K暁 傷付けた厚い表皮に親指を添える。
力を込めると歪んだ表皮の内からみりみりと音がして、食い込む指先を溢れ出してきたものが濡らした。
みるみる手首まで伝った雫が小さな水たまりを作る。
瑞々しい表皮を引き剥がして千切り、内側の柔らかい果肉を薄皮ごと含めばじゅわりと口内が満たされた。
潰れて弾ける感触を奥歯で楽しみ、そのたびに溢れる果汁を啜る。
大半が水分のようなものなので、ほとんど飲むように腹に収めた。
最後の一口を飲み込んで、今更ではあるが濡れそぼった指先を手のひらごと下に向ける。
咀嚼する間にも次々と滴っていくものだから、都度都度拭くのは早々に諦めていた。
ティッシュでは太刀打ちできそうにない惨状を見遣り、布巾で粛々と手を拭った。
「スイカをペロッと食う奴が八朔に苦戦か?」
「それあの日の話だろ。さすがにあれはKKが中にいたからできたんだよ……。あと、これは伊予柑。」
濡らした布巾で食卓を拭きつつ、八朔と伊予柑の違いがわからないという同居人のぼやきを聞き流す。
『皮まで丸ごと食べられる』と言っても、普通の人間が物理的に皮のままのスイカ丸ごとを数口で平らげられるわけがない。
斜めに逸れた思考のまま、そういえばこの同居人の今の体は言ってしまえば冥界の食べ物に近いのだった、と暁人はぼんやりと思う。
「ひょっとしてKKのことも丸ごと食べられるのかな?」
「何言ってんだ……あー、まあ、確かにエーテルの塊みてぇなモンだしな。食おうと思えば食えるんじゃねえか。」
いつものように「馬鹿か」と言われると思っていただけに、軽く肯定されて暁人は面食らった。
同時に、ここしばらく忘れていた焦燥感が頭を擡げてくる。
KKは本来ならあの世にいるべき存在だ。
なのに、憐れにも暁人の行く末に未練を覚えて成仏しきれなかったという。
『今のオレは見えちゃいけないもの……あの夜のエーテル結晶体や冥界の食い物なんかと同じだ』とKKは言った。
ふたりがひとりに戻って以来、暁人が『見えちゃいけないもの』を見ることはほとんどなく、適合者とは言えKKの力の残滓が薄れていけばいずれ彼の姿すら見えなくなるだろうことは想像に難くなかった。
暁人にとって、それは何よりも恐ろしかった。
一度失って取り戻した大切なものを再び失うなど、もう耐えられるはずがない。
それならばいっそ、KKを完全に取り込んでまたひとつになれたなら。
(KKを、食べてしまえたら。)
暁人の中で先ほど食べた果実のイメージが重なる。
表皮を割き、内側の瑞々しい果肉を啜り、彼の魂をエーテルごと飲み込む。
それは離別も喪失もなく永遠にひとつになる甘い幻想を抱かせた。
「暁人」
優しく強い声が、思考の渦に囚われかけていた暁人を呼び戻した。
「どうした。また不安になってるな?大丈夫だ。オレはどこにも行きやしねえよ。」
びくりと揺らした肩を引き寄せられ襟足まで滑るように回された手のひらは、暁人の頭を草臥れたジャケットの肩口に押し付けた。
途端に押し寄せる染みついた煙草の匂い、耳に馴染む声、あやすように撫でる指の感触、恐る恐る回した腕に伝わる背中の広さ。
痛いほどの実感を一度に与えられて暁人の目から涙が溢れた。
(まだ見える。まだ聞こえる。まだ触れられる。)
だが、それが『ずっと』などという保証はない。
それはKKにとっても同様で、暁人をよすがにこの世にしがみついている魂は、暁人からの認識を失えば容易く行き場を失くしてしまう。
未練は謂わば執着であり、喪失への恐れと狂おしいほどの執着が互いを繋ぎ止め崩れ落ちそうな足場を支えているに過ぎない。
いつまでふたりでいられるのか、いつまでふたつでいなければいけないのか、言葉にせずとも魂は欠けた半身を求め、分かたれたことを恐れている。
ぬるく湿るジャケットに顔を埋めて静かに嗚咽する暁人を、KKは底のない闇色で見つめていた。