立ち上る紫煙の元を探ってふと、時折匂う、苦味のある香り。それはすれ違った時だったり、隣にいる時だったり、抱き合ったりした時に密かに感じられるものだった。それが何か、解らぬほどボブは子供ではなかった。
自分にだって覚えはある。一丁前に大人になったと浮き足立った時、つい手を出したものだった。自分には合わずただただ苦しんだだけだったけれど。
一時だったけれど覚えのあるそれが、時折、ブラッドリーから香るのだ。独特の苦味のある香り───煙草のそれ───が。本人がそれに気づいているのか、それは知らない。言わずにいるだけなのか、言わないつもりでいるのかも、知らない。
ボブはそれを不思議に思っていた。もう長いと言えるほど生活を共にしているのに、けれどその姿を見た事は一度もない。どこでもだ。ただ感じるのはその匂いだけで、でもその確たる証拠はどこにもなかった。もしかしたら匂い移りしただけかもしれないとも思うが触れるその手からも香るそれがそうとは言わせてくれない。不思議に思うだけで不快に思うことは無いのだから言ってくれればいいのに、とボブは思う。我慢させていたとしたらなんだか申し訳ない。ブラッドリーがボブを自由にさせるように、ボブもブラッドリーの行動を制限したくないのだ。
それなのに二人の時はもちろん、基地にある喫煙所に行っている様子もない。じゃあどこで?ボブの中でブラッドリーに対する謎が深まるばかりであった。
「ちょっと用事思い出したから出かけてくる」
「……今からか?」
「うん、ちょっとしたことなんだけど後回しにするの嫌だから」
ボブが出かける旨を伝えるとブラッドリーはしばし考えた後、口を開こうとしていた。ボブはダメだっただろうか、と思うもブラッドリーはボブのすることにあまり口を出さない。
ブラッドリーはボブを雁字搦めにしておきたいわけじゃなかった。だから無闇矢鱈に行動を制限するようなことは、しない。正当な意見以外のことを口にすることもない。実際の心内ではドロドロとした何かしらの感情が渦巻いていることを、ブラッドリーは一生ボブに知らせるつもりは無い。それでボブを失うのが怖いからだ。
そんな(表向きは)穏やかで優しいブラッドリーのことだから余程のことなのか?とボブはブラッドリーの言葉を待った。ブラッドリーが口にしたいのなら、きっとそれは大事なことなのだろうから。
「送ってく」
「え、いいよ別に。もうこんな時間だし、ゆっくりしてて」
「いいから」
時計の短針は6を指している。空ももう暗くなりかけだ。ボブはなんだそんなことか、と思いつつ、ブラッドリーの申し出を断ろうとした。わざわざそうさせるほどのことでもないし、1人では何も出来ない子供でもない。たった、ほんのすこし、ちょっとそこまで、用事を済ませに行くだけだ。それのどこがブラッドリーの心に引っかかったのだろう。
「本当に大丈夫だよ。時間もかかるかもしれないし、待っててよ」
「嫌だ、送っていく」
今日のブラッドリーはどこか子供じみているな、とボブは小さく笑った。甘えたくてしょうがない犬のようでもあった。犬だったら存分に可愛がってやれるけれどブラッドリーは人間だ。どうしてやることも出来ないが、まぁ、本人がそうしたいというのなら、そうさせてやるべきか、とボブは思った。本当に一体、何があったのだろうか?
既にF-18のキーホルダー───ボブが勝手に付けた───がついた愛車ブロンコの鍵を手にし、いかないのか、と目で問うブラッドリーに、わかった、行こうとボブは答えた。
用事があったのはさほど遠くはない書店。取り寄せを頼んでいた本が届いたから、とボブは言った。ブラッドリーは、そうかとだけ答えた。
「本当に時間かかるかもよ?」
「別にいいよ。大人しく待ってるからゆっくりしてこい」
大人しく待ってる、だなんてまるで本当に犬のようじゃないか、とボブは笑う。今日はそんな気分なのかな、と心の中でだけつぶやいた。
行ってこい、と送り出されてボブは店内に消えてゆく。ブラッドリーはそれを目を細めて見守っていた。
本を受け取るだけのつもりが、平積みされていた本が気になりつい立ち読みをしてしまった。その隣の本も気になって同じことを。そうしているうちに時間はあっという間にすぎ、ブラッドリーを放っておいていることにボブは慌てた。
待ってる、とは言ってくれたがそれにしても酷いことをしてしまったとボブは悔いた。慌てて店を飛び出しブラッドリーのブロンコまで足早に向かう。すると。
「ごめん……結構時間が、」
ブラッドリーは車外にいた。ブロンコに寄りかかって煙草を吸っていた。上を見あげ立ち上る煙を眺めている。ボブは一瞬、その姿に見惚れた。その全体的な姿から、煙草を口に運ぶ腕、手、指の先まで。もっと言うなら煙草を銜えるその唇も。
普段煙草を吸ってるような素振りは見せないのに、今目の前にいるのは。気だるげに流れゆく煙をぼんやりと眺めているその姿は、ボブの足を止めさせるだけのものであった。
その様はボブを多少驚かせはしたが、けれどいつまでも見ていたいものであった。本人はどう思っているのだろうか。もしかしたら見せたくないものかもしれない。ぼやっとしているブラッドリーは珍しい。そんな姿を見た事は滅多になかったものだからもう少しだけ、見ていたいとボブは思い、足を止める。
吸っていたそれはもう既に燃え尽きかけていた。それをブラッドリーは携帯灰皿にぞんざいに押し付け、また新しく1本を口に咥える。そしてライターを手で覆うようにして火をつけた。その一連の流れは極々自然に見えて、ボブは密かにとても似合う、と口にした。
一息吸ってふっと息を吐き煙をゆらゆらと昇らせる。その姿はなんというか、こう、とても色めいたものだとボブは思う。できるならずっと見ていたい、そんな光景。その光景を切り取ればそれだけで絵になるような。気づかれるまでは見ていようとボブが思った矢先。ブラッドリーがボブを見つけた。そうすると途端に慌てたようにまだ火をつけたばかりのそれを携帯灰皿に押し付けた。ボブはそれをもったいないと思った。煙草も、吸うのをやめてしまったブラッドリーも。
「ごめん、遅くなって。煙草、吸うんだね」
「うん、まぁ」
「せっかくなのに1本無駄にして。勿体ないでしょ?」
ボブが言えば別に、と答えが返ってきた。ブラッドリーの視線は彷徨い、ボブを見ようとはしない。そんなに慌てることは無いのに。知られたくなかったのかな、とボブは思うが、それはブラッドリーが口にしなければ解らない。無理強いする気は無い。ただちょっとだけ、気になるだけだ。
「なんで吸ってるって言ってくれなかったの?」
そしてボブはブラッドリーの顔をのぞき込む。そうして初めて視線があった。
ボブの瞳に映るのは困ったような、ひどく焦っているような、そんな自分が映っていて、ブラッドリーはなんだか居心地が悪くなったように感じた。
「……あまり言いたくなかった」
「なんで?」
なぜと聞かれるのは想定内だったのにそれに対する答えをブラッドリーは持ち得なかった。嘘も方便、貫き通せば事実になる、時もある。けれどまさか恋人相手に嘘はつきたくない。かと言って誤魔化したくもないしその言葉さえも持ち得ない。
ただひとつだけは確固たる答えがあった。けれど見られたことの居心地の悪さややってしまった、という思いがそれを思い出させなかったのである。
ブラッドリーの視線は再び宙を泳ぐ。どうしようか、どうすればいいのか、と悩み続けているブラッドリーをボブはひたすらに待った。言いたくないなら言わずにいてもいいし、言ってくれるなら受け入れる気持ちがある。むしろ積極的に受け入れたい。どちらにせよブラッドリー次第だから、ボブはそれを見守っていた。
「言いたくなければいいんだよ?ごめんね、無理強いしたみたい」
「いや、そんなことは」
「でも言いたくないんでしょ?」
「そういう訳じゃ」
「ない?」
「……うん」
そうやって視線を地に落とすブラッドリーをボブは思わず可愛い、と思ってしまった。もちろんそんなことはおくびにもださない。そんなことを言われたら嫌だろうしショックを受けるかもしれない。自分が言われて嫌なことを言うのはいけない。そんなことがまかり通るのはelementary schoolの間だけだ。
未だ視線を地に落としたままのブラッドリーはまるで叱られてしょげた犬みたいだと思えばブラッドリーは犬気質なのかな?とボブは笑う。もちろん密やかに、だ。
「……でもいいたくなさそうだなって僕は思うよ。いいんだよ、無理して言うことは無いし、僕も聞かないよ」
「嫌じゃ、ない」
「……本当?」
「うん。……あのな、見られて幻滅されるのが嫌だった」
ブラッドリーはようやく視線を上げたが視線はボブを捉えず、頬はうっすらと朱に染まっていた。嫌々ながら、と見受けられたがその口調はしっかり、キッパリしていた。先程までのしゅんとした犬の面影はもうなかった。いつも通りのブラッドリーだった。
ボブは瞠目する。理由をちゃんと話してくれたその事に対してもだが、その理由にも驚かされた。
幻滅?そんなことするはずもない。だっていつも一緒にいても嫌なことはひとつだってなかったのにたったこれだけでそんなことになるはずは無い。もしかしてそれほどまでの薄情者だとでも思われているのだろうか?だとしたら心外だ。
ボブはそうじゃない、とばかりに優しい静音でブラッドリーに語りかける。
「幻滅なんてそんな、することは無いよ」
「……でもそんな時の俺、だらしないだろ」
「そんなこと無かったよ」
ボブは信じて貰えるようにことさらゆっくりと話す。見惚れたよ、と言ってやるべきか。なんと言えばこのしょぼくれた恋人は信じてくれるかな、とボブが悩んでる間にブラッドリーはまた口を開いた。
「……それにお前に匂いつけるの嫌だったし、受動喫煙させることになるだろ。それがどうしても嫌だった」
「……気にしてくれてたんだね」
「俺のせいでお前が困るの、俺が嫌だから」
打って変わって拗ねたような態度。それさえも可愛げがあってボブは微笑む。そこまで気にしてくれているなんて思いもしなかったし、嬉しいし、なんだかこそばゆい感じもする。
ブラッドリーは基本優しい。誰にでも、だ。けれどボブに対してはことさら優しかった。そんな気性だから、気にしていたのだろう。だらしないだとか、幻滅するだろうだとか、ボブの体のことさえも。確かにそれは一理あったがそんなことはボブにとって些細なことであった。
自分で言ってはなんだが、ボブはブラッドリーに対して清濁併せ呑むようにしている。たかが、と言っては失礼だが何かあっても受け入れる、受け入れたいと思っている。そんなこと、ブラッドリーは気づかないのだろうがそれこそどうでもいい。自分のしたいことなのだから。
「でもごめんね。実は知ってた。煙草吸ってること」
「え」
「たまにふわっと香ったからね」
「マジで」
「マジで、だよ」
まるで悪戯が成功した時のような笑みを浮かべボブは軽く言い放った。その時のブラッドリーといったら。びっくりしたあと直ぐに肩を落としてしまった。まさか気づかれてはいないだろうと思い込んでいたのだ。
煙草を吸っている本人は慣れているから気づかなくとも、吸わない人間からすればそれを感じとれる。そこまでの考えは思い浮かばなかったのであろう。ブラッドリーは一生の不覚だ、とばかりに落ち込んでしまった。
「ごめん。嫌だったろ」
「そんなことないよ。むしろ煙草吸ってるの、かっこよかった」
「……そっか」
照れて赤くなった顔を見せるまいとブラッドリーはそっぽを向いた。耳まで赤いのを見てボブは満足気に笑った。
「うん、煙草吸ってるブラッドは、とてもかっこよかった」
ボブはもう一度繰り返した。照れに照れたブラッドリーはやはりボブを見ない。ボブのストレートな気持ちはブラッドリーにとってとても嬉しいものであるが、そう、何度も言われると顔を見られないほど恥ずかしかった。
ボブはそんなブラッドリーを好きだと思うし、好きでいさてくれることが嬉しい。そしてそんな彼が自分を好いてくれていることが、愛してくれていることが、とても嬉しい。ブラッドリーの、全てが全て自分のものだと思うと烏滸がましいけれど、それはとても幸福なことであるとボブは思った。
揉み消した煙草の火を確認してブラッドリーは携帯灰皿を閉じる。その仕草も手馴れたもののようでボブは余韻を楽しむような感覚で眺めていた。
「なんでタバコを吸うようになったの?」
ボブの素朴な疑問にブラッドリーは天を仰いだ。正直恥ずかしい理由だ。それこそ子供っぽいと思われるかもしれない理由。でもその時にはそれで気を晴らしていたのは確かだ。あの時のことを思うと自分でも笑える、とブラッドリーは呟いた。
「願書、抜かれてむしゃくしゃしてたから」
「へぇ。何となく解るな、その気持ち。上手く吸えた?」
わかる、と言ったボブも過去のことを思い出していた。大人になれたと思ってもことはそう上手くは行かない。むしゃくしゃすることだってあった。そういう気持ちを晴らすために吸ってみたくなることはあるだろう。自分とはまたちょっと違う理由だけれどその理由には賛同できると思った上で、ボブは『解る』と言ったのだ。
「全然。そんなもんじゃなかった。煙いし苦いし噎せるしで、いいことなんかなかった」
ボブもそれには覚えがあった。良くもまぁ世の中の喫煙者はこんなものに耐えられるなぁ、と。身体には悪いと知っていながら、吸ってみたいと思ったのは若気の至りだろうか。けれどブラッドリーはボブと違い現在も続けている。だからこそ、ボブはブラッドリーの知らなかった一面を知ることが出来たのだけれど。
「じゃあなんで続けてるの?」
「慣れるとこの苦味が癖になるかな。美味しい、という訳じゃないけど、その苦みがいい」
「そうなんだ。僕はそこまで続けられなかったよ」
「ははっ、続けなくてよかったよ」
「そうかなぁ」
ボブはなんだか渋い顔をして考え込む。あの時我慢して吸い続けていたなら、同伴出来ていたのかもしれない。そう思うとちょっぴりあの頃の自分を恨めしく思う。根性無しめ、と過去の自分に言い募る今の自分の姿は滑稽だった。
「あとはそうだな、んー……吸うと言うより吸ってる時の雰囲気が好きなんだよな」
「雰囲気?」
現在のボブが過去のボブにあーだこーだ言ってる時にブラッドリーが再度口を開く。聞かれるのが嫌そうだったその態度から一変して全てを語りつくそうとするブラッドリーにそれは聞いてもいいものなのか、と思いつつ聞かせてくれるなら聞かせてもらおうと耳を傾ける。それは自分を信頼してくれているからなのかまではまだちょっと、怖くて聞けないけれど。そんなボブの気持ちが分からないブラッドリーは少し思案した後、ぼやっと呟いた。
「煙が上へ上へと登っていくのを見るのがすきなんだ」
「へぇ」
情緒溢れるその言葉にボブは感心した。ただ吸うことだけを目的にしている訳ではなく、そういう風景をも楽しんでいるとはさすがに気づかなかった。今もまた空を見上げている。
先程のことを思い返しているのだろうか。自分には分からないその感覚をブラッドリーだけが知っている。その感覚を共有出来たならどれだけ良かったかとボブはまたも悔やんだ。
「知ってるか。雨が降ってる時は煙は上に昇らない。冷たい空気に押されて、下へ下へと体にまとわりつくように流れる」
「そうなんだ、意外だね」
ボブには分からない感覚を、教えてくれるブラッドリーの横顔は凛としていた。やはり先程早々に押し付けられ消されてしまったあの煙草と、吸うのをやめてしまったブラッドリーを勿体ないと改めて思った。共有できないのならば、せめてその姿を目に焼きつけるように見ていたかった。
「寒い日に吸うのも格別だ。煙なのか息なのか分からないほどの寒さの中で1人きりで吸うのも美味い」
「僕には分からないけど。でもそんな時のブラッドもとてもかっこいいと思う。きっともっと好きになる」
「なっ、何」
突然のボブの告白にブラッドリーは噎せる。かっこいい、に続いてもっと好きになる、とは。嫌がられなかったことだけでも幸いなのに、まさかそんな言葉まで聞くことができるとは。
「これからも吸いなよ。灰皿、用意しておくからさ」
「……じゃあ、たまに」
「遠慮しなくていいんだよ?」
これでは遠慮の塊だ。いいと言っているのだから素直になってくれればいいのに、と思うもそれも強要になるか、とボブは口を噤む。
好きにしろ、だなんてそれさえ烏滸がましい。吸いたければ吸えばいいし、嫌だと言うならそれを受け入れてやるのがボブがブラッドリーにしてやれることだ。
でも、たまに、ではなくもっと、と望むのは我儘だと分かっていてもそれを望んでしまうことを世間は欲だと言うのだろう。
「いや、たまにでいい」
「なんで?」
たまに。たまにならその姿を見せてくれるのだろうか。自分の欲を、ブラッドリー自ら叶えてくれるなどと思いもしなかった。
ボブは少し浮き足立った。かっこいいブラッドリーを、かっこいい恋人を、間近で見られるなんて、と。かっこつけていないのにかっこいいその姿を、見られることができるのなら本望だ。
「……匂いつくの、やだし、キスするとき苦いって聞くから」
「……聞いたことあるね」
それはまぁ、まだ体感したことはないが聞いたことはある。ボブはなんならそんな体験をしてみたいと思う。興味が湧いたものは体験したい質なのだ。でもだからといってせがむのは少し違う。ブラッドリーもしたいと思ってこそ、なのだ。
けれどそんなボブの望みを感じ取ったのかそれとも単純に読み取れたのか。それは定かでは無いがブラッドリーはぼそりと小さな声で言ったのだ。
「……今もしたいけど、我慢する」
「別に無理しなくてもいいんだよ?」
ふふ、とボブは思わず笑ってしまった。何かと我慢したがりなブラッドリーの、ちょっとした本音。無理強いすることは無いが時にこうやって自分の心を押し殺してしまう。そんな必要はない、と何度言ってもいや、自分のことだからと無かったことにしてしまうのだ。
ブラッドリーが望むのなら出来うる限りしてやりたいと思うのに、ブラッドリーはそれをさせてはくれなかった。少し寂しいと思ってはいたがやはり無理強いはしたくなかったので、いつもその話はそのままだった。
「別にいいのに」
「……わかった。じゃあ遠慮なく」
触れた唇から、熱と微かな苦味。無遠慮に入り込んでくる舌も自分がいつの日か味わった思い出のある苦い味。けれどそれは嫌じゃなく、もっとと絡ませれば苦味は薄くなっていき、その熱に翻弄される。どちらからともなく唇を離せば2人の間に糸が引いた。
「……にがい」
「だろ?」
ボブが率直な意見を述べるとブラッドリーはだからそう言っただろう、とボブの唇を親指で拭ってやりながら苦笑いをして見せた。
ボブもまた言っても聞かない人間なのだ。それに乗っかった形でキスをしたがやはり嫌だったろう。
その苦味のせいでボブは遠の昔に吸うのを諦めたそれを、今更好ましく思うことは到底難しいだろう。けれどそれでもいいと言ってくれた事実がブラッドリーには嬉しかった。
ブラッドリーはボブに自分の汚い面を見せたくなかった。そうして幻滅されるのが嫌だったからだ。 清濁併せ呑むように付き合うのが本当の付き合い方だと知ってはいるが、感情はそれに伴わない。
ボブを疑ったりするわけではないが、そんな醜態を晒して、幻滅されたり、果てに嫌われたらたまったものではない。だから、ブラッドリーは自分を押し殺そうとする。ボブには付き合ってすぐの頃から知られていたが。ブラッドリーもまた、それを感じれるからボブを手放せない。それすらも烏滸がましいとは思っているけれど。
「でも嫌じゃなかったよ」
「……そうか」
そして2人の間に沈黙が落ちる。ボブの言葉に嘘はない。ブラッドリーも理解出来ている。2人ともに認めあっているならなんの問題もない。ブラッドリーは恥ずかしげに俯いて頬を染めていたけれど。ブラッドリーはやがてひとつ息を吐き、ボブを見やる。
「帰る前にもう1本だけ、いいか?」
「もちろん」
ブラッドリーは潰れかけの箱から、他では見ない、なかなか珍しい黒い巻紙のそれを1本抜き取り、火を灯す。ふっと吹き出された煙は上へ上へと空を目指す。
ゆらりと立ちのぼる紫煙が空に解けていくのを見つめるブラッドリーを、ボブもまた笑顔で見つめている。こんな一面、もっと早く見せてくれたら良かったのに、とボブはブラッドリーに知られることなく呟いた。