最後の一呼吸までも「お前に、私が作る影の下だけで呼吸してほしいと思うことがある」
「ずいぶんと君には似合わない言葉だね、エンシオディス。まるでロマンス映画の悪役のようじゃないか」
「悪い人間だろう、私は。なにせ国家転覆をほぼ完遂した希代の悪人だ」
「今日の君は甘えん坊だな。ほら、おいで。ハグしてあげるから」
背中に回された太い腕にはギリギリこちらをつぶさない程度の力が込められ、もはやどちらがハグしているのかという状況になってしまってはいるのだが、あれ今のこれはまさしく彼が望んだ姿そのものじゃあないか?
「結論からいってしまうと、かなり悪くないねこれは。君はいい匂いがするし」
「お前の薫香にはかなうまい」
「ふふ、そうかな」
ふすん、と首筋に彼の高い鼻梁が這うのはくすぐったかったけれど、彼の声が幾分元気を取り戻していたから我慢することにする。背中に感じるもふもふとした暖かい感触は、おそらく先ほどまでぺしょんと床に垂れてしまっていた彼の尻尾だろう。広いはずの彼の背をゆっくりと撫でながら、のんびりと私は口を開く。
「でもねえ、君はつまらないと思うんだ」
「お前に飽くことなど」
「君のことしか見えてなくて、君の言葉しか聞こえない。そんな私なんて君は一週間、いや三日で飽きるよ」
だって私は、どこまで行っても彼の目の前に立つ人間だ。それに足るからこそ、彼は私のことを盟友と呼ぶのだから。じっと覗き込んだ雪原の朝焼け色の瞳は私ただ一人を映し込んでいる。おそらくは私の目の中にも同様に。ふうっとため息を吐いたのはどちらが先だったのか、こぼれた微笑みは同じだけの温度で、だからもう大丈夫なんだろうと用意していた非常手段を脳内のゴミ箱に一時保留で投げ込んだ。
「お前が言うのならば、その通りなのだろう」
「そうだよ、私のエンシオディス。さあ君に飽きられたくないから腕を外してもらっても?」
「三日間はこのままでいいのだろう?」
「そういう意味じゃあないんだけどなー」
あれこれ続けようとした反論はそっくり全部彼の口の中に吸い込まれてしまったし、三日間とはいわないまでも一晩中は放してもらえなかったのだけれど、自らの愛情の深さに振り回される彼はとてもかわいかったので執務室の椅子から立ち上がれない程度のことは許してあげるのだった。