高校生夏太郎とダブり尾形(2/3)11きぐるみを着て
夏太郎がベッドでうつ伏せになって漫画を読んでいると、母親に呼び止められていた百之助が部屋に戻ってきた。顔をそちらに向けると「リビングに」と言いながら百之助もベッドに上がってくる。
夏太郎は窓際に寄りながら言葉の続きを待った。
「飾られてる写真の、泣いてるお前」
「ああ……」
リビングの棚の上にはいくつかの写真立てが飾られている。夫婦仲睦まじい写真や、家族全員揃った記念写真などが飾られている中、とあるテーマパークのキャラクターと撮った大泣きしている夏太郎の写真がある。
夏太郎自身にその記憶はないが、幼い頃はありとあらゆる着ぐるみが苦手だったらしく、親が「ほら、写真」「握手しておいで」と背中を押しても泣いて嫌がっていたらしい。
写真の中の夏太郎もベビーカーに乗っているから逃げられていないだけで、身をよじって大泣きしている様は今にも激しい声が聞こえてきそうな臨場感があった。
「随分と可愛らしいな」
「可愛いですかぁ? アレ。俺的には嫌なんですけどね……」
並んでうつ伏せた百之助が「ははぁ」と笑う。
夏太郎は読んでいた漫画のカバーの折り返しを挟み、百之助の顔を見た。
「あそこに、今度夢の海行ったときの写真も並びますからね?」
「はぁ?」
楽しそうだった百之助の顔が一変する。皺の寄った百之助の眉間に手を伸ばすと、触れるより先に捕まった。夏太郎は楽しそうな声を上げる。
「アトラクションに乗ったら写真撮られるやつあるんで。百之助さんの写真も飾りますよ」
「お前」
「母ちゃんも楽しみにしてるんで」
「は〜〜〜〜」
百之助はわざとらしく大きなため息を吐いた。そう言われて写真を買うことを止めるほど百之助は冷酷ではないし、夏太郎もそのことを分かっている。
「この前のトラのやつもいいですけど、クマのをお揃いでもいいですよね」
「好きにしろ」
指と指を絡めてにぎにぎとする夏太郎に、百之助は諦めの声を上げる。
「楽しみだなぁ!」
夏太郎の弾んだ声が部屋に響いた。
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12いちゃいちゃする
部屋の真ん中に置かれたローテーブルには教科書とノート、ペンケースと配布されたプリントが一人分広げられている。
夏太郎はそれらと対峙しながら唸り声を上げ、たまにペンを動かし、たまに消しゴムを使い、たまに頭を掻きむしっていた。
部屋の壁に掛けられた時計を見ても、前回時間を確認したときからまだ三分しか経っていない。「テスト勉強」と言い出した百之助はソファに座ってうたた寝をしているようだ。夏太郎は振り返って、その寝顔を見る。
「百之助さんはしないんですか?」
「俺がいくつか分かってんのか?」
そんなやりとりをしたのは三十分ほど前だが、考えてみれば百之助が繰り返したのは高校一年生なので、二年生は今年が初めてのはずだ。そもそも一年生を二度繰り返したのだって出席日数が足りていなかったからであり、授業をまともに受けたのは夏太郎と同じ一年である。
今更そのことに気づいたが、気持ちよさそうに眠っている百之助を起こすのも気が引けて、夏太郎は左頬にだけ空気をパンパンにつめてプリントに向き直る。
とはいえ分からないものは分からない。授業を真面目に受けているわけではないから、ノートを見たところで書かれているのは「今! 俺が食べたいものランキング」だの、バイト代で何を買おうか考えているメモだのだ。
教科書をめくったところで、何がどうなってそうなるのか腑に落ちない。ペンを握ったところで、問題が解けるわけでもない。夏太郎は呻きながらテーブルに突っ伏した。
しばらくするとそうしているのも飽きて、夏太郎は顎をテーブルに乗せたままノートを引き寄せる。端っこに「☆俺の彼氏自慢☆」と書いた。その下に「かっこいい、優しい、いっぱいキスしてくれる、甘えてくるのかわいい、俺の行きたいとこにつきあってくれる、筋肉ある、革ジャン似合う、俺のこと大好き」と書き連ねる。
あとはぁ、と考えていると、
「面白いこと書いてるな」
「う」
耳元で声がしたのと、背中が重くなるのはほぼ同時だった。
夏太郎の腹に腕が回される。ぐ、と体重をかけてきた百之助が、夏太郎のペンを持つ手に自身の手を重ねた。
一体どうするのかと掴まれた手をされるがままにしていると、ノートの空いているスペースに「かわいい、何考えてるか分かりやすい、声がでかい、変なこと聞いてこない、裏表がない、俺のことが大大大好き」と書き込まれていった。
「ひゃくの」
「本当のことだろう?」
そう言って百之助は「俺のことが大大大好き」の文字の下に二重線を引く。
「ほん……そう、ですけどぉ……」
語尾が小さくなる夏太郎に、百之助は口の端を持ち上げた。耳に口を寄せられ、今度は夏太郎が書いた「俺のこと大好き」の下に波線を引いた。
「これも本当だな」
百之助がぼそぼそと耳元で囁く。
「これは意外だった」
そう言ってペンの先が指したのは「いっぱいキスしてくれる」の文字で、夏太郎は恥ずかしさが限界を越えた。
渾身の力を込めて百之助の手を払い、身をよじる。
下唇を噛みながら胸に縋り付くようにして百之助を見上げると、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに楽しそうな表情に戻った。左耳を揉まれ、額にキスされる。
「嫌じゃないだろうとは思っていたが、わざわざ書き出すぐらい好きだったのか」
「う〜〜〜〜〜、そりゃ……………好きですよぉ……」
声を上げて笑った百之助が体を後ろに倒したので、夏太郎も引きずられるようにソファに沈んだ。
腰を撫でる百之助の手が気になるが、目の前でニヤニヤと笑うその顔も気になる。夏太郎は唇を尖らせながら、百之助のワイシャツの隙間から見える鎖骨をなぞった。
「ふ」
「百之助さんだって好きでしょう?」
「まぁな」
噛みつくように口を大きく開けて百之助の唇を塞いだ。くすぐったそうに息を漏らしながら、百之助がたまに体を揺らす。
テスト勉強を再開したのはそれから三十分後のことだった。
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13アイスクリームを食べる
並んで座る夏太郎が「おいしい」と嬉しそうに笑った。
「今までチョコモナカジャンボ一択でしたけど、これも美味しいですね」
手には百之助に勧められて買った青い包みのジャイアントコーンが握られている。コンビニから家までのわずかな距離でも、夏の日差しは容赦ない。夏太郎は柔らかくなり始めたチョコレートアイスにかぶりつく。
上に乗っているチョコレートクランチをこぼさないように気をつけながら、大きく口を開いてパクパクと食べ進める夏太郎を眺めていた百之助は
「夏太郎」
と名前を呼んだ。
百之助を見た夏太郎の口の端についているアイスを親指で拭い、そのまま口の中に入れる。突然のことに驚いた夏太郎はわずかに頭を後ろへ下げたが、百之助の親指は抜けなかった。
「んえ」
「アイス、ついてたぞ」
仕方ないので夏太郎は百之助の指を口に含み、べろりと舐める。チョコレートアイスの味がしたのは最初だけで、あとはもう百之助の指の味しかしない。
チョコモナカジャンボをかじる百之助は夏太郎を見ているが、指を抜く気配がない。夏太郎は空いてる手で百之助の手首を掴んで口から親指を抜く。
「はは」
よだれでべたついている自分の親指を眺めて百之助は笑った。
「アイス、溶けてるぞ」
「え、あ、うわ」
垂れてきたアイスを慌てて舐める。急いで溶けてきている部分をかじり、百之助を睨んだ。
「そんな怖い顔するなよ」
「誰のせいだと」
「口の周り汚したお前だろ」
言いたいことはまだあったが、先にアイスを食べないといけない。部屋の中はクーラーが効いているとはいえ、冷凍庫ではないのでアイスがどんどん溶ける。
機嫌のいい百之助を見ながら夏太郎はコーンをかじった。
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14性転換
薄ぼんやりと暗い部屋の中で目を覚ました百之助は、ゆっくりと瞬きをしてから隣で眠る夏太郎に抱きついた。
枕から落ちた頭は夏太郎の柔らかい胸に埋まる。ふかふかとしたそれは気持ちよくて、百之助は鼻を膨らみの間に押し入れた。
「ん……?」
柔らかい胸? ふかふか? 確かに夏太郎は筋肉隆々なわけでも、ガリガリに痩せ細っているわけではないので多少の柔らかさはあるが、今、百之助が顔面に感じているそれは男体のものではない。どちらかというと女体の柔らかさだ。
腕を回した夏太郎の体は記憶よりも細く、丸みを帯びている。百之助は夏太郎の胸に顔を埋めた。どうせ夢だ。それならこの柔らかさを存分に味わっておけばいい。
女がいいとも男がいいとも思わないが、普段とは違うものが楽しめるのはお得感があっていい。
「百之助さん、赤ちゃんみたい」
頭上から声がしたので顔を上げると、ふにゃりと笑う夏太郎と目が合った。いつの間にか目を覚ましたらしい。いや、夢の中だから目を覚ました、というのは変な話か。
黙っていると頭を撫でられる。その優しさが気持ちよくて百之助は目をつぶった。ご機嫌な夏太郎の笑い声が耳をくすぐる。
「赤ちゃんだから、おっぱい飲みますか?」
はあ?
さすがに、お前、それは。
文句を言おうと百之助が顔を上げると、夏太郎がTシャツの襟を大きく伸ばしてきた。じりじりと露出される胸から目が離せない。付き合っているとはいえ、そういうことは。
「百之助さんもおっぱい出してください。ね?」
そう笑った夏太郎が百之助のシャツの裾に手をかけた。見てみれば、自分の胸も大きく膨らんでいる。女同士ならいいのかもしれない? いやでも、待ってくれ。男同士で風呂に入るのとは違うだろう。
「かん」
夏太郎の手を掴んで静止させようとしたところで百之助は目を覚ました。目の前には突然腕を掴まれて驚いている夏太郎がいる。しっかりと、ちゃんと、男の腕だ。
「変な夢見たんですか?」
顔にかかった前髪を夏太郎が払う。百之助は首を横に振りながらちらりと夏太郎の胸を見た。膨らんでいないし、ぼろりと出されてもいない。自分の胸も同様に大きくなっていない。
安心したように大きく息を吐く。夏太郎の胸に顔を埋めると、夢の中と同じように頭を撫でられた。男体でも女体でも、夏太郎だからいいんだよな。
「百之助さん可愛い」
機嫌のいい夏太郎の声を聞きながらそう思った。
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15いつもと違う服で
鏡に映る自分の姿を見て、夏太郎は満足そうに笑った。
バイト代で買った本革のライダースジャケットはとてもよく似合っている。前にこっそり百之助のものを着たときに感じた違和感は、サイズが合っていなかっただけらしい。ポケットに手を入れてみたり、チャックを閉めてみたりしてみるが、どの角度から見てもしっくりきている。
欲しかったものが買えた喜びもあるが、百之助とお揃いで着れるのも嬉しい。
「早く涼しくならないかな〜」
と夏太郎が大きく伸びをしていると、百之助が部屋に入ってきた。
「お前」
「へへー! 買ったんですよー!」
どうです? と夏太郎は体を左右にひねって、三六〇度全ての角度から見てもらおうとする。百之助は後ろ手でドアを閉めた。
「似合ってる似合ってる」
「涼しくなったらお揃いでデートしましょうね?」
褒められてご機嫌の夏太郎はくるくる回りながら百之助に抱きつく。百之助はそれを受け止めて夏太郎の頭を撫でた。
「まだ暑いもんな」
「そうなんですよぉ! 夏は好きですけど、あーあ、早く涼しくならないかな」
クーラーが効いている室内で着るには問題がないが、残暑が厳しい外で着るには問題が多い。中に着る服をどんなに薄くしても長袖は長袖だ。
夏太郎が唇を尖らせていると、両頬をぎゅむ、と潰される。
「はは」
「うーーーー」
夏が終わって秋が来る。進路のことを考えるように担任から言われた。どうでもいいというのは嘘になるが、そこまで真剣に考えられないのは本当だ。行けるところに行ければいいかな、できたら百之助さんと同じがいいな。
そう思いながら百之助の目を見た。
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16添い寝
「たまには気分を変えようと思いまして」
と夏太郎が床に転がしたのは二つの寝袋だった。
ローテーブルは畳んで部屋の隅に置き、ソファはベッドの上に上げられている。開けられたスペースは確かに二人が並んで寝れるぐらいの広さがあるが、突然のことに百之助は面食らった。
「キャンプ用品見つけたんで、使ってみたくて」
「きゃんぷ」
「テントもあったんですけど、夜はまだ暑いですし」
「あー……」
「庭にテント張るのも楽しそうなんですけどね」
寝袋を広げ出した夏太郎を眺めていると、百之助さんも、と渡された。こうなった夏太郎は何を言っても聞きはしない。大人しく従うしかないのだ。例え家の中でも寝袋は暑いだろ、と言ってもクーラーの設定温度を下げられて終わる。
百之助は諦めたように寝袋を広げた。
「百之助さんは寝袋で寝たことあります?」
「ないな」
「ですよねー。俺もなくて。だから面白そうって思ったんですけど……」
そう言いながら夏太郎が寝袋の中に入り、チャックを閉めた。顔だけ出てる姿が可愛かったので百之助は思わず写真を撮った。
「なんか……そうか……」
ぶつぶつと言いながら夏太郎はクーラーのリモコンに手を伸ばした。ぴぴと電子音がして設定温度が下がった。夏太郎が寝袋の中に収まっている写真をもう何枚か撮っておく。
それから百之助も寝袋の中に入った。
身動きが取れない状態は新鮮だ。全身が包まれている、という意味では安心感があるが、隣に並ぶ夏太郎を見て「遠いな」と思う。
シングルベッドに二人でギチギチになって寝ているよりも、距離が出るのは当たり前だ。そもそもシングルベッドは男二人が並んで寝る大きさのものではない。
百之助は少し考えてから身をよじって寝袋ごと移動する。夏太郎の横にびったりくっついた。
「ふふ、百之助さん」
「何だよ」
「やー、ふふ、そうですか」
額をぶつけて夏太郎が笑う。彼が笑っている理由は明白だ。
「俺もそう思ってたんで。嬉しいんです」
「……そうかよ」
寝袋の中に仕舞ったままの腕はどちらも出さない。
触れる額と鼻先で体温を感じる。
「夏太郎」
「百之助さん」
名前を呼ぶと、名前を呼ばれる。
普段とは違う距離にもどかしさを感じたが、たまにはいいのかもしれない。
家でも学校でもくっつきすぎなんだよな。俺には夏太郎しかいないが、夏太郎には友だちが何人もいる。たまにはそいつらとも遊べばいいのに、ここ最近はバイトに行く以外は俺にべったりだ。夏太郎が俺にべったりなのか、俺が夏太郎にべったりなのか。
「ねぇ、今、俺じゃないこと考えてましたよね」
額を押し付けて夏太郎が不満を表した。
百之助は少し笑って夏太郎にキスをする。
「お前のことしか考えてねぇよ」
「ほんとですかぁ?」
疑いの目を向ける夏太郎にもう一度キスをした。
隣にいるのに少し遠い。
たまには。たまには?
機嫌を直した夏太郎が小さく笑った。
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17寝起き・朝の支度
パジャマを脱いで、今日のTシャツを何にしようかクローゼットの中の洋服ダンスの引き出しを開けて悩んでいると、背後でものの動く気配がした。夏太郎が振り返ると、布団をかぶったまま起き上がった百之助と目が合う。
「おはようございます」
「おはよう」
基本的に百之助は朝が強いと夏太郎は思っているが、今朝は特に寝起きが良さそうだ。はっきりと返事をしたし、首を左右に振って頭から布団を落としている。
クローゼットから離れ、ベッドに戻る。ぎし、と音を鳴らして片膝を乗せると、百之助が夏太郎の剥き出しの腹筋に触れた。
「へへ、腹筋、割れてきましたよ」
「だな」
それもこれもここ最近続けている筋トレのおかげである。初めは動画を見ながら動きを確認していたが、最近は秒数を数えるぐらいにしか使っていない。それも一人のときだけだ。百之助がいれば百之助に数えてもらえるので、動画を再生する必要がない。
夏太郎はもっと見てもらおうと両膝をベッドに乗せる。すると百之助が夏太郎の太ももの後ろに腕を回して抱き寄せたものだからバランスを崩した。
わわ、とこぼしながら窓枠に手をつく。壁と夏太郎に挟まれた百之助はどこか嬉しそうだ。夏太郎はその顔を見下ろしながら百之助の頬に右手を当てた。
「百之助さんも手伝ってくれてますし」
「まあな」
百之助自身が筋トレをしている姿を見たことはないが、それなりに引き締まっているように思う。本人曰く筋肉がつきやすい体らしい。
夏太郎はそれを聞いたとき「いいなー!」と声を上げたが、こうやってやったことが徐々に形になるのを見ていくのも達成感があっていい。筋肉がつきやすかったらわざわざ筋トレをしようとは思わなかっただろう。
「つまり百之助さんが半分作ったと言っても過言ではない……」
「ほー? じゃあ半分は俺の腹筋か」
「そうなり、ます、ね……?」
なるのかな。夏太郎は首を傾げながら百之助の言葉を肯定する。ますます機嫌を良くした百之助は夏太郎の腹に頬ずりをした。ついでと言わんばかりにヘソの中に人差し指をねじ込む。
「わぅ」
「はは。代わりに俺の腹筋、半分やるか」
「え! くれるんですか?」
「お前が欲しいならやるよ」
つつ、と百之助の指がヘソから腹筋の割れ目をたどって上がってきた。夏太郎はその手を取り、もう片方の手で百之助の肩を押す。
抵抗することも、文句を言うこともなく百之助は素直にベッドへ倒された。夏太郎は馬乗りになって百之助のパジャマをめくる。割れた百之助の腹筋をなぞりながら
「半分もらうの、どっちにしましょうね」
と笑った。
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18好きな事をする
ベッドに寝っ転がってスマホをいじる傍ら、ソファに座る百之助にちらちらと視線を送る。夏太郎は帰りに教室で配られた進路希望表を埋められずに困っていた。
プリントを見ながら、友人たちと「まだ何も考えられねぇよ」と笑っていたのは本心だ。高校生活もあと一年と少しなので、今後のことを考えないといけないのは何となく分かる。しかし将来やりたいことなんて思いつかないし、学びたいことなんてもっと浮かばない。できたら楽して金持ちになりたいが、そういう怪しい話に飛びつきたくはない。
バイトの飲食店は楽しいが、社員になりたいかと聞かれると答えに窮する。職場の社員はいい人たちだが、そこから聞く本社の人の話や他店舗の人の話がやばい。やばいというか怖い。俺はいい店舗に入ったんだなぁと、たまに社員の愚痴を聞きながら思った。
できたら百之助と同じ進路がいいが、そういう話を一度もしたことがない。聞いてみたいと思ったままずるずると先延ばしにしていた。聞くなら今では?
夏太郎は体を起こして、あくまでも自然に……と自分に言い聞かせながら口を開く。
「百之助さんって進路希望の紙、書きました?」
読んでいた漫画から顔を上げた百之助と目が合う。百之助は「ああ」と視線を一回天井に向けてから
「書いたぞ」
と答えた。
夏太郎は口を開けたまま固まる。
百之助を見つめたまま動けない。
自分から聞いたものの、まさか記入済みとは思わなかった。百之助も自分たちと同じく「将来のことをまだ考えていない」方の人間だと思っていた。確かにクラスメイトの半分ぐらいは進路をすでに決めていて、すぐに記入して担任に返している者もいた。大学進学を希望する者もいれば、専門学校を希望、就職を希望、いっそ白紙で返している者もいて「考えてる人は考えてるんだなぁ」と思った。
白紙で返す気にはなれなかったので一応プリントを持ち帰ってきたが、とはいえ何も浮かばない。将来を大きく左右するかもしれないのに、簡単に決められるわけないだろ。
「ええ……ちなみに、何て書いたんですか?」
「就職。色々あってコネがある。高校卒業したらそこで働かせてもらうって約束だから」
「え? え、待ってください、え、コネ? 約束?」
「俺としては高校中退でもよかったんだけどな。何でもいいから卒業してこいって」
「だ、誰が……?」
「…………世話になった爺さん」
夏太郎は首を傾げる。世話になった爺さん? そんな人の話、一回も聞いたことないぞ?
「お前はどうすんだよ」
「え? あ、あー……、どうしよっかなって思ってて」
ふうん、と百之助は言って漫画を開いた。
「親は?」
「大学行くなら行けば? って。でも別にやりたいことないですし、勉強好きじゃないですし」
「まぁ、高卒よりは大卒の方が後々便利だろ」
百之助の視線は完全に漫画だ。夏太郎は一人残された気分になる。
相談に乗って欲しいわけではないが、興味をなくして欲しいわけではない。じゃあどうして欲しいのかと聞かれると困ってしまう。
夏太郎はぶう、と頬を膨らました。
「百之助さんのバーカ!」
「あ?」
ソファから百之助が飛んでくる。夏太郎に馬乗りになると、ぐしゃぐしゃと頭や顔を無遠慮に撫で回した。
「うわ、あ、やめ」
そう言いながらも夏太郎は百之助を退かそうとしない。手足をばたつかせて暴れることもない。
はは、と笑いながら百之助は夏太郎の髪ゴムを外す。ぼさっとした髪に手櫛を入れた。夏太郎はその間、ずっと黙っていた。
撫でられるのとは違う手の動きが気持ちいい。もっとやって欲しくて百之助に頭を差し出す。
「お前の」
「……はい」
「好きなようにやったらいいと思うぞ」
「はい……」
今がずっと続けばいいのに、と思った。
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19正装
「ボタン上まで留めてる〜」
「お前もな」
「ネクタイも締めてるし〜」
「お前もな」
「普段の崩してるのも好きですけど、きちんと着てるのもいいですね」
「お前もな」
「……」
「……」
「……ほんとに?」
「前髪も全部まとめて結んでるのもいい」
「ええー、へへ、ほんとですかぁ?」
「去年もちゃんとしてたのか?」
「してたはずですよ? 卒業式なんで……」
「……」
「……」
「……覚えてないな」
「んふふ、たまにはいいかもですね」
「やだね。首が苦しい」
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20一緒に踊る
百之助が部屋に入ると、夏太郎がテーブルとソファを端に寄せていた。スペースができた部屋の真ん中で左腕を伸ばし、右腕を曲げてぐるぐる動き回っている。テレビではダンス動画が流れており、その動きを真似ているようだった。
「あ! 百之助さん!」
ドアの前で立っていた百之助に気づいた夏太郎が手招きをする。テレビを指差して「一緒にやりませんか?」と聞いてきた。
「何を」
「社交ダンス。漫画読んだらなんか楽しそうで」
検索したら色々あったんですよね、と笑う夏太郎の隣に立つと、右手を掴まれた。肩甲骨に夏太郎の手が添えられる。
「百之助さんは俺の肩に手を置いてください」
「ああ……」
言われるがままに夏太郎の肩の上に手を置き向かい合う。テレビからは軽快な音楽が流れている。
「踊れないぞ」
「俺もです!」
見よう見まねで足を動かしてみるがうまくいかない。二人して足元を見ると頭をぶつけ、かといって伸ばした腕の先を見ていると足が絡まる。動画の二人は簡単そうにくるくると回っているが、こちらはそうもいかない。
直接質問できるわけでもないので練習動画で指示される通りにしてみるが、これがなかなか難しい。
先に飽きたのは夏太郎だった。
笑い声を上げながら百之助に抱きつき、そのままベッドに押し倒す。
「こんなにくっついてたら、そりゃ部活の中で愛憎劇が生まれますよね」
「何だそりゃ」
「バイト先の先輩が社交ダンス部で。なんか大変みたいです」
「ほー」
夏太郎がくすくす笑いながら百之助の頬に唇を寄せた。
「人の話で聞く分にはいいですけど」
「自分の身に降りかかって欲しくない火の粉だな」
「ですよねぇ」
はむはむと頬を啄ばまれる。百之助は夏太郎の背中に腕を回した。
テレビではプロの大会映像が流れているようだが、夏太郎も百之助も興味をなくしたので見ていない。
「後で漫画読む」
「ぜひぜひ! 面白いですよ」
ご機嫌な夏太郎に頬を舐められた。