寄り、ちゅうと吸い付いた。甘いジャムを味わうように口の端をぺろりと舐める。
「……貴殿の分はないぞ」
「食べてる時間ない。……あの、ごめんね?」
やっとエーベンホルツはこちらを見て、手を振ってしっしっと私を払う。
「わかったからもう行け。私が貴殿をベッドに縫い止めないうちに」
「ありがとう、じゃあまた夜に」
私は全力で足を交互に動かして慌ただしく部屋を出ていった。
■□■
エーベンホルツは二人分いれたコーヒーを見て、はあっとため息をついて自分のカップにおかわりを追加する。ドクターの部屋の隅に転がされた時計を見て、それを棚に戻して視界から消した。
目覚ましの無粋な音で起こされるのはごめん被るし、何よりドクターを起こすのは共寝しているものの特権だとエーベンホルツは思っている。
出て行ったドアの方向を見て、弓形になる唇と知らず知らずのうちに溢れた鼻歌のフレーズ。エーベンホルツはもう一度繰り返し、チェロで弾いてみるかと食卓を片付けはじめた。
(おしまい)