8/11 「花火」「主たちと花火大会、本当に行かなくてよかったの?」
納屋の格子窓からは強い西日が差し込んでいた。本丸の刀たちは皆、万屋商店街が主催する祭りに繰り出している。盆飾りの提灯が見つからないため今年飾り付け担当の長谷部は本丸に残り、去年提灯を片付けた燭台切もまた納屋に籠もっていた。
二振りとも、そう小さなものでもないのですぐに見つかるだろうと高をくくっていたのだが一向に見つからない。木箱や段ボールを片っ端から開けては閉じる。
「護衛は例年短刀たちの役目だろう。俺が出張る幕ではない」
「でも去年は行ってたじゃないか。どこかにしまい込んだのは僕なんだし、捜し物くらい任せてくれてよかったんだよ」
「去年は近侍だったから行ったまでだ。今年は近侍でもなし。俺は人混みに興味はない」
梯子に登った長谷部が次々と箱の中身を検めていく。
軍手で汗を拭い、ないな、と小さな呟きが落ちる。この納屋ではないのか、やはり仏間を再びひっくり返してみるべきだろうか。手を止めずに相談していると、新たな箱を開けた長谷部が身を乗り出した。
「あ」
「あった?」
「いや、ちがう」
長谷部が箱から取り出したのは、口の開いたビニールに色とりどりの細長い棒。
「花火か。何年前のだろうね」
「さあな。誰か知らんが遊びかけを放り込んで忘れたんだろう。共用の納屋に私物を入れるなと言っているのに、まったくあいつらは」
「まあまあ。忘れることは誰にでもあるよ。それもう湿気てるかな」
「燃やせばわかるだろう。仏間にろうそくとマッチならたくさんある」
どうせ処分するならばと夕餉後に試してみることにして、盆提灯捜索に注力する。幸い日が暮れる前に捜し物は出てきた。
夕餉を縁側で摂ろうと誘ったのは燭台切だった。
「何がせっかくだ」
「だってせっかく花火があるんだよ」
「火がつくかどうかわからないんだぞ」
輪ゴム留めされたフードパックに詰まった焼きそばとおにぎり。割り箸に刺さったキュウリの一本漬け。紙コップにはそれぞれ枝豆、唐揚げ。唐揚げには爪楊枝がふたつ刺さっている。
「ありあわせだけど、お祭り気分を味わえるかなって」
ふんと長谷部が小さく笑って立ち上がる。戻ってきた長谷部の手には、見慣れない色の缶ビールが二本。
「あっ、ちょっといいやつだ。いいの?」
「『せっかく』だからな」
長谷部は燭台切の右側に腰を下ろす。手渡された缶は、あっという間に結露するほどよく冷えていた。
「じゃ、素敵な夜に乾杯」
「俺は盆提灯の発見を祝して乾杯」
プルタブを引き起こして触れ合わせ、夜空に煽る。割り箸を使って縁側で食べる料理は特別な味がした。あっという間にたいらげて、ゴミをひとまとめにする。ぬるくなる前にビールも飲み干した。今日はもう洗い物がないから気が楽だ。
「どれからやろうか?」
縁側から降りた燭台切は長谷部に袋の中身を見せた。手持ち花火ばかりの小袋がいくつか、五本の線香花火がひと束。口の開いた方の手持ち花火はやはり湿気って点かなかった。
それでも未開封の花火は無事楽しめた。すこし煙は多いが、緑色や赤い火花が音を立てて吹き出す瞬間にはふたりで短く声を上げる。これは閃光のように目映い。それは手持ちながら派手に爆ぜる。
「見てよ長谷部くん、これ怖いくらい燃えてる」
相変わらず長谷部は燭台切の右側を陣取って屈んでいた。燭台切は花火を眺めるのとは異なる視線を覚え、右方を見やる。長谷部はその瞬間ふいと顔を背け、ずっと手元を見ていた素振りで話を紡ぐ。
「ああ、すごい勢いだ。火傷するなよ」
「平気さ」
十数本の花火はあっという間に尽き、あとは線香花火を残すのみだった。束の帯を外し、燭台切はひとつを長谷部に手渡す。
「長谷部くん、持ち方ずいぶん短いね」
「先端が揺れると落ちるだろう。以前主たちとやったとき、俺が一番先に終わってしまった」
「それにしても短すぎだよ。もうすこし長く」
こう、と燭台切が見せてもまだ短い。
「慎重だなあ」
苦笑しながら燭台切が長谷部ににじり寄り、このへん、と手を添える。吐息が混じるくらいに頬が寄り、淡くビールが香った途端長谷部が軽く仰け反った。
「ごめん」
咄嗟に燭台切が謝り身を引く。他意はなかったと弁解しようとしたのだが、長谷部はいや、と一言告げてさっさとろうそくに先端を翳していた。長谷部の線香花火はある程度まで燃えたが、やはり燭台切よりも早くぽたりと滴った。
「できるだけ長持ちさせたかったら、すこしこよりを強くするといいらしいよ」
燭台切は長谷部の方を見ず、自分の次の一本を捻る。自分の手元ではない場所に視線を感じても今度は確かめなかった。こうするんだよと示し、燭台切は小さな火に赤い切っ先を近づける。
「先を傾けて点けるとうまく点きやすいんだって。やってみるから、見てて」
長谷部は黙って花火を細く細く撚り合わせていた。
じゃんけんの結果、最後の一本は燭台切が引き受けた。揺れる炎を纏わせると、細かく震えながらふっくらと大きな火玉ができる。今までで一番大きかった。
「見て、長谷部くん。大きすぎて落ちちゃいそう」
「ああ」
応える声とは裏腹に、視線はすこしも花火に向いていない。火種が安定したのを確かめてから、燭台切は膝を揃えて深呼吸した。
「ねえ、僕の顔に何かついてるかな」
「は?」
「なんだか見られているような気がして」
「……眼帯側で見えるのか」
三本目はどの花火より長持ちだった。膨らんで震えていた火球が爆ぜ始め、松葉のように枝分かれした火花が散る。始まりが大きかったように花火にも個体差があるのだろう。燃え方はすこぶる激しかった。
「なにも見えないよ。見えないから、わかる」
やがて音が小さくなり、細く柔らかな橙の飛沫が舞う。穏やかな終焉を待つさなか、長谷部が身じろいですこしだけ距離を取った。
「不快にさせたら謝る」
「はは、不快だなんてそんな大袈裟な──」
「好きだ。燭台切」
ぽつ。
唐突な静寂。燭台切は地面に潰えた火から目を離せずにいた。
「……仕舞いだな」
長谷部は燭台切の手から燃えかすを奪うとバケツに放り、俊敏に立ち上がった。
「言い逃げなんて卑怯じゃないか!」
声は星に届くほどわんと響いた。もう夜は涼しいのに、燭台切が捕まえた手首は汗ばんで熱い。人差し指に触れた動脈が常より速く脈打っている。
湿気を孕んだ夜の風が、素肌をやさしく撫でていく。
「二度は言わん」
先手を打って長谷部が口を開いた。燭台切が回り込んで顔を覗き込むと、長谷部が背ける。
「見て。長谷部くん。僕のこと」
「不躾だろうが」
「見てよ。見てと言ってもすこしも見ずに、ずっと不躾をしていたくせに」
なじるにしては頼りない声色だった。長谷部に歩み寄りそっと抱きしめると、ほのかに火薬がにおい立つ。
「長谷部くんさえよければ、もうすこしお話したい。僕の部屋でもいい、きみの部屋でも」
「俺の部屋は散らかっている」
長谷部が押し殺したような声を漏らした。私物すら最低限しかない長谷部の部屋がどう散らかるのか燭台切には想像ができなかった。
「じゃあ部屋で待ってるから。……あのさ」
「なんだ」
「枕、持っておいでよ」
燭台切が腕を緩めると、長谷部はするりと抜け出した。そのままゴミを集めて立ち去る。
厨への角を曲がり行く背中を見送ってから、燭台切は燃えかすの浮くバケツをゆっくり持ち上げた。はやる鼓動を宥めながら、納屋の向こうの排水溝までわざと大きく遠回りをして流しに行く。
厨の明かりが消えてまもなく湯殿の電球が灯ったのを認め、燭台切はたまらず唾を飲み込んだ。
はるか遠く、打ち上げ花火の音がする。