鬼の高官「旦那様はどうして『鬼の高官』なんて呼ばれてるの?」
とある日、灰原は当初から気になってことを七海に尋ねてみた。
「推測ですが…私は業務上返り血を浴びることもあるので、その時の姿を見た方々に呼ばれるのかと」
「へえ…」
内乱があった頃に比べればこの国も平和になったが、反政府主義者が暗躍しており血生臭い場所もあると聞く。そんな前線に駆り出されているとは知らなかったし、何より…。
「…旦那様も同じ人間なのに」
「灰原が分かってくれればそれで充分です」
そう言われても納得がいかない灰原であった。
***
「あ」
次の日。散策していた所に役人の集団が目に入る。中心に返り血を浴びた七海を見つけた。表情は硬く、近寄りがたい雰囲気だ。
(でも鬼っていうほどでは…)
思わず立ち止まる。あの血は家で落とせるだろうかと考え込んでしまった。いや、これまで血の付着した服で帰宅したことはないから、職場で処置しているのか。
「ちょっと、あれ『鬼の高官様』じゃない」
「まあ!本物を見られるなんて」
背後ではしゃぐ声が聞こえ振り返ると老婦人たちが楽しそうに七海を見つめてる。話の内容が気になって思わず声をかけてしまった。
「あの…」
「あら、騒がしかったかしら」
「ごめんなさいね」
会話を咎めたと勘違いされたようで謝罪されてしまう。慌てて首を横に振った。
「いえ、そうではなくて…『鬼の高官』って何ですか?」
「あら、今の若い子はご存じない?」
「はい」
老婦人たちは互いを見て楽しそうに笑った。
「でしたら、書店に行ってごらんなさい」
「最近新刊が出ましたから」
「はあ…」
***
書店に来るのは久しぶりだと店内を見渡す。老婦人たちに言われたものがあるだろうかと少し歩くと、新刊コーナーでそれを見つけた。
「『鬼の嫁取り』…?」
七海の二つ名が入った表題の本が新刊として平積みされている。ジャンルは恋愛小説のようだ。その奥には『新装版!!』という宣伝文句とともに一巻と二巻があり、新刊は三巻目のようだ。妹と共有することが多かった影響で、恋愛小説など女性愛好家が多い分野の本も好きだった。灰原は全三巻を購入し帰宅した。
***
第一巻
【むかしむかし、あるところに、大陸からやってきた青年がおりました。彼の元には異国の文化を学びたい青少年が数多く集まります。彼らと交流する中で、青年は一人の少年に恋をしました。
ですが同性愛は青年の母国では犯罪です。彼は思い悩みます。悩み悩んだ結果、少年に思いを告げ海に飛び込みました。
少年が青年を救い出し、二人ともずぶ濡れになり青年は気がつきました。少年は実は少女だったのです。彼女は大陸の文化を知りたくて男のふりをしていたのでした。青年は帝国に残り国のために尽くすことを誓います。少女と結婚し、幸せに暮らしましたとさ。】
「男色ものかと思ったら純愛ロマンスだった…!」
第二巻
【ちょっとだけ昔、見目が浮世離れした随分とお転婆な少女がおりました。
ある日彼女はスリに遭いましたが、通りがかった青年に助けられます。
彼に一目ぼれした彼女は人脈を駆使し彼の家を特定しました。自宅を訪問した少女は言い放ちます。
『結婚してください!』】
「押しかけ女房ものだー!」
第三巻
【そこまで昔でもない今日この頃、仲の良い姉妹がおりました。
ある日、姉が鬼に攫われてしまいます。妹は救出に向かいました。
道中、大陸かぶれの青年と意気投合し、敵の陣地へと乗り込みます。
そこには丁重に姉をもてなす鬼と、鬼に恋をした姉がいたのでした。】
「……」
七海に似た挿絵の鬼を見ながら、これは読者だった老婦人たちもはしゃいでしまうなと妙に納得してしまった。
***
「旦那様が『鬼』って呼ばれてるの、この本が原因?」
一日の終わり、就寝前に話があると七海に読み終えた本を差し出した。
「…ああ。そういえばありましたね」
三巻が出てたのか、と新刊を手に取りパラパラとめくる姿に動揺は見られない。
「これ、旦那様がモデルなの?」
「いえ、一巻は祖父、二巻は母のはずですが…ん?三巻…?」
「…妹の新しい婚約者が帰国子女なの、僕が知ったのつい最近なんだけど」
身内の灰原すら知らなかった情報をこの本の作者はどこで知ったのだろうか。
「この本の制作経緯については私もまったく知らないんです。祖父も母も『お前が結婚したら本が出るぞ』と教えてくれたきりで」
「そうなの…?」
モデルに何も知らされてないが、元情報を正確に知っているであろう作者が書いた本。
「なんで旦那様たちのことを本にしたんだろう?」
「気になりますか?」
「もちろん」
格好良くて素敵な旦那様。彼が鬼と呼ばれることも、彼のことが創作物として流布されることも、嫁としてあまり面白くなかった。
「では、明日詳しい人に聞きに行きましょう」
***
「政府主導の『外国人怖くないよー』っていうプロパガンダだな」
翌日、灰原は七海に連れられて五条の執務室に来ていた。
「プロパガンダ?」
「要は外国人を好印象に見せるための宣伝ってこと」
突然の訪問にも関わらず五条は灰原のことを歓迎し珈琲まで出してくれた。自身の珈琲に大量の砂糖を入れながら五条は話を続ける。
「先の開国で大陸の人間が帝国に来るようになったんだが、特に平民層からの反発が強かったらしい。当時の政府が策を考えた結果、七海のじいさんをモデルに小話作って親しみを感じてもらおうってなったわけ」
「それにしても鬼はひどくないですか?」
「それなんだがなー…灰原は知ってんのか?『満月の夜』」
「…!もちろん。僕は七海のお嫁さんですから」
むしろ五条が知っていることに驚いた。
「なら話は早い。七海のじいさんもできるだけ隠してはいたんだが、ちょいちょい見られていたみたいでな。大きくなったり小さくなったりするのをみて人間じゃない『鬼』だって話になったみたいだぜ」
「…それは、七海のお母様もですか?」
少なくとも、今の七海は満月の夜に関しては世間から隠し通せているように見える。
「それはまた別。噂でしか聞いたことねえけど、道場破りしたり闇の組織破壊したり破天荒な人だったみたいで、ついた二つ名が『鬼』」
「えぇ!?」
「七海は単純に血まみれなのが怖えって意味で『鬼』って呼ばれてるんだろ」
「なら私を現場に出さないでください」
「お前が一番捕り物には強いんだから仕方ねえだろ」
「はあ…」
まったく、とため息をつく七海を見ながら、結局最初に本人が行ったことが真実だったんだなと振り返る。ずいぶん遠回りをしてしまった。それにしても…。
「まだお義父様やお義母様にお会いしてないんだけど…」
「遠方なものですから、紹介できてなくてすみません。式には来ますから」
「僕、お義父様を投げ飛ばせるくらいの強さのお義母様に勝てるかな…?」
嫁姑問題(義母は旦那だから舅か?)は大変だと聞く。最終的に青年との決闘に勝ち結婚を決めた二巻の少女がお義母様だとすると『嫁に来るなら私を倒してごらんなさい!』くらい言われそうな気がする。鍛錬をしたほうが良いか悩む灰原に「我が家はそんなに脳筋じゃないです」とツッコミを入れる七海であった。