その10 石箱を探す3人翌朝、ポトツキがヨレンタに「手伝ってほしいことがある」と言った。
彼は小屋の外に出て、森の方を見ていた。
「コハンスキ君、馬の様子を見てきてくれ。」
コハンスキは無言で頷き、馬小屋に向かった。
「ヨレンタは私と一緒に来てくれ。」とポトツキは言った。
ヨレンタは黙って従った。
彼女は不安げに尋ねた。
「私は、何をすればいいんですか?」
ポトツキは、じっとヨレンタをじっと見つめた。
-----(5/11追記)
「ヨレンタ、君を異端者と見込んで、頼みたい事がある。
私の死んだ息子も異端者だった。養子だったが、本当に自慢の息子だった……。
今から10年前で、まだ12歳だった……。」
彼の肩まである長い髪と、口ヒゲは真っ白で、ポトツキの苦労を偲ばせた。
「え……そんな……。」
ヨレンタは、驚きで手で口を覆った。
「自殺だったんだ……。拷問の前日に毒を煽ったらしい。
しかし、私は異端審問官に殺されたようなものだと思っている。」
彼はヨレンタを見つめたまま、話しを続けた。
「私と一緒にいるコハンスキは、私が開いていた私塾の生徒で、ラファウの同級生だった。――しかし、ラファウの事で、悲しみ苦しむ姿を見た事がない。
ただ淡々と、私に付いてきてくれる。
だが、コハンスキの気持ちも分かる。私も、かつて異端者だった。
二回目の異端は火刑になる。出来るなら異端とは、関わりたくはない。」
ヨレンタは疑問をぶつけた。
「それなら、何故、私を助けてくれたんですか?」
ポトツキは、目を閉じた。
「きみが……ヨレンタが、ラファウと重なったからだ。」
「ええっと……。」
ヨレンタは困惑した。
ポトツキは、絞り出すように声を出した。
「これは、私のエゴだ。ラファウを救えなかった罪を、君で癒そうとしている。
ヨレンタ、君はまだ若いが、君のその若さの中に、どんな苦悩にも耐える強さを持っているように思える。どうか私を助けて、息子の仇討ちを手伝って欲しいんだ。」
「かたきを、うつ ですって……!?」
ヨレンタは、驚愕で身体が震えた。
****(5/13追記)
「私には、無理です……! 無力な十四歳の女の子なんですよ? 身寄りもなくて、教会から逃げ回っている私に、期待しないで下さい!」
ヨレンタは必死で、ブンブンと両手を振った。
その様子を見て、ポトツキは微笑んだ。
「ふふっ。表現が物騒だったかな?
慌てさせてすまないな。
ヨレンタが怯えない様に、言い換えよう。
仇討ちといっても、人の命を奪う訳ではない。
名誉の回復……といった所かもしれない。」
(え?!)
ヨレンタは驚いた。このポトツキという人物。
第一印象は、冷たく得体の知れない感じがしたが、実際は柔和な人物なのかもしれない。
非情な出来事を経て、心の鎧を纏っていたのかも……。
「あぁ!……そうなんですね。ビックリしました。
ポトツキさんは、そもそも何で私に頼もうと思ったんですか?」
ポトツキは、倒木に手を添えて腰を下ろした。
空は曇っていて、鳥の鳴き声がする。肌寒かった
「ヨレンタ、いや……ヨレンタくん。
君のその頭巾は……都市近郊の織工のものだな?
上級市民しか手にできん上等品だろう?」
ヨレンタは、はっとして目を見開いた。
「それに、君のその丁寧な言葉使い――ポーランド語に時々ラテン語が混じる癖。修道院か、学術院で学んだ証拠だろう?」
ヨレンタはゴクリ、と喉を鳴らした。
「君は”何もしていない”のに、異端として捕らえられた、
と言ったが、本当は、天文学の研究をしていたのでは?
それで、地動説に関わった―――。」
「……………………。」
ヨレンタは無言でポトツキを睨みつけた。
ポトツキはふぅ、と息を吐いた。
「ヨレンタくん、ひとつ、昔ばなしをしよう。
私は『普遍論争』では”トマスの実在論”を支持している。
この世の全ての自然現象は、神が創られたものだ。
観測によって、神の実在を証明したいと思った。
そう思って、天文学を研究していた。だが――。」
ポトツキは重々しい声で言った。
「天文学を、天動説を、深く学ぶほど矛盾が生じた。
『惑星は何故、逆行するのか?』
『地球を中心とした惑星の周期は、何故、こんなに複雑なのか?』
万物の創造主である神は、間違いを起こさないハズだ。
それを証明する為に、愛弟子と天文研究を続けた。
天体観測をし、記録をまとめ、大学で論文を発表した。
その場に、教会関係者がいて司教に伝わった。
そして、異端として私も弟子も捕まった。
今から十七年くらい前の事だ。」
「そんなの……!」
ヨレンタは叫んだ。そして葛藤した。
(ダメだ!何もするな!お父様だって言ったじゃないか。
いや、もう私の人生は終わっている。
ならば、もう何をしたっていいじゃないか。)
「……いえ、ポトツキさんのいう事、信じます。
私は普遍論争では”オッカムの唯名論”を支持しています。
オッカムの剃刀(かみそり)の……。
でも神様の存在は信じてます。真理の探求にはある種の
大胆さは不可欠だと思うからです。」
ポトツキは、うんうんと大きく頷いた。
「なるほど、ヨレンタくんは、思考の節約の為にオッカムを支持している訳か……フベルトと同じだ。」
「フベルト……っていうのは、一緒に捕まったお弟子さんの名前ですか?」
「そうだ。フベルトは真理の探求に全人生をかけていた。
私は痛みに弱くて、すぐに諦めてしまった。
だが、フベルトは七年間も拷問に耐えた。
そして、出所後も地動説研究をしていたらしい。
ラファウは、よく夜中に出かけていた。
フベルトの天体観測を手伝っていたのか?
楽しみを奪ってはいけないと思い、知らんぷりをしていた。
そしてフベルトがラファウを庇って、異端として捕まり、
火刑になった。
フベルトの火刑を、ラファウも私と一緒に見ていたのに……それで、諦めてくれると思ったのに……。
ラファウは、フベルトの地動説研究を受け継いで、異端となり、その研究を守るために自殺した。」
ポトツキの瞳には怒りでも悲しみでもなく、諦めと決意の色が宿っていた。
「そう、復讐ではない。私は、ラファウらの人生が無意味ではなかったと肯定したいのだ。名誉の回復だ。……だが、そう言い換えても、本質は変わらないかもしれん。」
森の木立から風が吹き抜け、枝が小さく軋んだ。ヨレンタはその音に紛れるように、静かに問うた。
「その……“敵”とは、一体誰なのですか?」
「異端審問所の中心人物……ノヴァクだ。」
ポトツキがその名を口にした時、ヨレンタに衝撃が走った。父の名前だった。
「ラファウを尋問し、毒を仄めかしたのも、彼だったと聞いている。」
「そんな……。そんな、恐ろしい事を……。
信じられない……どうすれば、いいの……?」
ヨレンタは、自分の手を見下ろした。
豆だらけの小さな手に、父親に立ち向かう力があるとは思えなかった。
ポトツキはヨレンタの手を握り答えた。
「私たちだけでは無理だ。だからこそ、“改革派”の助けが必要になる。彼らの力を借りるんだ。”改革派”は
不良集団だが、腐った教会を倒そうとしている。」
「ええっと……。」
ヨレンタは困惑した。
※当時のC教改革派は、派閥に分かれて争っていた。
穏健派もいたが、強盗団同然に村々を襲う過激派もいた。
「そんな事……急には受け入れられません。
考える時間を下さい。」
ヨレンタは必死で懇願した。
その時、ぐぅう と大きな音がなった。空腹だった。
彼女は、恥ずかしくて顔を赤くした。
「分かった。ヨレンタくん、急かして悪かった。
朝ごはんにしよう。小屋に戻ろうか?
コハンスキが朝食を用意してくれている。」
そう言ってポトツキは、ヨレンタに手を差し伸べた。
****(5/16 注釈を追記)
当時のC教改革派は、派閥に分かれて争っていた。
穏健派もいたが、強盗団同然に村々を襲う過激派もいた。
※解説 C教改革派について
アニメでは改革派/原作ではH派は、現実世界では、【フス派】と呼ばれ、のちにプロテスタントとなる人々のことである。キリスト教は中世において、C教のモデルであるカトリックが腐敗し、免罪符の売買などを行った。
それに反発してプロテスタントという人々が生まれた。
◇カトリックとプロテスタントの違い
カトリック・・・最高権威がローマ教皇
聖書の解釈権限は教会に委ねられる
教会建築が豪華絢爛
離婚・避妊・妊娠中絶・同性愛が禁止
プロテスタント・・・最高権威が聖書
聖書の解釈権限は個人に委ねられる
教会建築が質素
離婚・避妊・妊娠中絶・同性愛が許されている