限界原稿ヲタク夏太郎『一週間ぐらい忙しくて連絡できないです』
ごめんなさい、と夏太郎は心の中で謝った。届かないのは分かっているが、スマホに向かって手も合わせる。
これは自分の怠惰が招いた結果だ。本当だったらもう少し余裕があったはずなのに、なんだかんだと過ごしていたら締め切り一週間前になっていた。最近できた可愛い恋人が想像以上のかまってちゃんだったのが予定がずれ込んだ一因であるかもしれないが、誘いを断らずに遊んでいたのは自分なのでそのことについて文句を言うつもりはない。
毎晩のようにする電話も、仕事中に届くメールも、全て可愛くて癒しだったし、だから今回の新刊は土方×俺漫画ラブラブハッピー話になった。今までもそういう話は描いていたが、今回はリアリティが違う。ラブラブハッピーの気持ちがよく分かる。世界がバラ色になるってこういうことなんだな、と夏太郎は幸せを感じていた。
その結果、新刊作業が大幅に遅れたわけだが、それは今から挽回すればいいだけの話だ。今日から一週間、全ての時間を原稿に注げば締め切りに間に合う。間に合うはずだ。
まだ半分も描けていないが、どうにか頑張れば間に合うはず。間に合わせるために夏太郎は可愛い可愛い恋人である尾形断ちをすると決めた。心は痛むが、ここで新刊を落とすわけにはいかない。
夏太郎はスマホの画面を消してパソコンに向き合った。
それが一月十七日のこと。
夏太郎からの連絡に、尾形は『分かった』と返信してきただけだった。深く理由を聞いてこないのをありがたいと思い、夏太郎は宣言通り原稿に集中した。
隠す趣味ではないと思いつつも、じゃあそれを読みたいと言われたらさすがに恥ずかしい。夢漫画は夢漫画であって、自分の体験記でもノンフィクション漫画でもないのは分かっているが、夢や理想を詰め込んでいるのも事実なので恋人である尾形に読まれるところを想像すると顔から火が出そうになる。
夏太郎自身がヲタクであることは尾形に話してあるし、付き合う前にも「ヲタ活が忙しくて〜」なんて話もしていた。だから今回の連絡ができないこともヲタ活の何かだと思って何も聞いてこないのかもしれない。
そのお陰で無事に入稿できた。
夏太郎は倒れるようにベッドに沈む。ラストスパートをかけたこの土日はほとんど寝ていない。それでも明日は仕事だ。スマホに充電コードを挿す。
寝る前に尾形へ連絡を入れたい。一週間ぶりに声が聞きたい。しかしどっと疲れて目が開かない。仕方ないので連絡するのは明日の朝にしよう。夜になったら電話をしよう。そう思いながら夏太郎はスマホを握りしめたまま眠りに落ちた。
通話画面が開かれたままのスマホは暗い部屋で煌々と光っている。
「おい、夏太郎? もしもし? かーんたろーう?」
「んえぇ」
声が聞こえて、夏太郎は薄く目を開けた。
「夏太郎?」
「んん、おがたしゃ……?」
「忙しいのは終わったのか」
「うー……? んむ……おありまし、たぁ……」
「寝てたのか?」
「あい……」
「じゃあ間違って電話してきたんだな」
「んー……?」
眠い目をこすりたいが、布団の中に仕舞われている腕は言うことを聞かない。スマホを握っていた手を少し傾けて画面を確認した。
確かに通話画面は尾形に繋がっている。時刻は二時を過ぎたところだ。こんな時間に電話をかけてしまったなんて、と夏太郎は申し訳ない気持ちになったが、それ以上に久しぶりに声が聞けた喜びが強い。電話なんて無視してくれてもいいのに、出てくれたことも嬉しい。
嬉しいけど眠たいのも事実で、心と体がバラバラである。
「尾形さぁん……」
「ん」
「会いたいですぅ」
すんすんと鼻を鳴らす。会えなかったのは自分が発端だと分かっていても、夏太郎は甘えた声を出す。少し間を置いてから、尾形が「俺も」と短く答えたのを聞いて、夏太郎は頬を緩ませた。
「えへ、えへ、尾形さん明日っていうか、今日? 空いてますか?」
「空いてる」
今度は即答だ。夏太郎は目を大きく開いた。喜びで体を起こす。スマホを枕の上に置いて、布団に肘をつく。明日は仕事だと分かっているが、このままずっと話していたい。寝不足なのは分かっているが、尾形の声を聞いたら疲れも吹き飛んだ気がする。
夏太郎は布団を肩まで上げてスマホの画面を操作する。開いたのはカメラロールだ。尾形の写真を一枚一枚見返す。
「どっか行きたいとこありますか? 食べたいものとか」
「食べ……ケーキ食いたい」
「ケーキ?」
珍しい答えが返ってきて、夏太郎は目を丸くした。ケーキやパフェを食べに行くことはあったが、それは全て夏太郎から提案したものだった。尾形がそれを拒否することはなかったし、店に入ればそれぞれ別々のスイーツを注文して分け合ったりしていたので嫌いではないことは分かっていたが、まさか尾形の方からケーキを食べたいと言い出すとは思っていなかった。
不思議に思いながら検索をかけようと夏太郎が指を動かす。
と、聞こえてきた尾形の小さな声に動きを止めた。
「え? お、尾形さん、今……」
「いや、何でもない、違う、間違えた」
「ま、間違いじゃないでしょ……そんな、俺」
「いい、いい。俺もお前の誕生日を知らない」
「やっぱ昨日誕生日だったって言いましたよねぇ! ねえ! ちょっと!」
「大きい声を出すな。何時だと思ってんだ」
「うう〜〜〜、尾形さん〜〜〜〜……お誕生日おめでとうございますぅ……」
「ありがとう」
悔しさに夏太郎は顔を伏せた。
確かにお互いの誕生日がいつだなんて話はしていなかった。尾形が言う通り、尾形は夏太郎の誕生日を知らないし、夏太郎も尾形の誕生日を知らない。知らなかった。今、この瞬間まで。
「別に、忙しかったんだろ」
「はいぃ……でも……うう……」
枕に声が吸われていく。くぐもった声で呻く夏太郎を、尾形は鼻で笑った。
「じゃあ何で忙しかったのか教えろ」
「え、わう、それ、はぁ……」
「言えないことしてたのか?」
「違います、けど、その、ヲタ活で……」
「ヲタ活なぁ」
「浮気とかじゃないですからね!」
「知ってる。できないだろ、お前」
「うう……」
起こした顔をもう一度沈める。夏太郎はちらりとスマホを見た。そこに尾形の顔は映っていないが、今どんな顔をしているかは分かる。満足そうに笑っているのだ。
「土日って空いてます?」
「さぁ、どうだったかな」
「尾形さぁん」
「はは」
布団に入り直した夏太郎はくぅんと犬のような声を上げる。
遅くなってしまうけど、尾形さんの誕生日をしっかり祝いたい。夏太郎の気持ちは尾形だって分かっているはずだ。ただの意地悪ですぐに返事をくれないだけだと夏太郎も分かっている。
かまってちゃんで甘えたがりの恋人の可愛い意地悪だ。それでも夏太郎は尾形からの返事が欲しい。
「土日ってことは、泊まりってことだよなぁ」
「んん、そう、ですね?」
「何なら金曜の夜から」
「空けますぅ!」
「楽しみにしてるぞ」
はい! と元気よく返事をした夏太郎は、明日からの仕事も頑張る宣言をして通話を切った。すぐに寝ようと思ったが興奮して眠くならない。
明日のケーキの店も調べたいし、週末の予定も練りたいし、誕生日プレゼントのことも考えたい。だけどこの一週間の睡眠時間は短めで、昨日一昨日はひどかった。体のことを思えば今すぐにスマホから手を離して目をつぶるべきだ。
そう思って夏太郎がスマホを手放した数秒後、意識は深く沈んでいった。夢の中で久しぶりに会った尾形はにこにことしていて、大きな誕生日ケーキに挿したろうそくの火を一息で吹き消していた。
それを横で見ていた夏太郎は拍手をして喜ぶ。ご機嫌な尾形に頭を撫でられて、夏太郎はぴょんと抱きついた。
「尾形さん、誕生日おめでとうございます!」