ダメだ。無理。飽きた。
とりあえず目を瞑ることにも飽きたし、寝返りをうつことにも飽きてきた。何もない天井を見つめ続けることにだって。
どうしよう。どれだけ頑張っても眠れない。明日はオフだし、凪と一緒に出かける予定だったのに。
嗚呼、もう最悪じゃん……とため息をつき、凪の方に寝返りをうつ。すると、隣で眠っていたはずの凪と目が合った。びっくりして、思わず息を呑む。
「おまっ、起きてたのかよ」
「……いや、さっきまで寝てたよ。でも、レオが何度も寝返りうつから、気になって起きちゃった」
そう言って、凪がぎゅっと俺に抱きついてくる。甘えるようにぐりぐりと額を押し付けられて、自然と頭に手が伸びた。もふもふと柔らかい髪に手を差し込み、丁寧に髪を梳く。暫くそうして凪の頭を撫でていたけれど、一向に眠気がやってくることはなかった。
それどころか、
「やべぇ、完全に目が冴えた……」
眠気の"ね"の字まで何処かに消えてしまった。怖いぐらいに意識がクリアだ。
凪も凪で覚醒してしまったのか「俺も眠れない」と言って布団を剥いでいる。
「ねぇ、レオ」
「ん?」
「明日のデート、なしにしようよ」
「は? ヤダ」
「でもさ、この瞬間にしかできないことがあるじゃん」
勢いよく体を起こしたかと思えば、凪が上から覆いかぶさってくる。
犬同士がじゃれ合うみたいに、すりっと鼻先を擦りつけられた。お願い、ね? と、駄目押しされたら、俺も嫌だとは言えない。それでも簡単に許すわけにはいかなくて、考える素振りを見せた。俺が顔を逸らしたら、凪も追いかけるように顔を近付けてくる。
「れーお」
「うっ……」
「いいでしょ?」
ちゅっ、と軽いリップ音を立てて唇を啄まれる。懇願するように鼻先や頬にも唇が落ちてきた。
あーもう、分かったから! と俺からも凪の唇に軽くキスをする。
「やった」
じゃあ、早速。と凪が言う。俺も今日だけは……と、凪の背中に腕を回した。
「うっ、あっ……、凪、それは……!」
「なに、ダメ?」
「……ダメ」
「嘘つき。レオ、大きい方が好きじゃん」
「や、でも……、」
「お願い、いいでしょ?」
「あっ……、なぎ、」
「はい、もう決定ー」
俺の葛藤をよそに、凪が躊躇うことなく『豚骨炙り醤油味』と書かれたメガ盛りカップ麺をカゴに入れていく。
深夜のコンビニ。この瞬間にだけ許される背徳行為。
その悪い事に俺はハマっている。
凪と同棲を始めるまでは、深夜のコンビニへ行くことも、添加物がたんまりと入ったカップ麺を口にすることもなかった。この背徳感を教えてくれたのは、間違いなく凪だ。
オフのとき、かつ二人とも眠れずに起きているときだけ、こうして深夜のコンビニへ行く。そこで、いつもは食べないお菓子やジュース、カップ麺を買うのだ。
俺も凪も、普段は徹底した食事制限をしている。肉、魚、野菜をバランスよく。食べることも練習だと言わんばかりに、栄養士が監修した完璧な食事をとっている。自分自身、プロになる前からほとんど外食をしていなかったし……というより、シェフが家に来ていたし、カップ麺やお菓子といったものとは無縁だった。望めば、超高級食材でとったダシで作られたラーメンが食べられたし。お菓子も、有名なパティシエが作ったケーキやクッキーだった。
だから、コンビニとかカップ麺とかそういったものを教えてくれたのは凪だ。凪と同棲するようになって、初めてジャンクフードってやつを覚えた。
価値は値段に比例する。百円ちょっとで買えるカップ麺の味は、値段相応でしかないだろう――そう思っていたが、これが意外にうまかった。特に、さっき凪がカゴに入れた『豚骨炙り醤油味』のカップ麺が大好きだし、ポテトチップスも大好き。コーラもジュースも美味しいし、スイーツだって馬鹿にならない。
毎回、最初こそカゴに入れるのを躊躇ってしまうのだが、一個入れたらあとは同じだと箍が外れる。気付けば、コーラもポテトチップスもプリンも入れていた。さっき見た別のカップ麺も美味しそうだし、クッキーも美味しそう……。
「いっぱい入れたね」
「おー、凪! これ見ろよ、新商品だって!」
炭火焼きカルビ味と書かれたポテチの袋を手にする。凪も、いいんじゃない? と言ってくれた。迷わず持っていたカゴにそれを突っ込む。
「今日はこれぐらいにしとくか……」
もうカゴの中はパンパンだ。さすがにこれ以上は入らない。
早く会計して、家でこのカップ麺を食べたい。明日はもう何処にも行かないから、今から映画をダラダラ見つつ、ポテチをコーラで流したい。
「もうレジに行くけどいい?」
「うん」
一応、凪に確認を取ってからレジへ向かう。レジの前にはバイトらしき青年が立っていた。時々、あくびを挟みながら怠そうに商品をスキャンしていく。
そうして最後の一個、カップ麺のバーコードを通したところで、横からスッと手が伸びてきた。忘れ物。と投げ込まれたそれに、は、と思わず反応してしまう。
0.01ミリの極薄。ピンク色のそれに、異様な空気が流れる。
「あとで使うでしょ?」
そのとき、眠そうだった青年が勢いよく顔を上げた。俺と凪の方を交互に見つめる視線に、変な汗が背中を伝う。
ただ、ゴムを買うだけならよかった。彼女と使うためのゴムがなくなったのかなーぐらいで乗り切れたし、ついで買いだろうなぁ、で誤魔化せたのに、"あとで使うでしょ?"はまずい。だって、いまの文脈的に使われるのは俺だ。
おまけに何を勘違いしたのか、黙りこくる俺の腰に凪が手を這わせてきた。ご丁寧に、もうあと三つしかなかったよ、という言葉つきで。
「えっと、二三〇〇円です……。お支払いはどうされますか?」
「え、あ、カードで…………」
俺がカードを出している間に、凪が荷物だけを持って店の外へ出ていく。ひとりにするなよ! と文句を言いたかったが、既に遅かった。
ひとりだけ取り残されて、嫌な汗が全身から吹き出す。手元が狂って、なかなかカードの差込口にクレカが入らない。
「ありがとうございましたー」
もたつきつつも、なんとか会計を終えて逃げるように店を飛び出す。
定型文みたいな挨拶のあと、青年がぽつりと吐き出した言葉に、恥ずかしさで顔から火が出るような思いをしながら。