★髭剃りとそれから「髭くらい剃ってくれ自分で……」

　以前に髭を剃ってやったのが思いのほかよかったのか、それともここまでやってやらないといけないほどに堕落してしまったのかは不明だが。
　今日も今日とてロナルド君（五歳児）の髭を剃っている。もうすぐ陽が昇る時間。こんな眠い時間に、なんてことやらすんだ君は。

「もう死ぬからいい」
「死ぬっていうのやめて」

　たまにこういうターンが来るらしい。
　疲れている時なのか、嫌なことがあったのか、彼の日常生活の上辺は知っていても気持ちまではわからない。
　見てわかる悲しいことはなかったように思うが、彼にとって嫌なことがあったかもしれない。……やめやめ、心までは私が考えたところで分からないし慰める気もない。

「なんもしたくねえ」
「なんもしてないでしょ」
「……」
「髭すらそってないよ自分で」
　
　今日はなんと風呂場での注文だった。
　突然に風呂場に呼ばれ、何かと思ったらぐったりした格好で湯舟に浸かっており「髭」というのである。私は髭ではない。

　たびたびこういうネガティブモードというのだろうか、名付けるのが難しいが、そう、病んで？しまう時があるらしい。仕事のし過ぎじゃないかと私は思うが指摘しても変わらないのでおいておく。
　とにかくなんだがいつものツッコミゴリラの反対に振り切ってしまう時がある。そういうときに以前は床で倒れていたり食事を無意識に摂らなかったりと死にかけたりしていたが、最近は他人に頼るということを習得したらしいこのゴリラ、その度に私を軽々呼びつけては命令するのだった。
　仕方あるまい。近くでめそめそしているやつがいるのはこちらのメンタルにも悪いのだから。

　いつもどおり、髭を剃ってやる。
　長い時間はかからない。今日だってやっても五分もかかっていないはずだ。
　もうすぐ剃り終わるというところで、寝ているような恰好で風呂に浸かっていたロナルド君がうっすらと目を開けた。

「もう終わるよ」

　この短い時間で、寝てしまっていたのか。
　ふと現実に戻ってきて薄目を開け、直後大きく湯を揺らして私と反対方向に身体を寄せた。といっても、浴槽はそんなに広くはないし、湯舟に浸かっていたことを忘れかけていたのか浴槽のそこでずる、と滑ってうまく逃げられていない。
　両手を軽くあげる。私はなにもしていませんよ、という意味である。
　瞼の下からまん丸の虹彩が全部見えている。びっくりして見開いたせいだ。

「な、なにしてる」
「君が髭を剃ってくれといったから剃ってたんだろ」
「それは、ごめん……寝ぼけてたわ」
「だろうな。危ないから風呂場で寝るな」
　
　揺れていた湯舟が落ち着いてくる。
　元の位置に戻ったロナルド君の顎の下に目をやると、剃り残しが見えた。

「あとその顎の下だけ剃らせてくれ。それで終わりだから、そしたら風呂出てゆっくり寝るといい」
「……」
　ん、と口を閉じる。下唇を突き出す形で顎を差し出していた。何故か目も閉じているが、それは閉じなくていいと思う。

　風呂で寝て溺れられても困るのでさっさとそれを剃り落とす。他は大丈夫か、と彼の顔を近くでゆっくり見返しているときにその薄目がゆっくり開いた。

「お、終わったなら早く出てってくれ！」
「なんだね急に」

　そういえば顔が赤い。
　なんだか目もうるうるしている気がする。なにがあったのかわからないがこの短時間でなにかあったようだ。

「具合悪いなら、早く風呂でな、顔赤いよ」
「顔が近いんだよ！」
「なにを当たり前のことを……ひげ剃ってたらそうもなるだろう」
「ちんこ勃っちゃっていてえから早くどっか行ってくれ！」