鴉は鳴か無い「スレッタ!エランさんが来てるよ」
「うえっ!?」
――この日は、会社に呼ばれてるから。
スレッタがエランとお互いのスケジュールを確認している時、確かにそう聞いたはずだった。少し残念に思ったことも、分かりましたと返事をしたことも覚えている。だと言うのに――
「急に来てごめん。……、近くに用事があったから」
「い、いえ……」
ニカに見送られながら急いでスレッタが向かうと、いつも通りの涼やかな視線を湛えたエランが地球寮の入り口でぽつんと立っていた。
立ったままにするのも忍びなく、寮に招こうかと考えて、他のメンバーらがあまり良い顔をしないかな、とうだうだ考えているうちに当の来客の方から「向こうにベンチがあるんだけど」と提案されたのでスレッタはエランについて行くことにした。
寮を出て少し歩くと毎朝の通学でよく目にしているベンチが、夕陽色に染められその趣きを変えていた。
あまりこの時間に見ることはなかったなと思いながら腰掛け、エランも隣――とても近くに座った。
「………」
あまりの近さ――いつもなら拳二つ分は空けて座るはずが、肩が触れそうな距離にスレッタは声も出ない。しかし、エランの方はと言うと、憎たらしいほどいつも通りで、沈みゆく夕日へ視線を向けていた。こうも変わり映えのない表情をされては、距離の近さに疑問を投げかける気力も湧かず、スレッタは黙るしかない。
スレッタがじりじりと焦ったい気持ちをなんとか押し込めていると、ふと視界の端でエランが身じろぎをするような動きをした。次いで軽い衝撃が右肩にかかり、頭が急に重たくなる。
「……っ……」
驚くことに、エランがスレッタに寄りかかっていた。その上、スレッタの頭頂部をすりすりと頬で撫でるように頭を動かしているのだから、余計にスレッタは身体を硬直させた。
「……」
嫌ではない。自惚れでなければ、エランとは親しい友人付き合いをしていると言って良い。だが、いつもの――拳二つ分の距離を突然乗り越え、おまけに身体を預けるようにされては、恋愛どころか同年代との交流も初歩のスレッタにできることはなかった。
(どう、すればっ……)
いつもなら、困っているスレッタを助け出してくれる存在が今はその困りごとを作り出しているのだから、途方に暮れてしまう。
せめてなにか話題を、と混乱の最中にある頭脳をぐるぐると回転させ、エランは会社から戻って来たばかりのはず、と思い至った。
「お、おおっおお疲れです、かっ!?」
スレッタの問いかけにエランは頬擦りをやめ、たっぷり数十秒使って「わからない」と答えた。
「わからない、ですか……」
「うん……」
再び沈黙がその場を支配する。
わからない、と答えたエランの声に不自然なところはない。しかし、スレッタはなぜか胸に引き絞られるような痛みを感じた。痛くて、苦しいはずなのに、妙に心地よいそれに背中を押され、自然と腕が持ち上がる。
さらり、とスレッタの指がエランの長い前髪を梳く。
「嫌、でしたか……?」
「……嫌じゃないよ」
頭のすぐ上から発せられた声は先ほどの返答よりも随分早かった。
エランの声を境に、スレッタも口を閉じた。
二人の間に横たわる沈黙は今までとは違っていた。
――吸って吐く息、髪と髪のさりさりとした摩擦音、時折スレッタの指先が地肌に触れる音。
オレンジ色の光が赤みを増し、すっかり消えてしまうまで、ふたつの影は寄り添っていた。
タイトル:鴉雀無声より