Will Nyer Entführungcase.命田守
『ウィル!?おい!!ウィル!!!』
少しのノイズの後無線に突然入った治の叫び声にびくりと肩が震えた。一体なんだとかげまるに視線を向ければあいつも同じように首を傾げて手元にある救急隊に支給されている地図を開こうとしていた。俺も続こうと視線を動かした目線の端でももみが病院から飛び出していったのが見えた。声をかけようとしたけれど無線に入ってくる治の必死な声に地図に視線を落せばカジノ方面の少し先にある高速道路に距離を置いて走る2つの救急隊をしめす黄色のマーク。ぞくりと背筋に嫌な予感が走って無線のスイッチに手を伸ばした。
「治?おい、聞こえるか」
『聞こえてるよっ!!!』
「状況を説明しろ、何があった」
『ウィルがッ、誰かわかんねーやつに連れてかれたんだよ!!』
「ウィルが?!」
治の言葉に、ももみが何も言わずに病院を飛び出していった理由が分かった。頭の中によぎるのは二カ月前にあったかげまるの誘拐事件。あの時はかげまるを助けるために来たばかりのたえこを連れてヘリで街中を飛び回った。どくどくと嫌な音を立てる心臓を無視して奥の病棟からロビーに戻ってきたカテジ、俺達の話を聞いていたらしいましろ、よつは、たえこを見回し、此処は冷静に指示をしなければと口を開く。
「何人か病院に残って、」
《ピコン》【市民ダウン】
突然入ったダウン通知に条件反射で電子マップを開く。街中に通知はなく、マップをスライドして見れば北の牧場より少し上の辺りで市民がダウンしている通知が入っていた。場所、タイミング、そしてすぐ近くにある救急隊のマークに冷たい汗が背筋を伝い落ちるのと同時焦った様子の治の声が無線に入った。
『ウィルがッウィル!!!!』
唖然とした。
震える手で無線に手を伸ばしスイッチを押す。
「じ、じょうきょう、を、」
『犯人のやつッウィルを撃ちやがった!!!!』
「それはわかるが、」
『お、おい、何やって、』
《ピコン》【市民ダウン】
「は、」
『待て…ッ、待てよ、!っおい!』
《ピコン》【市民ダウン】
「治、おい、治!!!!」
マップには重なるように通知が並んでいる。頭の中が真っ白になって思わず走り出した。ここから北のあの場所に向かうのなら救急車よりヘリの方が早い。なりふりなんて構ってなんか居られなかった。急いで屋上qのヘリポートに走ってヘリを出す。かげまるの時の犯人は、愉快犯のように彼を連れ回すだけ連れ回してあ満足したのか解放したけれど、今回は違う。救急隊に向けられる確かな悪意があった。ウィルを誘拐され、治を撃たれた。救急隊が警察の支持を待っているだけの守りだけの存在なんて言ったことはない。少なくとも、俺はあいつらを守るためならなんだってしてやるという気持ちで上空をただ北に向かって飛ぶ。
無線から治を呼ぶよつはの悲痛な声が響く。手荷物にはキットと包帯、ハンティングに行った帰りだったから銃も持っていた。いつも荷物が多くなりがちだけれど、この時ばかりはそれでよかったとただただおもう。
《ピコン》【市民ダウン】
治のデッド通知では無いことに安心して無線に手を伸ばす。
「状況は、」
『街の東側での通知だ、俺がいく』
「すまん、任せる」
『街の事は任せろ、ウィルのこと頼んだぜ』
「あぁ、勿論だ!」
間も無く、最初の通知があった辺りに到着する。マップを見ればどうやら警察もこちらに向かっているようだった。ヘリを地面に下ろして辺りを見渡せば、道路の近くに救急車が止まっていてそのすぐ近くに治がうずくまっていた。駆け寄ろうとしてヘリから降りると足元に水たまりでもあったのか水の跳ねる感触があって。視線を下げればそこに血だまりがあることに気づいてしまった。治が叫んでいたウィルが撃たれたというのはこの場所なんだろう。今すぐ助けに行けないことを苦々しく思いながら治に駆け寄った。
「治!!!」
「ッ、守、ウィルが、ウィルがっ」
「ウィルはどうしたんだ、」
「あいつっ、鬼ごっこだとか、ぬかしてッ...倒れたウィルを撃ってそのまま連れて行きやがったっ」
「何だって?!」
ファーストエイドキットを使って治を助け起こす。このまま連れて行こうかとも思ったが明らかに顔色が良くなくてそうしている間にもまた別の場所での通知が入った。
《ピコン》【市民ダウン】
場所は此処からそれほど離れていない。目の前の高速道路を北上して少しの辺りだ。ウィルの救難信号だと直感した。ダウン通知はそれほど長い時間は出せない。それこそ今追わなければ見失ってしまう可能性すらある。けれど、治をこのままにしておくわけにもいかなくて、歯がゆい思いに眉根を寄せていれば治に腕を掴まれた。こちらを見る相貌はまっすぐに、攫われてしまった仲間への心配の光が映っている。
「ここはいい、行ってくれ守、」
「だが、」
「警察だってこっちに向かってる。お前が追わなきゃ、」
そんな話をしている真横をピンク色の車がすごい速度を出して半ば飛ぶようにして走り抜けた。見間違いでなければあれはももみが彼氏と呼ぶメサ・メリーウェザーで、それを追うように鳥野エアーのステッカーを貼った青いヘリが飛んでいく。
「……ももみが危ないぞ!!」
「クッ、そう…、だな、子供に…ももみに無茶させるわけにはいかないな」
タイミングよく警察の車両が追いついたのを確認して立ち上がる。ももみが危ないぞって言われた勢いで不覚にも笑ってしまった。だが、おかげで心を切り替えることができた。自分に喝を入れるべく頬を両手で叩いて息を吐く。ヘリに乗り込見ながらもう一度地図を確認して行先を確認した。あの2人に任せて俺が本部から、なんてのは出来ない。個人の感情で動くのが間違いなんてことは分かり切っているけれど、大事な仲間を見捨てるような真似はもっとしたくない。警察が治から話を聞いているのを確認してヘリを浮上させた。
「救急隊を敵に回したこと、後悔させてやる。」
マップ上を移動する黄色を探してそちらに向けてヘリを飛ばす。一度こちらに戻るような動きを見せた車はいつの間にか北所の近くまで移動しているのを確認して舌打ちをする。
「ももみ、鳥野、聞こえるか」
『ももみパイセン、さっきから何度か呼びかけてるンすけど反応なくて、』
「それは、まずいな」
ピルボックス病院で一番ウィルを慕っているのはももみだ。慕っているというか、もはや執着に近いそれは親に見放された子供のそれなのか、無意識に彼を異性として求めているのか。俺には推し量ることはできない。けれどあいつらがお互いに信頼しているのは見ていてわかる。ももみが全力だからこそ、ウィルも仕方ないなんて言いながら受け入れているし、ウィルが怪我をした時一番に走っていくのはたいていももみだからだ。
少し前にかげまるとましろとももみと冗談でピルボックスの中の人間にももみが惹かれたら、なんて話をしたのを思い出した。例にあげたのがウィルではなくカテジだったからもしそうなったらカテジはもう2度ピルボックスの敷居を跨がせないなんて言って笑ったんだが。
「無事でいてくれよ、ウィル。俺たちが助け出すから、…頼むから諦めないでくれ」
#case.橘かげまる
病院から飛び出して、無我夢中で車を走らせる。
さっきからずっと吐きそうだし、というか車に乗る前に一度吐いた。ずっと忘れたいとおもっていたトラウマになっている記憶が呼び起こされてみんなから逃げるように病院から出たんだけど、結局駐車場で思い切り吐いてしまって。車に乗せたままだったタオルで乱雑に口元を拭って自分の車に乗り込んだ。
だって、追いかけなきゃ。僕の働く病院の仲間が、家族が、酷い目に合ってる。
僕のみに起きたあの事件がほんの2カ月前だってことがいまだに信じられない。そのぐらい強烈に頭に刻み込まれた記憶。
あの時、僕とカテジはダウン通知を受けて救助に向かったのに結果的に自分が人質になってしまって。捕まって、放してくれと何度頼んでも笑って流されるばかりで。しかもそれが自分が面白いと思ったから、自分さえ良ければそれでいいからなんてくだらない理由で連れ回されてあの時はほんとに怖くて怖くて怖くて怖くて。普通に笑って話していた相手が自分を誘拐するなんていう異常さもそうだし、その癖悪びれも無いその態度も何もかも。犯罪者の不満なんて知ったこっちゃない。罪のない人間を巻き込んで自分が被害者のつもりでいられるその神経が分からない。その時までは自分が被害者でないのならと気にもとめていなかったけれどそれを期に僕の中の考えは変わった。変わらざるを得なかった。未だにその傷は癒えない。癒える訳が無い。
あの笑い声を聞けば体は震えるし、あのピンク髪のお面を見るだけでも吐き気がする。あの時の犯人はそんなこともつゆ知らず、自分の事ばかりでこちらに負わせた傷なんて知ったこっちゃない。普通に考えれば加害者はいつだって被害者の気持ちを思わないのだから、当然のことだろう。それでも、僕はずっとずっとずっとずっと許せないままでいて、そんな気持ちを今日までずっと押し殺し続けていた。
無線で聞こえる仲間の声はずっとウィルの事を心配するものばかり。あの時も救急隊の仲間は僕のことを助けようと必死になってくれた。あの時の声がどれだけ心強かったか。あの時の声にどれだけ助けられたか。だからこそ、今度は僕がウィルを助けないといけない。自分のために、仲間のために。
ただただまっすぐな高速道路を車が出せる速度の限界を出したまま走り続ける。
じわじわストレスが溜まっていくのを感じる度に最近吸うことが減っていた煙草に火をつけて肺いっぱいに煙を吸い込んでは吐き出すのをくりかえして。前の車を追い抜いて、時には対向車線にまではみ出した車は高速道路をどんどんと進んで。そのうち、北の牧場を少し過ぎたあたりで救急車が止まっているのが見えた。その近くにはパトカーが数台。治が肩を借りる形で救急車の後部座席に乗せられるのが遠目に確認できたから、車のスピードは緩めないままどんどん先に進んでいく。
普段ならきっと速度違反で切符を切られてもおかしくないけれど、彼らもこの車に乗っているのが救急隊員だということは認識しているのだろう。何を言われるでもなく、追われるでもなく、車は止まらずに進む。
『各隊員、聞こえるか』
「はい。隊長今どこにいます?」
『俺は今北所方面に向かってヘリを飛ばしてる、あ。いや今戻ってるな』
「ウィルの現在位置は」
『わからん。ただももみが追ってる。その後ろにぎんがついているが』
「…」
『とりあえず俺もあとを追う。』
「隊長、無理しないでくださいね」
『……』
《ピコン》【市民ダウン】
重なる通知にマップを開けばちょうど自分の運転する車の走る対向車線にこちらに向かって動く黄色の点滅があることに気づいてあわててハンドルを切る。対向車線に車が何台も走ってきているのが見えたけどそれを遮るように車を止めればぶつかる直前で何台もの車が止まって、その後ろに止まり切れない車がぶつかって事故を起こしている。近づくヘリの音に窓を開けて空を見れば救急隊のヘリが山側からこちらに向かって飛んできている。そして、渋滞の向こうには鳥野のヘリがこちらに向かってきていた。
「隊長!!!」
『かげまるか!!ナイスだっ!』
「犯人の車は、」
『今また戻ってきた!ももみの車と鳥野のヘリが追ってるあれだ!』
隊長の言葉に視線を渋滞する車の方に向ければ真っ黒のスーパーカーがももみの車に追われて逃げてくるのが見えた。カスタムはしてなさそうに見えたしきっと盗難車両なのだろう。けれど、そんな事よりもずっとずっと気になったことがあった。
割れた車の窓ガラス越しに見えたあれは、あの、ピンク色は
「────っ、は、は、は、は」
息が荒くなって鼓動がどんどん早くなる。
目の奥が熱くなって、頭が痛くなって、どんどん視界がブラックアウトしていく。
がちがちと奥歯が音を立てて、恐怖に体が震えた。
手探りで助手席に放置したままにしていたコンビニの袋に手を伸ばして口元に充てた。
落ち着こう、落ち着こうと考えても肺は痙攣したように震えて酸素を得ようとするし、頭はずきずき傷んで。
考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな
辞めろ、違う、俺は、僕は───────────
気を失っていたらしい。道路を塞ぐように止めた僕の車のせいで酷い渋滞が起きていた。逃がさないつもりで道路をふさいだし、それは仕方のない事だけれど。震える手でハンドルを握って何とか車を路肩に逃がした。そのままふらふらと車の外に出て地面に蹲る。さっき、病院の前で散々吐いたからもう腹の中から出てくるものなんてない。口の端から唾液と胃液が混ざったものが地面に落ちてしみこんで消えていく。
地面に積もった雪が白衣にしみ込んでどんどん体が冷えていくのが分かった。
「……はぁ‥‥」
ガシガシと頭を掻いて立ち上がる。自分の中に残るトラウマがこうして未だに僕の心を体を乱す。ドロドロに汚れた白衣にスラックス。革靴の中にも雪がしみこんでじわじわ体温を奪っていく。
「っ、よし…」
もう迷わない。犯人が、あの姿をしていたのは幸いだったかもしれない。
その後ろ側にいるのが誰だっていい。
あの姿をしている犯人を──す、ことで、きっと僕は、
車に乗り込む。白衣の汚れていない部分で顔と口元を拭って大きく息を吐いた。
いこう、みんなのところへ。
皆で、帰るんだ。ピルボックス病院へ