おまえ、カッコイイなオーエンに「キスをしてみたい」と言われたのは3分前のことで、それに「分かった」と了承したのは1分前の話だ。そして、0分前に俺たちの距離はゆっくりと縮まった。
その時俺は、真直ぐに近づくオーエンの制帽をソッと脱がせた。「あ、ぶつかる」と思ったからだ。俺なりに気を利かせたつもりだった。
「ちょっと、勝手なことしないで!」
でも、俺の行動はオーエンのプライドを傷付けてしまったらしい。ムッとした顔で怒られてしまった。
「僕が全部する」
オーエンがそう宣言する。
「分かったよ」
その言い方が、親の手出しを嫌がる子供みたいだと思った。千歳以上も年上の男が可愛くみえる。所謂「贔屓目」なのかもしれない。
再び、オーエンが近付いてくる。唇が重なる前にスルリと頬に手を添えられ、俺も同じように手を添えた。だけど、ピタリと触れた瞬間、オーエンは体を逸らし、俺から距離を取った。
「ッ……!勝手に僕に触るな!」
今度はそう怒られた。
「お前は何もするな!僕が全部する!」
オーエンが条件を付け足して、再びそう宣言する。
「……分かったよ。何もしない」
胸に小骨が刺さったような小さな痛みを感じた。でも、オーエンが嫌なら仕方がなかった。
三度目の正直で、今度こそキスをする。オーエンの唇は少しだけヒンヤリしていて、何となく柔らかかった。
「……」
一度離れた唇がもう一度くっ付く。下唇を食まれ、上唇も同じように優しく食べられる。俺はもっと乱暴なキスをされるかと思っていた。でも、実際は壊れ物を扱うように慎重で、赤子を相手にするように優しかった。
「ふっ……!ンはッ!」
突然、唇を熱い舌でこじ開けられる。後ずさった頭を引き寄せられ、そのまま両手で固定された。
「ちょっ……!ハッ……ふっ……ン〜〜!」
前言撤回させて欲しい。オーエンのキスが慎重で優しいなんて嘘だ。息をつぐ暇もなく口の中を攻められ、オマケに上から体重をかけられる。酸欠により両腕で体重を支えられなくなり、俺はついにベットへ倒れた。
「ップハァ!」
激しいキスから解放され、胸いっぱいに息を吸い込む。
「オー……えん…………」
意味も無く男の名前を呼んで顔を上げる。
───なんて顔をしているんだ
その瞬間、俺は上を陣取る男に釘付けになった。
オーエンは少し頬を上気させ、ギラついた目で俺を見ていた。戦っている時とも、大好物を目の前にした時とも違う。初めて見る、興奮した雄の顔だ。
「何?」
少し気だるげに首を傾げながらそう聞かれる。
「おまえ、カッコイイな」
「ッ……!!」
両目がこれでもかというほど見開かれる。その顔を「あ、今度は可愛いな」と思いながら見ていると、胸に衝撃が走った。
『バシンッ!』
叩かれた。それも強い力で。
「ッ……!?」
訳が分からず目を白黒させていると、今度はガブリと肩口に噛み付かれた。
「グァッ……!!」
痛みに耐えられず、呻き声がでた。鋭い歯が薄いシャツに食い込み血が出る。まるで野生の狼に襲われているようだった。
「〜〜〜〜ッ離してくれ!!」
オーエンの肩を掴み、思いっきり押し返す。その勢で、俺もオーエンもベットから上体を起こした。
「本気で噛まなくても……」
いいだろ!と続くはずの言葉が消える。
「ぁ…………」
変わりに、間抜けな声が漏れた。
俺は間違いなく、オーエンは怒ったのだと思っていた。だけど目の前には、到底そうとは思えない男が俯いていた。
「…………」
オーエンの表情はちゃんと見えなかった。だけど、真赤に染まった耳はしっかりと見えていた。
「…………オーエン」
照れた姿が可愛いと思った。
だけど、塞ぎ込んだ姿を可哀想だと思った。
────どうすれば、顔を上げてくれるんだろうか
大丈夫だと伝えたい。魔法を褒めた時と同じくらい得意気な顔を見せて欲しい。でも、そのことを直接言葉に行動にしたら……。
───たぶん「うるさい!」って言われるんだろうな
簡単に想像出来る結末に苦笑する。俺は怒らせたいわけでも、傷つけたいわけでもなかった。
────王都の菓子屋巡りを……いや、これだと唯の媚びだな
ならばと思い、オーエンが喜びそうな言葉を考える。でも、ご機嫌取りをしたいわけでもなかった。
────……俺も一緒に恥ずかしくなれば、少しは平気に思ってくれるだろうか
ふと思いついた考えを思案する。だけど、早々に空想上の映像は止まった。この状況で俺が照れ始めたら、どう反応が返ってくるのか分からなかった。つまり、それは今までに経験が少しもない、ということだった。
────よし、賭けよう
ならばやってみるしかない、と思った。オーエンが反応して、尚且つ、俺が恥ずかしくなるような言葉を考える。そして、俺は覚悟を決めると、コートの裾を引っ張った。
「俺のこと……好きなだけビチャビチャに、もっとドロドロにしていいぞ」
"俺のこと"までは大丈夫だった。でも、その後は駄目だった。斜め下に目線をやり、熱を隠すように顔を背ける。
────頼むから早く何か言ってくれ……
手に汗が滲む。今まで感じたことが無い類の緊張感に襲われ、どうにかなりそうだった。
────……俺はまた間違えたのか?
数分待っても罵声すら返ってこない。不安だけが大きくなる。もしかしたら、驚いて声も出ないのかもしれない。いや、単に引かれているだけかもしれない。何にしろ、良くないことは確かだった。
「……オーエン……えっあ?嘘だろ?」
沈黙に耐えられず、おずおずと顔を正面に戻す。しかし、目の前の現実は予想外なことになっていた。
「いない……」
言葉通りオーエンが消えていた。初めからソコに誰もいなかったかのように髪の毛一本すら落ちてない。コートを握っていた筈の右手は、虚空を掴んでいた。
「はぁ…………」
疲れがドッと肩にのしかかる。
────後、5分いや10分したら探しにいこう
そのままベットに倒れてふて寝する。それから、態とらしくゆっくりと寝返りをうった。目の前に白い制帽が現れる。オーエンがこの部屋にいた紛れもない証拠。
俺は制帽を視界に入らない場所に移動させようとした。
その時、
「僕の帽子を返せ!」
不機嫌な声が背中から聞こえた。
後ろを振り返れば、怒った顔をしたオーエンが立っていた。
「……ほら」
結局怒らせてしまった。
何で逃げたんだ。
でも、戻ってきてくれて嬉しい、とか。
たくさんのことを思った。だけど、言動に出来たのは、要求通りに制帽を差し出すことだけだった。
「……」
オーエンは無言で制帽を受け取ると、何時もより乱暴な仕草で頭に被せた。
「…………する」
そして、シンプルすぎる言葉を俺に伝えた。
「え?何をだ? 」
「はぁ?お前が言ったんだろ!」
ベットがボスンっと男の体重で沈む。
「……ビチャビチャのドロドロにしていいって」
脚を組み膝を付きながら、オーエンはそう言った。そっぽを向いていたから、表情は分からなかった。でも、耳は隠れていなかった。
「……もう噛むなよ。痛かった」
「お前が大人しくしてれッ……ちょっと!」
俺はオーエンの腹に両腕を回し、そのまま勢いよく後ろに倒れた。
「あはは!」
気分が良くて仕方がなかった。
だって、オーエンが俺の言葉に興奮してくれた!俺と向き合おうと伝えに帰ってきてくれた!さっきまで凹んでいた気持ちが嘘みたいだった。俺は嬉しくてオーエンのほっぺたにキスをした。
「ッ……!!」
腕の中の身体がビクリと強ばった。
「……ごめん。嫌だったか?」
「べつに……」
オーエンが素っ気なく答える。
「でも、僕がする。僕がお前のことをグチャグチにしたい」
それから目を見て、そう言われた。
「へへっ、分かった!」
どうやら、オーエンは自分で言う分には平気らしい。思い返せば「キスをしてみたい」と言われた時も照れた様子がなかった。そんなオーエンを、可愛い奴め、と思いながら腕の力を緩める。
「ふんっ、だらしない顔」
直ぐに上に覆いかぶさってきたオーエンは、ニヤリと笑っていた。そのまま労わるように、心臓あたりと肩口を撫でられる。
「……」
その姿に「やっぱり、カッコイイな」と思った。
邪魔になりそうな制帽を脱がせても、今度は何も言われなかった。