ほまちあめ ——さあさあ。
——さあさあ。
自室を包むような広く小さな音に、隣に座るスレッタも気が付いたらしく、絡んでいた視線をついと窓へと向け、感嘆の声をあげる。
「雨ですよ、エランさん!」
晴れやかな笑顔で振り返った彼女に、こくりと頷いておいた。
——本日は午後5時から雨の散布予定。
数ヶ月前から予告されていた通り、天井パネルからは人工雨が降り注いでいる。いつもならばオレンジ色に切り替わっている映像も、暗いグレーがまだらに映し出されていた。
多くの住民が疎ましく感じる雨の散布日も、スレッタにとってはそうではないらしい。ブルーグレーの瞳を輝かせながら、腰掛けているベッドのすぐそばにある窓から外を眺めている。さらには時折目と口をぴたりと閉じて、雨粒の音を聴いているようだった。
何がそんなに楽しいのか、尋ねてみたい気持ちもあったが、黙ってスレッタの横顔を見つめていた。
スレッタが口を閉じてしまえば、自室には人工雨のざわめきだけが残された。
フロント全体に降り注いでいる人工雨だ。小さな水滴と言えどもかなりの水量になるはずだが、その降り注ぐ音はいつもの自室を静かでどこか落ち着いたものへと変えていく。
ふいに、赤いまつ毛がぱちりと上がり、お互いの視線が交わる。ブルーグレーはいまだキラキラと輝いていた。
「エランさん!私ちょっと外に出てきます!」
「………………えっ」
今にも飛び出してしまいそうな様子に、慌ててベッドに突いている彼女の手を捕えるように自分の手を重ねる。手の中の柔らかい肌がぴくりと跳ねた。
「濡れるし、これから気温が下がるから風邪を引くかもしれない」
「ほわっ!エッランさん、ててっ!手がっ!」
自由な手をブンブンと音がするほど振り回しているスレッタに「聞いてる?」と尋ねてみても「手が」としか返ってこない。仕方なく、重ねていた自分の手を退けると、彼女は大きく息を吐き、捕らえていた手を守るようにもう一方の手で包んだ。
彼女のその様子に喉が詰まるような痛みを覚えたが、ひとまずそれを無視してもう一度外へ出ることの懸念を伝える。
しかし、こちらの心配をよそにスレッタは笑顔で「身体は丈夫なので!」「タオルも持ってきてますし!」と、聞き入れる様子はない。
——スレッタ・マーキュリーは頑固だ。
彼女が言い出したら聞かない性分であることは、何度も重ねた交流の中で気がついていた。
それならば、可能な限り彼女が濡れないようにするしかない、と小さくため息を吐き、頭を切り替える。
とは言っても、人工雨の散布日は事前に告知されているので基本的に外出する人間は自分を含めほぼいない。だから、濡れないように外出する方法など考えたこともなかった。この日のための特別な備えなども——と、考えているうちにふと、ペイル寮の備品リストの存在を思い出す。
生徒手帳を取り出し、自寮の備品リストにアクセスする。この間、ありがたいことにスレッタはひとりで外に飛び出すことなく、黙って待っていてくれた。
備品リストに検索ワードを入力し、数秒後——
「……あった」
「エランさん?」
◇◇◇
——ぱたぱた。
——ぱたぱた。
弾けるような音が頭のすぐ上からひっきりなしに響いている。連続する単調な音はともすれば騒音にもなりかねないが、意外にも煩わしさは感じない。
「うわぁ……すごい」
スレッタの声がいつもより近い。実際、肩が触れそうなくらい近くにいる。それもそのはず、今自分たちはひとつの傘に一緒に入っているからだ。彼女が濡れないように外に出る方法は、「傘を差す」というなんとも前時代的な方法で解決した。
「なんだか、すごく静かです」
「……そうだね」
きょろきょろと辺りを見回す彼女に、それは外出している人間が極端に少ないからだとは言わないでおいた。
「お気に召した?」
通じないと理解しているが、それでもひと言くらいはと皮肉を投げてみたが、やはり通じていなかったようで「はい!」と弾けるような笑みとともに返事が返ってくる。
それよりも、傘を差していても意外と濡れる。スレッタとは反対側の自分の肩がどんどん湿っていくのがわかった。傘を使うのが初めてだからだろうか。
せめて彼女が濡れないようにと持ち手の角度を調整していると、辺りを見回していると思っていたブルーグレーの瞳とぶつかった。
「どうしたの」
「エランさんの声、いつもと違う気がします」
「……?」
喉に手を当ててみるも、特に不調は感じない。先ほど喉が詰まるような感覚があったが、それも一瞬だったので今まで忘れていた。その程度だ。それよりも——
「きみの声も少し違う気がする」
「えっ、ほんとですか!?」
あー、あー、と出す彼女の声はやはりいつもと違う。しかし、喉を痛めたような声ではない。むしろ、いつもより雑音が少なく、クリアに聞こえるような……。
「……雨が降ってるから?」
普段と違う状況下ではそういうこともあるだろう、とひとまず結論づける。スレッタも「そうかもです!」と同意してくれた。
それからは、彼女が傘を持つと言い出したり、お互いが濡れないように身体を寄せ合ったりした。まるで世界にふたりきりのように。