我が家には美人な猫がいる。
どこから入って来たのか、ある日突然我が家に現れたその子。美しい毛並みと瞳で俺を魅了して、すっかり居着いてしまった自由気ままなお姫様。
朝になると、大体決まった時間に部屋の前でみゃぁみゃぁ鳴く。まだ起きたくなくて布団を被って無視しようとするけど、鳴き始めて暫くすると扉をカリカリとし始めて、それは俺が起きるまで続くから渋々起きるしかなくなる。
自室の鍵を開け部屋から出て頭を撫でようとすれば、その手を避けて此方をじっと窺って来る。警戒する様なその仕草になにもしないとハンズアップして示して見せれば、先ほどまでの熱烈な呼びかけが嘘みたいにスッと離れてしまう。
すごい勢いで必死に起こしてくる癖に、朝はこんな風に絶対撫でさせてくれないのなんなの? 構って欲しいんじゃないの?なんて毎朝そんな抗議の気持ちを伝えるけど、小さな声でにゃあ、と一声鳴いて外へ出ていってしまった。キャットフードを用意してもいつも食べないから、どこかで美味しいごはんでも食べさせてもらっているのかもしれない。わざわざ通販で購入したフードがもったいない。
リビングでゲームをしていると、いつの間に帰ってきたのか、少し離れた所で大きな目でじっとこちらを窺っている。それに気付かないフリをしてゲームを続けていれば、少しずつ様子を見つつ距離を詰めてくるけれど、ここで反応してしまったらきっと猫は逃げてしまう。まだ我慢。
テレビから聞こえる銃声と悲鳴。大きな音がなる度ちらりと其方を確かめる姿を視界の端に捉えながら、難なく画面内の敵を次々と撃ち抜き、全て仕留める頃には左後ろの腰の辺りに猫の温もりが寄り添っていた。それに気付きそっと首を巡らせ顔を覗き込めば、此方を見上げる瞳に俺が写る。ゆっくりと瞬きをひとつ返し、コントローラーから離した手を顎に伸ばし指先をそろりと這わせると、先程の俺を真似る様にぱち、と瞬きをして気持ち良さそうに双眸を細め喉を反らすのが可愛い。
今朝の素っ気なさが嘘の様なその甘えた仕草に自然と頬も緩み、胡座をかいた自身の太腿を軽く叩いて「おいで、」と出来る限り優しい声で誘うと、そろ、そろ、と脚の間に入り込んで来るのを見つめながら、手探りでリモコンを手に取り騒音を立てるテレビをオフに。自分の居心地の良いポジションに納まるのを待って再び手を伸ばし、顎をひと撫でしたついでに額から後頭部までを掌全体で少し乱雑に撫で上げると、目を閉じぷるぷるっと顔を振るって逃げ、じとりとした目を向けて来る。それがまた堪らなく可愛くて、もう一度同じことをしようとしたら嫌そうな鳴き声と共に猫パンチで手を払い除けられてしまった。
「ごめんごめん。もうしないから許してよ。…お姫様、もう一度撫でさせていただいても?」
不機嫌そうに見える顔を覗き込んで演技がかった言葉で問えば、まるで人間みたいにため息をつかれた。それを許されたと勝手に解釈して手を伸ばし、今度は頬から耳裏にかけて親指で丁寧に撫でると、うっとりと瞼を閉ざし擦り寄って来る。
「可愛い。…浮奇にも会わせてあげたいな…浮奇は猫好きだし、こんなに美人なんだからきっと気に入ってもらえるよ。…………あれ、うきって、誰だっけ…、?」
ふわふわの柔らかい毛並みを撫でながら自分が口にした言葉に、ハッとして呆然と呟く。思い出そうと思考を巡らせようとした瞬間、頭にモヤが掛かったようになにも考えられなくなり、床の上に力無く手が落ちた。
「あれ…、俺……なに…、……ああ、大丈夫。なんでも無いよ。だいじょうぶ」
意味を成さない言葉を零しぼんやりとする俺を心配したのか、大きな声で鳴きながら覗き込んでくる猫に気付くと、途端に頭の中の霧が晴れその子に意識が向く。大丈夫だと繰り返しながら再び丸い頭を撫でてやると、みゃぁ、と悲しげな鳴き声と共に、美しいオッドアイから星が流れる様に雫が零れ落ちた。
【以下説明】
何らかの理由で精神を病んで引きこもりになり、ある日突然恋人の浮奇を認識出来なくなったサニー。
浮奇は毎朝「今日こそは元のサニーに戻っているかも」って期待して起こす。なかなか起きて来ないともし自ら命を絶っていたらどうしようかと怖くなり、ドアを叩いて出てくるよう呼びかける。
サニーは時折突然パニックを起こして暴れる事もあるので、浮奇は常にサニーの様子を窺って過ごしている。
いつか戻ると信じて、そっと傍に寄り添う浮奇の話。