位置共有アプリが入っててよかったね「おーがたさーん、お見舞いですよー。可愛い可愛いかんたろくんが来てあげましたよー。尾形さんのだぁい好きな夏太郎くんですよー」
遠慮なしに病室の扉を開ける。個室だから他の患者さんに迷惑がかかることはない。俺はズカズカと部屋の中に入って、途中で買ってきたケーキの箱を尾形さんに見せた。
「お見舞いのケーキでーす。フルーツタルトがおいしそうだったのでそれと、ミルフィーユ買ってみました。尾形さんどっち食べますー?」
なんて。
話しかけたところで尾形さんからの返事はない。ついでに目も開かないので俺が見せびらかした箱も、ケーキも見てもらえない。もちろん尾形さんはケーキを食べないのでタルトもミルフィーユも俺が食べる。どっちも美味しそうだったので問題はない。
どうせならショートケーキも買ってくればよかったかな、なんて気がついた。俺しか食べないんだもん、三つ買って「どう分けんだよ」と怒られることはない。懐かしいな、去年だっけ。三つ目のチーズケーキは俺が手掴みで尾形さんに食べさせたの。ぜーんぜんうまく食べられなくて、ボロボロこぼれちゃってさ。クリーム系にすればよかったですね、って笑ったら、そういうことじゃないって言われちゃって。
あーあ、今の尾形さんとはそんな話もできないしケーキを食べさせてあげることもできない。俺は尾形さんの口についてる透明なマスクをトントンと叩いた。誰か入ってますかー?
信号無視で突っ込んできた車に吹っ飛ばされた尾形さんは丸五日眠ったままだ。大きい手術をしたみたいだけど、俺は尾形さんの家族でもなんでもないから医者から説明されることはなかったし、説明を聞いたと思う家族の人とも会ってないから何も分からない。
だから部屋の中でピッピッて鳴ってるこの機械の意味も、モニターに表示されている数字の意味も分からない。尾形さんの口を覆う透明なマスクだって、何の為についているのかは想像するしかない。フラペチーノとかタピオカを飲むストローより太いチューブが繋がってるんだよ? 白玉団子も吸えちゃうんじゃないの?
尾形さんが寝返りを打ったり身じろぎしたりしないのをいいことに、俺はお腹の上にケーキの箱を置いた。タイヤのついた椅子をベッドの横に動かして座る。
「ねえ」
立って見下ろすより尾形さんの顔が近くなった。俺は布団の中に手を入れて、尾形さんの手のひらをつつく。手の皺をなぞるように指を動かすと、尾形さんはいっつもくすぐったそうに笑ってくれたのだ。早く寝なきゃとか、もう起きなくちゃって言いながら、俺が満足するまでキスもしてくれる。
そういう合図だったのに今の尾形さんはなーんも反応してくれない。意味分かんない。なんで起きないの? 実はそのぶっといチューブが繋がったマスクから睡眠薬嗅がされ続けてるんじゃないの? だから尾形さんは目を覚まさないんじゃないの?
なんて、いくらバカな俺でもそんなことはないって分かってる。だけどさぁ、だったらさぁ、なんで?
「尾形さぁん……」
胸に顔を埋めると、布団の下から心臓の音が聞こえる。尾形さんは生きてる。生きてるのに、俺のことずっと無視する。俺なんかいないみたいに、ずっと寝たまんまで、いつ起きるのか分かんない。
後ろ頭がケーキの箱に当たった。するーっとほんの少し音を立てながら箱が布団の上を滑り落ちる。いいよ、食べるのは俺だけだし。床に落ちてぐちゃぐちゃになったって味は変わらないし。どうせ味なんて分かんないし。
「寂しいですよぉ」
小さな声と箱が潰れる音が重なる。
尾形さん早く起きてよ。そんで何してんだって怒ってよ。そしたら俺、落ちるケーキが悪いって笑うからさ。一緒に新しいケーキ買いに行こ? 今度はちゃんと尾形さんの好きなケーキ選ぶから。俺、尾形さんが好きなケーキ覚えるから。
尾形さんのいない尾形さんちのベッドは初めてじゃないのに、どうしても落ち着かなくて全然寝れなかった。明け方まで起きてからベッドに倒れ込んでみてもダメだった。
尾形さんのせいで寝不足だし、ご飯食べても味しないし、何やっても楽しくない。結局静かな病室でぼーっとするしかない。これだけ俺が病室にいるのに、他の人に会わないって何なの? 尾形さんって実はめちゃくちゃ嫌われてる? だから俺みたいな訳分かんないのをヒモにしてるの? それとも俺みたいなのをヒモにしてるから誰も来ないの?
「百之助さん」
握り返されない手のひらに耐えられなくなって、俺は布団ごと尾形さんを抱きしめた。早く起きてよ。じゃないと俺、お金なくなって死んじゃう。それか他の飼い主探さなきゃいけなくなる。
やだやだ、俺、尾形さんがいいよ。尾形さんじゃなきゃヤダよ。
啜り泣く声と電子音だけが響く部屋で、俺はほんの少しだけ眠った。