ドクターと呼ばれる男は、自分の手で花を摘んだ記憶が一度もない。戦場で、指先ひとつ呼吸ひとつで人の命を奪う人間が花一輪、と馬鹿にされるだろうが、何故ならばドクターが手にする花はすべて目の前の男が選び摘み取ったものだからである。
押し付けられた花束を無造作にかき抱きつつ、その大きな手のひらの持ち主を見上げる。彼は何も言わない。いつだって何も言わない。花の名前も、産地も、花言葉の各地域における意味の違いさえドクターは知っている。だが男がそれらを手渡して来る意味を、ドクターはいまだつかみかねている。長く抱えているから、指先には草の香りがしみついてしまっているだろう。それはおそらく彼の剣を握るための傷だらけの指も同様のはずで、血の匂いの消えぬところまで同じだ、とふと笑みがこぼれてしまった。
その笑みの溶けた吐息をどう思ったのか、彼はといえば花束をこちらの腕に押し込んだのと同じ手のひらで、ゆっくりとドクターの体を押し倒した。当然、散る寸前であった花びらがひらりと部屋の中を舞う。あわてておさえた花ごと、その太い腕はドクターの体を抱え込む。自分の貧相な体が彼の体のかたちとぴったり合わさるのだと知ったのはどれくらい前のことだっただろう。
彼は何も言わなかった。いつだって何も言わなかった。無言のまま瞼を閉じ、ドクターの髪へと顔をうずめた。だからドクターは今日もまた、彼の選んだ花とともに彼の腕の中で眠りにつくのだった。