1/fゆらぎ 日付をまたいだ頃、銀時は万事屋の玄関の戸を開けた。すると、めずらしい履き物に目が止まった。新八の草履だ。泊まると言っていただろうか。出掛け際に何か言われたような気もするが、詳しい内容は思い出せない。酔っ払った頭なら尚更だ。しかし、泥酔するまでは飲んでいなかったため、銀時は音を立てないようにブーツを脱いで家に上がった。
真っ暗な床を進み、スーッと襖を開けた。部屋には2組の布団が敷かれていて、片方はこんもりと小さな山になっていた。銀時は部屋に入って静かに襖を閉めると、摺り足で移動した。しかし、向かったのは自分の布団ではなく、もう片方にある新八の寝ている布団だった。新八の顔がよく見える場所に胡座をかいて座り、膝に頬杖を付いて新八の顔を見つめた。
微かな月明かりが窓から差し込んで新八の顔を優しく照らした。月の白い光がシミ1つない肌に馴染んで溶けていく。神秘的な光景だった。銀時は、高ぶっていた心の揺らぎが小さくなっていくのを感じた。地味と揶揄される少年の顔をボーッと見ているだけだ。面白い寝顔でもなければ、変な寝言が飛び出る訳でもない。それでも、静かに呼吸を繰り返す新八を眺めているだけで、銀時のグルグル渦巻くような負の感情は外へと流れていった。
飲んでいる途中で少し嫌な目に会った。怪我1つせず家に帰って来れたのだが、胸中はすっかり荒んでいた。そんな記憶もスゥスゥと繰り返される新八の寝息に耳を澄ませていれば、遠い彼方へと散っていく。
いつも元気な声を聞いているからか、寝ている時の呼吸は、ひどくか細いように聞こえた。銀時は新八の口の近くに右手をかざした。くすぐったい吐息を感じて、満足げに手を引っ込める。良かった、生きてた。当たり前の感想しか思い浮かばなかったが、それで十分だった。
明日は二日酔いかもな。コイツのツッコミ、二日酔いの頭に響くんだよな。つーか、明日の炊事当番俺じゃね?代わってくんねぇかな、300円あげるから。
フワァと欠伸が1つ漏れた。そろそろ寝ようかと、静かに立ち上がる。
『おやすみ』
銀時は口パクで新八に挨拶を告げ、自分の布団に潜り込んだ。その日の夜、銀時はここ何日の間で1番深い眠りについたのだった。