第25回 降志ワンライ午後九時。約束の時間ピッタリに玄関のチャイムが鳴った。
「いらっしゃい降谷さん、お疲れ様」
お風呂上がりの身体にピンクのふわふわもこもこルームウェアを装備した私は、やってきた恋人を玄関内へ迎え入れた。
ほんのりと湿り気を帯びて頬に纏わりつく髪の一房を耳の後ろに流し、上目遣い気味に恋人の顔を覗き込む。
彼はその青灰色の瞳をそよりと泳がせ、手に持っていたビニール袋を私の手に押し付けるように渡してくる。
「これ、話してた苺。今朝摘んだばかりで新鮮だから、寝る前にでも食べて。僕はまだ残務があるからお暇するね、じゃあーー」
一息でそこまで喋りきり、今入ってきたばかりのドアから出て行こうと、くるりと向けられた背中。その白いワイシャツめがけて体当たりするように抱きついた。
「ちょ、志保さん」
「せっかく会えたのに、もう帰るの?」
ぎゅ、と彼の引き締まったお腹周りに回した両腕に力を込める。
それと同時に、うっかり下着をつけ忘れた胸元を押し付けると、彼が固まったのが分かった。
「苺、一緒に食べましょう?」
「いや、でも……」
目の前には、白いワイシャツの襟から伸びる男性らしく逞しい首。そこへそっと唇を触れさせて、ちゅ、と小さく音を立てて吸い付く。すると、みるみるうちに唇に感じる彼の体温が上がり、金糸の髪の合間から覗く首筋が紅く染まっていった。
「とっておきの食べ方があるの」
くい、と汗ばんだ大きな手を引くと、彼は観念したようにくるりと此方を向いた。
*
『ーーごめん、志保さん』
身体の隅々まで愛されて可愛がられて、とろとろに蕩かされたところに降ってきた声。
『勃たないみたいだ……』
恋人同士になって、初めて二人きりで夜を過ごしたあの日。
彼が言うには、私のことが好きすぎて、大切すぎて。あまりの緊張に、男性としての機能が上手くエレクトしなかった。
初夜失敗、というやつだーーまだ結婚はしてないけど。
あれからもう三ヶ月。私は未だ清い身体のまま。
仕事が忙しい、というのもあるけれど、彼は意図的にそういった雰囲気になることを避けている。
だから、決めたのだ。
新鮮な苺が手に入るから帰りに届けに行く、という連絡を貰ったその時にーー今日こそ一線を越えてやる、と。
*
洗ってガラスの皿に盛った苺を持って、彼の待つリビングへ向かう。
落ち着かない様子でソファーに座る彼の隣に腰掛けると、彼はさりげなく座る姿勢を直すフリをして私から距離を取った。
私は内心ムッとしながらも、何でもない風を装って苺を一粒摘み上げた。
「とっても美味しそう、いただきます」
「召し上がれ」
苺の実の先ではなく、ヘタの方を齧り取る。瑞々しく熟れた果実は、一般的に味の薄いヘタ側も十分に甘くて美味しかった。
「それがとっておきの食べ方?」
「ええ、こうしてヘタの方から食べれば、一番美味しい部分を最後に食べられるでしょう?」
「確かに」
彼も苺を一粒手に取り、私に倣ってヘタの方から齧る。
「うん、甘酸っぱくて美味しい苺だ」
美味しい食べ物は人の気持ちを和やかにさせる。
どこかよそよそしかった彼の雰囲気が柔らかく解れたところで、私は苺と一緒に用意してきた練乳のチューブを手に取った。
「これだけじゃないのよ?」
齧って平らになった断面に練乳をかける。苺の上になみなみと真っ白な池ができたところで、ぱくりと口内へ迎え入れる。元々糖度の高い苺が練乳と合わさって、舌が溶けてしまいそうな甘さが口の中に広がった。
「こら、お行儀悪いぞ。……どこでそんな食べ方を覚えてくるんだか」
「博士がね、私に隠れてこうやって食べてるところを見かけたの。苺だけならまだしも、こんなに練乳をたーっぷりかけるなんて信じられないわ」
もちろん没収したけどね、と笑いながら、ソファーから身を乗り出して新しい苺を手に取る。
一つめと同じようにヘタ側を一口齧ると、その断面に練乳をたっぷりかけた。
「博士がハマるだけあって美味しいのよ? 背徳の味、ってやつね」
白く粘度の高い液体を纏った赤い果実を、彼の前に差し出す。そうしながら、猫一匹分離れた距離を詰めるように座り直す。
彼のスラックスを穿いた脚にぴとりと寄り添うのは、ふわふわのショートパンツから伸びる素肌の腿。さりげなく脚を組む仕草をすると、彼の喉からコクリという小さな音が聞こえた。
「降谷さんも、食べてみて?」
「……僕は素材の味をそのまま楽しみたい派なんだ」
せっかく詰めた距離が、また猫一匹分開く。
「いいじゃない、一口だけ」
ずい、と口元まで運ばれた苺から逃げるように彼が仰反る。その拍子に彼の肩が私の手にぶつかり、ぽろりと苺が転がり落ちた。
「きゃ、」
たっぷりと練乳を纏った果実が、ピンク色のルームウェアに落ちる。
果実の赤い汁と白い練乳の混ざったピンク色の粘ついた液体が、ふわふわのタオル生地をべっとりと汚した。
「やだ、洗わなきゃ」
ファスナーを下ろし、汚れたルームウェアの上着を脱ぐ。
「ち、ちょっと志保さん……!」
「あら、何を慌ててるの? いいでしょう、私たち恋人同士なんだから」
ふわふわもこもこのルームウェアの下に仕込んだのは、純白のベビードール。
上半身をふんわりと包むシースルー素材のそれは、彼の視線から身体を隠すにはあまりにも無意味で心許なくて。
ドキドキと胸を高鳴らせながら、私は彼の膝を跨いで馬乗りに向かい合う。
玄関先で彼の背中に押し付けた時から硬く上向いて、疼いてしょうがなかった胸の先端に至近距離から注がれる視線に、きゅう、とお腹の奥が熱を帯びて震える。
ほら、そんなにギラギラした瞳で見つめてくるくせに。
苺が太陽の光を浴びて赤く熟していくみたいに、私の身体もあなたの視線で弾けそうに熟れていくのに。
「……苺が嫌なら、代わりにココを食べてくれる?」
「し、しほ……?」
戸惑いの色と、その奥にギラついた欲を宿す青灰の瞳を見つめながら、そっと彼の腿を手でなぞり上げる。
その終着点に、灰色のスラックスの中ではち切れそうに硬く膨らんだ熱を確かめて、私は甘いため息をついた。
「ねぇ、早く食べて? 意気地無しさん」
私、早くあなたのモノになりたくてたまらないの。
あなた好みに味付けされて、ドロドロに汚されて、練乳まみれの苺みたいに全部残さず食べられてしまいたい。
熱を帯びた青灰が獣じみた情炎に染まりきった瞬間、私の心は歓喜に震えて蕩ける。
それはまるで、練乳がけの苺を通り越して、コトコトと甘く煮詰めたジャムになってしまったような気分だった。