蕾 駅前の商業施設に入った映画館は流行りの作品がロングラン上映中ということもあり、館内ショップも賑わっていた。
そこへ春休み期間も加わり、あちこちで子供の声も聞こえる。
「お待たせ、混んでたのよー。早めに行って良かった」
女子トイレから出てきた彩子に流川は頷くと、二人でフード売り場の前に移動した。
バスケットボールと睡眠以外に興味が希薄な流川が映画館にいるのは、偶然だった。
久し振りのオフ日に、下のフロアにある靴屋にバッシュを見ようと入る直前、たまたま居合わせた彩子に声を掛けられたのだ。
中学・高校と同じ二人は生活圏が被っているためこれまでも休日に遭遇することは何度があったが、そこから共に行動するのは今回が初めてだ。
彩子に曰く。映画開始の一時間前に待ち合わせをしていた友人がなかなか来ず、痺れを切らせて公衆電話から友人宅へ連絡すると、こちらへ向かう途中、階段から落ちて捻挫したという。
友人も慌てて彩子の家に電話をしたが既に出たあとで、行き違ってしまった。
申し訳ないと謝る友達に怪我が理由なら仕方ないと彩子は言ったが、それでも映画に気持ちが向いていたので予定とは違うものを観に行くことにした。
すると流川と出くわしたので、なんとなく、誘ったのが発端である。
『映画……?』
『そ、今から観るんだけどあんたもどう?』
映画館に来たのは小学校の低学年以来かもしれない。流川は当時観たであろう映画を思い出そうとしたが、ナントカレンジャーだったか、巨大怪獣だったか、どれも定かではなくすぐに諦めた。
彩子の誘いを断ることもできたが、だからといって断る理由もなく、流川は話に乗った。
ポップコーンとコーラを頼んだ彩子に続き、流川はホットドッグとサイダーを頼む。
彩子は映画は観るつもりでも、どれを観るかは決めていなかったらしい。
『流川は観たいやつ、ないわよね』
『っす』
映画鑑賞を目的にここへ来ていたわけではないので当然である。
『あんたが寝ないで観れるやつってなんだろ。ラブストーリーは無理だし、コメディで万が一寝られても腹立つし、アクションは今度観に行くからナシで……』
『……』
言いたい放題だが、言い得て妙の部分もあり、そもそも口で彼女に勝てる男がいるのかも怪しくもあり、それなりに後輩としての自我もある流川は何も言わず彩子の解を待った。
『そうだ、ホラー。ホラーならどう』
『は?』
一番観る人間を選ぶジャンルでは、という言葉を飲み込んだのは、彩子の顔が好奇心に満ちていたからだ。
この瞬間、“映画を観る”ことから“流川の面白い反応が見られるかも”に彩子の気持ちがシフトチェンジしたのを流川はまざまざと感じた。
全くこの先輩は昔からこうだ。
からかうつもりが満々で微塵も隠そうとしない。
こんな誘いをするくらいなので彩子自身はホラー映画の免疫があるのだろう。
一方普段から映画を観ない流川にホラーの免疫は一層に皆無だ。彩子が指す映画も、どんな内容か見当がつかない。
ホラー映画……。
見当はつかないが、流川は負けず嫌いだ。
それに対しての自覚は少しだけあった。
『それじゃあ、ホラーで』
『お! 言ったね。へへっ』
かくして各々の食事をトレイに持って、二人はエスカレーターでワンフロア上のシアターに移る。当日券を取った座席はど真ん中より下手側の後方で、ほどほどに埋まっていた。
「上映前の予告も楽しみの一つよね。あ、ポップコーンが欲しかったら取っていいから」
「っす」
何本かの予告映像が流れた後、配給会社のロゴが浮かび上がる。
ホラー……。
事前情報の一つもなく座席に座ったことに後悔こそないが、流川はほんの少し身構えた。耐性の有無が分からないほど、これまで無縁だったのだから仕方がない。
まあ、なんとかなるか、と一呼吸してから左に座る彩子を見る。きっと余裕綽々なんだろうなと思いながら。
すると予想に反し彩子も流川を見ていた。
「なぁに? ビビってんの?」
「んなわけねぇ」
ニマリと笑みを浮かべた彩子はいつも通りだったが、暗闇で見たからか、耳元で囁かれたからか、もしくはその両方か、流川はわずかに目を見張った。
その反応をどう思ったのか彩子はふふ、と彼女らしい笑い方をして、スクリーンを向いた。
流川もそれに倣った。
[きゃー!]
序盤の導入から起伏の激しいストーリー展開で、二時間に満たない物語は瞬く間に終盤へと差し掛かる。
彩子の目論見どおり流川は一睡もせず過ごした。
場内に響き渡るヒロインの叫び声に観客は何度も手に汗握り、固唾を呑む。流川も初めてまともに観るホラー映画に集中し興奮状態にあった。
観客の最高潮に高まったボルテージを裏切ることなく、期待を超えた結末を持ってエンドロールを迎えた。
「すげー……」
「ほんと、まだちょっと鳥肌が立ってる」
最後のクレジットを見届けてから二人は席を立った。
「流川はホラーがいける口ね」
「先輩も」
「でなきゃ観ようなんて言わないわよ。でも映画館で観たのは初めて! やっぱり大画面は格別。あんたのお陰よ」
満足げに頷く彩子は流川の視線に気づくと理由を続けた。
「ホラー映画を映画館で観たいなんて、相当人気の作品か元からホラー映画が好きな人じゃなきゃ思わないでしょ。まわりにそういう子がいなかったから、さすがに一人はイヤだし」
「一人も二人も……」
「変わるでしょ! さすがにホラーは!」
あんたらしいけど! と、彩子は呆れたように流川の背中を叩いたが、流川にはピンと来なかった。内容が変わるわけではないに、と彩子が聞けばまたため息をつくであろうことを考える。
「これからバッシュを見て帰る?」
「うす」
「私はどうしようかな。十五時すぎって一番中途半端じゃない?」
何と比べてかは分からないが、先程のやり取りを思い浮かべて流川はとりあえず相槌を打った。
「私も一緒に見に行こう。それで靴を見てからカフェに行こう。気になってるお店があるのよ」
そこに流川の意見などなかった。
よーし、早速見に行こう! と段取りよく進める彩子の背中を流川は懐かしく眺めた。
中学時代、女子バスケ部のキャプテンだった彩子はいつも威勢よく快活に部をまとめて仕切っていた。
同じ体育館で隣のコートを使っていた男子バスケ部の下級生である流川は、その姿をよく覚えている。
多分、流川の知っている異性で一番明るくて元気が良い。
そんな彼女がホラー映画好きとは。
合点の行くような、意外なような。
「面白そーなやつ、またやってたら」
「誘うわよ! 当然!」
腕まくりでもしそうな勢いで答える彩子の表情は極めて健康的だ。本人の資質と嗜好の関係は不可思議なものだが、流川が思い至ったのは別の所だった。
誘われたのが自分で良かった、と。
「まだ、心臓が変な感じ」
「あら意外にちゃんと怖がってたの?」
「怖くはねー」
「強がるなって」
可愛い所もあるじゃない。
嬉しそうに彩子が小突いてきた右側がほんのり熱くて、流川は首を傾げた。
それはそれとして数時間後にはカフェでスイーツを食べる流川に、彩子が「似合わない!」と涙目で笑うのだが、それはまた別のお話。
終