年老いてもずっと隣に⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️
「んぁ?」
顔を上げると、懐かしい——いや見慣れた黒板が。
黒板と自分との間には他の生徒の机と椅子があって、右にはカーテンと窓があって、左には、
「んっ、ふふ」
左から堪えきれないというように、笑い声が漏れた。
え? とそちらを見れば、僕のノートを持つ三木がいた。
「涎で汚れたらなんなんで、避難させといたぜ」
なんていって、頭にポンとノートを乗せてくる。
ありがとうと言ってそれを受け取ったら、次の授業は移動だから早く行くぞと急かされた。
「待っててくれてありがとう」とお礼を言うと、三木は「あと一分起きるの遅かったら、蹴り起こしたけどな」とニッと笑った。
約十八年前、高校時代、毎日のように続いた日常だった。
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「今日は三木くん、こられへんって」
三木が来るのが遅いなと思っている時、様子を見に来ていたクワバラのスマートフォンが鳴った。
「ちょおでるわ」と別室に行ったクワバラが戻ってくるなり、三木の来訪の取りやめを告げる。
「え? なんで?」
椅子から立ち上がりこそしながったが、自分のスマートフォンを見る。
三木からRINEもメールも電話も届いてはいない。
僕に連絡なく、なんでクワバラさん? 不思議に思い、ジッと担当編集を見つめれば、「あ〜、吸血鬼や」と説明をはじめた。
「吸血鬼の能力をくらってな、ちょっと来られへん状況らしい。命に別状はないんやが携帯とかいじれる状況やないらしくて、一緒にいた三木くんのお隣さん……えぇーとクラさんと吉田さんがやな、三木くんがこの後、友達のとこでアシスタントするって聞いてたから、行けへんて連絡いれよ思うたけど、連絡先知らんってなってやな」
クラージィがドラルクの連絡先を知っていたので、ドラルク→ロナルド→フクマ→クワバラ→神在月、という伝言ゲームが開催された。
「メールの一本も入れられないって……大丈夫なんですか?」
命は別状はないと聞いたが心配で尋ねれば、クワバラは、あ〜とガリガリ頭を掻いた。
「センセ原稿あるから問題あらへんって答えたいとこやけど、ここは正直言っとこか。分からん」
椅子から立ち上がれば、「神在月先生」と呼ばれる。
「命の別状はない、怪我をしているわけではない、でもメッセージの一つも打てん、その情報しか分かん。不安やな? 心配やな? でもな、ハンターや吸対は動いてるし、お隣さん……元悪魔祓いのクラさんも動いとる。センセ駆けつけたとして、役立つか? それに三木くん、センセの顔見てなんて言うやろな?」
来てくれてありがとう。お前の顔を見て安心した。なんて、絶対に言うわけがない。
「……」
神在月は椅子に座り直すと、ペンを持った。
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クラスメイトで友達ともなれば、高校時代は親よりも一緒にいる時間は長かったように思う。
流行りの漫画や小説の話をしたり、高校生らしく数学の先生は、あの先生の授業な眠いよな、そんな話を飽きずにしていた。
何でも話せるわけでも何でも話すわけではなかったが、一緒にいて安心し相手の事は、一番知っているんだと無意識に自惚れられていた。
今思えば、青春で眩しい時代。
その時ならば友の怪我を知らされれば、自分は足手まといだの、何の手助けもできないだの、そんな事、何も考えずに飛び出せただろう。
その身軽さと無鉄砲さがこんな時、少し羨ましくなる。
今はもう、あれやこれやと考え、背負っているものもあり、すぐには飛び出せなくなった。
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丑三つ時といわれる時間に原稿をあげ、クワバラが帰り、三木にRINEやメール、電話をするも既読も返信も折り返しの電話もない。
一日二日、せめて半日は待ってもいいかもしれない。
だが居ても立ってもいられず、三木が住む集合住宅に向かった。
一、二度訪れた事のある集合住宅。深夜活動する吸血鬼が多い町とはいえ午前三時は流石に静かで、扉をノックすら音すら廊下に響く。
三木がガチャリとドアを開けて出迎えてくれる事を期待したが、返事はない。
クワバラからお隣さんは事情を知っていると聞いていた為、そちらもノックしてみる。
だが、お隣もそのお隣さんもいない。
後は退治人ギルドや吸対、VRCか。それともクワバラに連絡して神在月に連絡したのと逆ルートを辿りクラージィと連絡をとってもいいかもしれない。
どうしようかと考えている時、「カミアリヅキサン?」と声をかけられた。
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高校を卒業し進学して、一年と言わず一ヶ月で互いが知らない新しい交友関係ができた。
それに予想より、会う頻度も連絡を取り合う回数も減った。
三木は金を稼ぐ事に忙しかったし、神在月は神在月で新しい環境と生活に馴染む事に必死で、それを寂しいとも思わなかった。
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「ミキサン、吸血鬼執着ヲ見エル化シテミヨウ、ニヤラレマシタ」
そう説明し、成人男性の手のひらほどの丸底フラスコを神在月の顔の前に掲げる。
その中には砂が入っており、三分の一ほど埋まっていた。
「コレ、ミキサン」
「え? えぇ? み、ミッキー? 大丈夫なの?」
「ハイ。通リガガッタ御真祖様、助言クレマシタ。集メタラ大丈夫。元ニ戻ルシマス」
論より証拠と、クラージィは自分の部屋の鍵を開けた。
神在月を促して中に入ると、丸底フラスコに蓋をしていたコルクを抜く。
すると部屋の一部、中央より少しズレた辺りが淡く光り、幾つもの丸い粒に収束していったかと思うと、フラスコに吸い込まれていった。
フラスコの砂の量が少し増えた気がする。
クラージィはそれをとても大切そうに見つめ、説明を続けた。
「ミキサン、私ノ部屋デハソコニ座ル事、多イデス。コノ調子デ、執着ミキサン集メルシマス。コレイッパイニナル、ミキサン復活!」
なるほど。
ミッキーが執着している場所や物、人の所にミッキーが散ってて、それを集めていく感じか。
「……それってどんな小さな執着でも散ってるの? 仕事場も? ミッキー、すごくたくさんの所で働いてると思うんだけど……」
下手をすればシンヨコ中の店で片っ端からフラスコの蓋を開けていかなければならい、なんて事態になるのではないのだろうか。
「大丈夫! テレッテレテーン♪」
日本人というか、神在月の世代なら聞いた事がある青色の猫型ロボットの音楽とともに、これまた神在月の世代なら読んだ事がある七つの玉を集める漫画に登場する、大きな懐中時計型の文字盤部分がレーダーになっている道具が取り出される。
「三木カナエレーダー!」
世界観を統一してというより先に、「ちょっと操作させて!」と欲望が口をついてでた。
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没交渉となったわけではない。細々と連絡は取り合い、数ヶ月に一回は飯に行った。
三十歳となり神在月が漫画家として芽が出てからは、アシスタントとして雇えるようにもなり、頻度は上がった。
とはいえ高校時代のように毎日顔を合わせているわけでも、自分の深いところまで話はしない。
付かず離れず、互いが歳をとってもずっとそばにいる、そんな関係が続くのだろうなと、なんとなく漠然と考えていた。
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ミッキーは広範囲に散っているらしく、クラージィは吉田やドラルク達の手も借りて集めているらしい。
「猫ノ手ナラヌ神ノ手モカシテ欲シイデス!」
と、クラージィの方から頼まれ、神在月はクラージィと同行する事となった。
三木の事は気になっていたし、もちろんと快諾したのだが、あまりに広範囲過ぎた。
シンヨコの町を歩き回り、問答無用で蓋を開ける事もあれば、丁寧に説明したり、時には野良ポンチと遭遇してクラージィが瞬殺する。そんなこんなで時間がかかったのもあるが、神在月の体力がなさすぎて、空調の効いた喫茶店で休憩をとっていた。
「ごめんね……いざとなったら僕を見捨てて先に行ってね……」
机に突っ伏しながら言う神在月に、クラージィは、「おぉ」と目を輝かす。
「俺ヲ残シテ先ニ行ケ! デスネ」
「そんなにかっこよかったら良かったんだけどね〜」
ハハハと笑い、何をやっているんだろうとため息をつく。
高校時代から三木に助けてもらっていた。
部活の勧誘の時も、進路に迷っていた時も、漫画を諦められず足掻いていた時も、さりげなく……はなかった気がするが、不器用に三木らしく助けてもらっていた。
だから三木のピンチに颯爽と駆けつけて敵を倒す、とまでいかなくとも、その手伝いをするぐらいはしたいのに、手を出さない方が手伝いだと言われているような状況に落ち込む。
「……ミッキーはさ……」
「ハイ」
「僕の助けなんていらないんだよ、知ってるんだよ……」
「ハイ」
違うと思いますだの、三木はそんな事だの、否定や慰めの言葉が返ってこなかった事が、神在月の口を軽くした。
「どちらかというとというか、頼るより頼られたいタイプだから、僕を助ける事があっても助けられる事なんて望んでないし、適度に望まれてないとダメなタイプだから、今ぐらいがちょうどいいっていうのは分かってるんだ……」
「ハイ」
「ミッキーが求める僕の役割は違うって、そんな事言い出したら僕だって三木に頼らないとやってけないわけだけど……」
「ハイ」
「でもさ、僕だってさ……たまにはさ……」
ぐ、と言葉を飲み込む。
「……三木はこんなに色んな人に求められてて凄いね……」
酒を一滴も飲んでいないのに酔っ払いの戯言のような支離滅裂な告白に、クラージィは最後まで相槌を打ってくれた。
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三木の話にお隣さんが混じり出したのはいつだっただろう。
三十代後半にさしかかり新しい友達ができた親友を見守り、めでたいと思いもした。
頻繁に開催される便利モブオフ会を眩しく思い、シンヨコでお隣さん達と巻き込まれるポンチ騒動をおかしく聞いて、元悪魔祓いのお隣さんの話にはちょっと取材させてと心躍った。
親友が楽しそうで、青春をまた繰り返しているような姿に祝って喜んで、祝福した。そうすべきだと思ったし、事実、喜ばしかった。
だから心の奥底に、ドロリとした何かが広がるのには気づかないふりをした。
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この季節ならば、後、一時間で日が明ける。
クラージィに日光は大丈夫なのかと声をかければ、「耐エルシマス」という不安な返事がかえってきた。
これは無理矢理にでも屋内に引っ張り込むべきかと迷うが、神在月の力でクラージィの重心すら崩せる気がしない。
ならばせめて日傘と日焼け止めをとコンビニを探し、キョロキョロしていると、一人の中年男性がこちらに歩いてきた。
「クラさーん!」
メガネと雰囲気から、この人が吉田さんだと気がつく。
吉田さんはクラージィに「はい」と自分が持っている丸底フラスコを渡した。
「ドラルクさん達の分も一緒になってるから。ごめんね、最後まで見届けたかったんだけど、明日というか今日も仕事あるから、数時間でもいいから寝させてもらうね」
「アリガトウゴザイマス、ヨシダサン。寝テクダサイ」
「ありがとう。あ、神在月さん?」
ひょいっと吉田は神在月を見ると、ペコリと頭を下げた。
「三木さんにはいつもお世話になっております。三木さんからいうもお話は伺っていたので、見てすぐ分かっちゃいました」
「え? ミッキーが僕の事を? なんだろう? 貧弱話かな?」
それなら話題に事欠かない。なにしろ貧弱話は現在進行形で蓄積中だ。
吉田は、「俺には勿体無い凄い友人だと」と、んふふと笑い、あくびをした。
「すみません。もっと話したいのですが、もう帰りますね。また機会があれば是非話しましょう」
さようならと挨拶をして、吉田は帰っていった。
「次デ最後デス」
クラージィはそう言うが、砂を一箇所に集めたフラスコには、半分ぐらいの量しか入っていなかった。
確かクラージィはフラスコがいっぱいになればと言ってなかったか。
「デハ」
と、クラージィは神在月に向かい、フラスコの蓋を開けた。
「言ッテナイ事、アリマシタ」
フラスコを神在月に向け続ける。
「小サナ執着ハ蓋開ケルダケデ大丈夫。デモ、大キナ執着ハ、執着、自覚スル必要ガアリマス」
「自覚って……ミッキーそんな状態で……」
自覚もなにもないだろうと言おうとして、あ、と気がつく。
「誰が誰に執着か、言ってない……」
神在月が勝手に勘違いしただけだ。
三木が執着した場所や相手の所に散っていると。
「ミッキーに執着してる人の所に、ミッキーは散ってる……?」
「ハイ」
「確かに僕はミッキーに執着してると思います。だって高校時代からの親友なんだ。当然でしょう。さっさと説明してくれれば、」
よかったのに、という言葉は、クラージィの赤い目に静かに見つめられて最後まで言えなかった。
「執着、ソノ深サモ自覚シナイトイケマセン」
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高校時代のような関係がずっと続けられないのは分かっている。
ある種、閉ざされた世界で大人にも子供にもなりきれず、永遠を生きるなんて出来はしない。
自分達は大人になるし、周囲の環境も変わってしまう。
だけれども、それでも老いさらばえるまで共にいたいと思えば、今のような関係が一番だと思っていたのだ。
なのに青春時代のような友が三木にできた。
巨大料理にゲームに便利モブオフ会に、ポンチ騒動に親吸血鬼問題、ちょっとした事件もありつつだらだらもきらきらもしていて、漫画連載を抱えている自分ではどう転んだって戻れはしないあの頃のような時間。
羨ましい妬ましい。
三木に懐かれ彼に安心できる空間を提供できる吉田さんが羨ましい。
三木より強く彼を助けられるクラージィさんが妬ましい。
そんな気持ちが心の奥から滲みでるのを止められなかった。
だって、三木の隣は僕のなのに。
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自覚すると同時にヒュッと喉が鳴った。
自分の横が輝き、やがて収束し、光の砂になっていく。
それはフラスコに吸い込まれていき、フラスコが満タンになると、フラスコごと光り輝き、輪郭がぼやけ、数秒で人の輪郭に変化する。
五秒もしないうちに光はおさまっていき、三木がそこには立っていた。
目を瞑らず気絶もせず、しっかり目を開けて立っている所が三木らしいと思ってしまう。
三木はぽりぽりと頬をかくと、「あ〜〜〜〜」と声をだした。
「そのな、砂の時も意識はあっ……って、まてまてどこいく」
恥ずかしすぎて部屋を出ようとするも、全速力で駆け抜けたつもりなのに、襟首を掴まれただけで動けなくなる。
「違うんだよミッキー!」
「何がだよ」
「これは違うくて!」
バタバタ足掻けば、つるっと足が滑り、床に寝転がってしまった。
頭を打たなかったのは三木が支えてくれたからだ。
床に寝転んで、ゴロンゴロンとローリングする。
「僕! ミッキーの結婚式には笑顔で出る気だったから!」
「そうか。おい危ねぇぞ」
ごんっと壁にあたった。痛いけど、それどころではない。
「ミッキーの奥さんとも仲良くできたらとは思ってたし! 結婚して一年はアシスタントに呼ぶの控えようと思ってたし! 子供できたら節目節目にはプレゼントする気だったし!」
「わりと具体的だな」
壁の隅で寝転んだまま丸くなる。
「そりゃ老後は縁側で一緒に漫画読んだりアニメみたいなとは思ってたけど! けっして邪魔するつもりはなく!」
「邪魔される相手もいねぇがな」
ぽんぽんと背中を優しく叩かれる。
「だからなんていうか! 隣にいられたらそれでよくて! 結婚してください!!」
ぶばっと涙を決壊されてのプロポーズに、三木は吹きだすも、
「和装と洋装どっちがいい?」
と、返事をくれた。