両片思いの月見酒 いい酒が手に入った。ひとりでは余すので付き合ってくれないか。
誘ってきたのは長谷部だった。燭台切は量を嗜む体質ではないが、持ちかけられれば燭台切に断る理由はなかった。ほかならぬ長谷部ならば。
まもなく長谷部が盆に載せてきた酒は多くなかった。誰かに分けてもらったのか、一合徳利一本分。お猪口が二つ。
「せっかくだから縁側で月見酒にしようよ」
燭台切が障子を開け放つと、眩い月明かりが部屋に満ちた。
「お前の部屋からだと今夜は月が真正面だな」
長谷部が先に腰掛け、縁側に足を投げ出した。手のひらひとつ分開けた良き友人の距離で、燭台切も腰を下ろす。
酒に詳しくない燭台切の舌にも今夜の一杯は甘く馴染んだ。ちいさな杯を傾け合い、とりとめのない話で頬をゆるめて肩を揺らす。
すこし饒舌になった長谷部に相づちを打ち、酒で口を湿らせる。長谷部のくちびるもまた濡れ、誘うように光る。他愛のないやり取りに胸が高鳴るのは酔いのせいだけではないのだろう。
この感情の上澄みが月明かりに溶けて、彼が飲んでくれたらいいのに。きれいな気持ちだけ伝わったらいいのに。すべて伝わってしまうと不都合だから、お猪口いっぱい分くらい。
身勝手な想像が可笑しくて苦笑いすると、長谷部に顔を覗き込まれた。
「ずいぶん楽しそうだな」
「うん。とても」
きみも同じ気持ちになればいいのに。
燭台切が時間を掛けて空にしたお猪口を盆に置く。長谷部は手を腿に降ろしてふーっと長く息を吐いた。杯はとっくに空だった。
「ごちそうさま。おいしかったね」
「……ああ、うん」
長谷部は呟くように頷いて、そのまま項垂れてしまった。
「長谷部くん?」
「ん……」
かすかに鼻にかかった声が応えた。髪の隙間から覗く耳と目尻が薄ら赤い。いつの間に。
「飲んだお猪口、厨に下げてくるよ」
膝に手を伸ばすと、ぐらりと長谷部の身体が傾いだ。肩と腕で体重を受け止める。肩口にすっかり預けられた表情は窺えない。
「大丈夫?」
返事の代わりに頷きが一つ。長谷部が飲んだ酒量など知れている。到底酔える量ではない。部屋に来る前にひとりで飲んでいたのだろうか。握られた指を解いてお猪口を取り上げる。
「酔っちゃった? 水持ってこようか」
「いい。いらない」
存外声の輪郭ははっきりして、どことなく強ばっているようにも聞こえた。
ひたりと沿う寝間着越しの体温はすこし汗ばんでいた。徳利から酒を注ぐように小気味よく鼓動が弾む。
賭けだった。
「お部屋帰れる?」
燭台切はほぼ吐息だけで尋ねた。聞き取ってくれなくてもかまわなかった。長谷部は何も言わず、微動だにしない。眠りこんでいないのは体重の預けられ方でわかる。
燭台切はおずおずと右腕を伸ばし、長谷部の背を手繰った。見た目より細い腰に巻き付いた紐ごと手のひらで包み、引き寄せる。長谷部が唾を呑み込む震えを肌で知る。
「……僕の部屋で、休んでいく?」
さっきと寸分違わぬ調子で問いかけた、つもりだった。今は色づけしない冷静な判断は難しい。
自惚れでもいいと思った。いっそ無視されてもいい。ここでこのまま月が昇るのを眺めていたってかまわない。
「いい、のか」
ああ。
おつきさま。
了