Blood orange of Tea cup ティーカップにはブラッドオレンジ
収穫月が、昇って降りての頃だった。
「サッチ、回収した"こいつ"はお前のだろう。柄に名前が入ってたぜ」
「あぁ…ありがとうございます、そっか…海に沈んだまんまだと思ってたんで、嬉しいです」
サッチの敬語は今更なので、白ひげは好きにさせている。使うも使わないも、息子達の自由だ。それだけで距離を感じるような繊細さは持ち合わせていない。
A・O海賊団は、解散することなく白ひげに心酔して配下へと下ることを誓った一団である。その中の、泳ぎが達者なクルー達がわざわざ引き揚げてくれたというのだから感謝しかない。サッチは大きな掌の上、柔らかな布地に置かれた包丁の柄に指先で触れる。
THATCH───、記念に彫りを入れてもらったのだ。見習いではなく、ようやく一人前のコックとして料理長イササカに認めてもらえた証拠として。そのイササカから、買い出し船を全焼させた罰として喰らったのは渾身のキャメルクラッチである。物理的に死ぬかとは思ったが、それだけでお咎めが済んだのは幸運だった。
先端が、欠けている。あの時、海に落ちながらも渾身の力で投げ付けた切先は確かにクラウンベッチの手元に向かっていった筈だ。銃身に当たったか、手に触れたかどうかまでは跳ね上がる水飛沫に隠れ分からなかったが、銃身の方だったのかもしれない。包丁は投げ付けるためには出来ていない、当然の結末だ。
「───おれが預かっとくか?」
サッチが暫く無言で柄を撫でるのを、どう受け取ったのか。船長室でのその主の提案に、ニッと笑って首を左右に振る。
「いえ、良いんです。流石に料理に使わないっすけど、……ちょっと複雑なだけで」
包丁は、魂だ。
料理人の魂だ、そう教わって来たし、実際にそう信じて来ていた。自分の身体の一部ではない、一部。人によってはそれを、首から下げるペンダントに託すのかもしれない。何かの偶像に託すのかもしれない。もしかしたら、何の変哲もないただの麦わら帽子に託すのかもしれない───、とにかく、自分の信念を目に見えて感じられる自分以外の何かに託すのは誰だってしてきたことの筈だった。
海賊に殺されるくらいなら、一緒に海の藻屑になろうと誓った信念を、家族を助ける為に"刃"として投擲した。
悔いはない。
だが、思う所はある。
「コイツは、ある意味でおれのなんか、新たな信条ってやつになったんで…大切にしまっておきます」
「信条だって?」
「えぇ、まぁ。うまく言葉に出来ないんすけど…あの時の最善手だったんです。逆に言えば、それしか選択肢がなかった。……そろそろ変わらなきゃって思った、良い"キッカケ"ってやつです。…まぁ、本当に"切"先が"欠け"ちゃった訳なんすけどね〜」
「………」
「……あのー…ここ多分笑うところで…」
包丁を布で包んで巻くのも、どこか記憶に懐かしい思いで懐に抱くサッチだったが、椅子に座したままジッとこちらを見下ろす父親の姿に思わず背筋が伸びる。
伸ばされた掌に、ふざけすぎたかと慌てて身を竦めたのは一瞬で。おっかなびっくり瞳を開く頃には、長くなった前髪を軽く巻き込みながら優しく撫でる大きな掌の温度に息を吐いていた。
「おまえはよォ、サッチ…頭が良いんだろうが、聞き分けが良過ぎるところがあるな」
「そんなことないって…、ないっすよ…えへへ…」
サッチの顔が、思わず綻ぶ。
マルコも、厨房のコック達も見たことがない様な表情は唯一、この父親と慕う偉大な男に見せる"親"への"子供"の顔だった。
恐らくは、いつになっても変わることはない、親と子である限り変わらない、照れて仕方がない嬉しさを溢れさせる笑いだった。
「おれァ、切れる剣位は見て分かる。だが、職人の手に馴染む刃物ってのは…素人だ。どうだ、サッチ。今度の島で、おれにもお前の手に馴染む包丁ってもんを教えてくれねェか?」
掌越しのサッチのはにかんだ笑いが、一気に輝く。
「それって、もしかして一緒に買い出しに出てくれるってこと…すか?」
「あぁ、そうだ。息子の大切なモンが壊れちまったってんなら、買ってやる。しっかり良いのを見極めるんだぜ?」
「…………!!う、嘘だ…!!ヒトの酒勝手に飲んじまうようなケチなオヤジが奢ってくれる…!?」
「あぁ?生意気ぬかしやがるのはどの口だ?このちっせェのか?」
「いひゃいいひゃいいひゃい…!!…っへへ」
ピキッと額に青筋を立てた白ひげが、サッチの頬を指先で摘み上げる。手加減された力の強さに大袈裟にギブアップの掌を鳴らすサッチだったが、すぐに口元は持ち上がり緑の瞳が緩められる。
「オヤジのそーいうところ、マルコにそっくりなんだから…えっへへ…、」
「……そういやサッチ、その調子なら大丈夫だとは思うがビスタは上手くやってんのか。困ったことがあるなら遠慮するんじゃねェぞ」
「まぁ、ぼちぼち…時々、やっぱり島が近くなったり、海軍と出会したらすると、どうしようもなく騒がしくなったりしますけど…、あんなに酷いのは、まだ」
サッチの掌は耳元に当てられるが、その"音"は決して耳から来るものではない。マルコがクラウンベッチ率いる一団に攫われた際、酒場で起きた突然の現象を後になって知ることとなった。
─── 覇気…って、それ、船の強いヤツらが持ってる力じゃねぇの…?おれ、別に強くなってねぇんだけど…。
─── 馬鹿でもお前でも分かる様に話してやろう、サッチ。覇気ってのはな、そもそも赤ん坊から老人まで生きてりゃ誰もが生き物全てが持ってる…要は意志の力ってヤツだ。
─── 意志の力…つまり、誰でも持ってるが、その力をどう使うかとか…量…いや、強さに大分差があるってこと?
─── 飲み込みが早いな、その通りだ。お代わりを頼む…中々良い腕をしてるぜ、サッチ。
─── お、あんがとな。ビスタに紅茶で褒めてもらえると嬉しいな。
マルコを見つけ出した方法について、詳しく聞き出される内に皆の顔つきが少し変わっていくのが分かった。船長の指示は、早急にその力の制御の仕方を覚えることで、指南役が力のコントロールについて一番説明がうまく適切と選ばれたのがビスタである。
─── 特色ってのも、マルコが軽く話してくれたから分かってるけど…。
─── お前がうるさいとも苦しいとも感じたのも見聞色の覇気の力だ。相手の心の声や、気配、そういったものを感じ取れる。イメージとしては…自分の身体の周りに薄い膜があると思え。その膜に触れたら、自分自身に触れていなくても察知することができる…お、そういや名前もサッチだったな!奇遇だぞ、オイ。
─── 言うと思ったよ…あ、これも、もしかして見聞色の覇…、
─── そりゃ違う、全然違う。
─── そこはノリ悪いなオイ!!
ティーカップに注がれた紅茶に口元を緩めながらも、ピシャリと手厳しいビスタにポットを両手で持ったままサッチは下顎を突き出す様にしてぼやくが、ビスタとくればダージリンはストレートに限ると、その風味に涼しい顔だ。
─── 鍛え上げれば鍛え上げる程、出来る範囲は広がっていく。だがな、おれ達みたいに悪魔の実の能力者でもない人間にとって、特に見聞色の覇気は使いこなすまで、頭の中が洪水になるだろ。おまえは特に…、
サッチお手製のフルーツタルトはオータムナルの紅茶に合うと中々の好評だ。
もぐもぐと頬いっぱいに豪快に頬張ったフォークの先を作り手へ向けながら、ビスタは言葉を区切る。
─── 出現が、ちょっと特殊だ。場所が離れていながら、視野にも入らない距離でのマルコの心を感じ取った。そうだろう?
─── ……多分そう、だな。動きっていうか、…叫びっていうか。そうしたら、頭の中におれのじゃない記憶が入ってきて…音だの色が喧しくて…、見えたんだ。
─── 何を見た。
サッチは馬鹿正直に立ったまま給仕人の様に持ち上げていたポットを下ろす。確かに心の声は聞いただろう。だが、それだけではなかった。
─── マルコの…おそらくは、過去の記憶みたいな…けど変だったんだ。記憶っていうのは、普通自分の視点からだろ?マルコの記憶なら、マルコの視界から見えるべきだ。それが、…マルコ自身が見えたんだよ。
─── 妙だな…。
─── けど、マルコに言ってないんだ。断片的に聞いたことをおれの頭の中で勝手に組み替えちまったのかもしれないし!マルコには、言わないでくれない?
─── ん?どうしてだ。
─── マルコ、あんまり知られたくねぇことだと思うから…。おれ達もそうだろ?隠すことじゃないけど。
サッチが見事に八の字の形で眉尻を垂らすものだから、ビスタも小さく笑って頷く。
この船に乗る者は皆、何かしらの過去を抱えている。敢えて掘り返そうという者は居なかった。マルコの様に、歳若くとも結成の初期から居た面子だからビスタもある程度のことは把握している。だが、マルコが望まない以上、そこから踏み込もうとはいくら好奇心旺盛とはいえ考えもしなかった。
─── まぁ、とにかくその声を聞いて、気付いて、追い掛けて、マルコが助かったってのは事実だ!とりあえずは、コントロールの仕方を教えてやるよ。おれに任せておけ!
─── 助かる〜〜、どこでスイッチが入るんだか、もううるさい時にはどうしようもなくて…んでさ、ビスタ。
─── 今度は何だ?
任せておけと笑顔を向けるビスタだったが、頬を掻いてからゆっくりと顔を挙げたサッチの眼差しに、片手のティーカップをソーサーに音も立てずに下ろす。
─── 頼みが、もうひとつあって……。
「……あの時の、最善の手だった…うん」
サッチは懐に収めた包みを撫でる。
この包丁は、戒めだ。今回は、至急の報告と共に速船で送られてきた包丁だったが、A・Oの好物を山の様に作って宴に出すしか今のところサッチに出来る礼の仕方がない。
そう、それも今のところだ。
自室の箪笥の上から三番目に戒めの、墓を作ろう。
写真立てに収めた新聞の切り抜きに問い掛ける。
「ジルだって、"そうする"…だろ?」
瞬きひとつしない彼女から、答えは返って来ない。
それでも、当然だと頷いてくれる確信があった。
✳︎
「─── ってなわけで、サッチとは最終的にそういう関係になりたいと思ってる。おれが熱出してるわけでも何でもないから、皆は特に気にすることなく過ごしてくれ、以上だ」
その男、ラクヨウは一頻り腕を組み直し、唸り声を挙げながらあちらこちらへと視線を彷徨わせる。まるで広々としたミーティング用の船室のどこかに、最適な反応としての答えを探しているようでもあったが、そんなものが存在している筈がない。
真ん中の椅子に腰を下ろし、ふざけているにしては大真面目な顔でプレゼンを終えたマルコに額を抑えた後ようやく右手の人差し指を立て挙手をする。
「はい、ラクヨウ」
「─── 帆の修繕作業明けのおれに対する、タイミングの悪いドッキリの可能性はあるか?」
「残念ながらねぇよい」
「そうか…若干それか、もしくは悪い夢の可能性を信じてたんだが……、」
キッパリ、ザックリと否定で切り捨てるマルコにラクヨウはすぅぅぅ、と息を吸ってから挙げていた片手を拳に握って自身の両膝にパシーン!!とこれまた高らかに下ろす。
「チクショウ…!!弟分が…!!弟分に惚れちまったって話を、早朝から聞かされるおれの気持ちを考えろ…!!せめて、寝かせろよ!一眠りしてから聞かせてくれ、どういう気分で寝りゃあ良い、寝られねーだろうが嫌がらせか…!?掛ける言葉はおめでとうで良いのか!?」
「ありがとよい、まだサッチにゃ気持ちを伝えてねぇよ」
「せめて形になってから伝えるっておれへの配慮はねぇのか、ぁ!?」
下から睨み上がる様に凄む男、ラクヨウ。
南の海出身の、マルコよりもさらに古株の男だった。白ひげを父として慕い、敬うのは他の兄弟達と変わらないが人柄はそのいかにも破落戸といった風貌と反して世話焼きの気質がある。陽気で時に強引なまでの前向きさはあったが、それが目を掛けてきた弟分からの突然のカミングアウトには、流石に愛用の鎖鉄球直撃どころではない衝撃に椅子からずり落ちるのをしがみついて堪えるのが精一杯だった。
慌てて、さらに大柄な体格のジャズが腕を引っ張り上げる形でどうにか戻してやる。マルコが至って冷静であり、想定内であると動じないのも逆にラクヨウの混乱に拍車を掛ける様だった。
「ラクヨウは、おれがこの船に乗った時に世話役になってくれたからねい…、皆より先に伝えておこうかと思って」
「うぉぉぉぉ!!その配慮はありがとよ!!兄貴としては嬉しいぜ、方向性は!間違ってんだが!!」
「はっはっは!良いじゃねェか」
普段、豪放磊落で知られた男が椅子にしがみついて喚く光景は実に愉快なものだとビスタは遠慮もせずに頬杖を突いて笑う。円卓の会議ではあったが、最早座席などあってないようなものだ。
「おれは面白いと思う。男だの、女だの、子供が欲しいってんじゃなければ些細なことだぜ。マルコが決めたことなら、おれは応援する」
「ありがとよい、ビスタ」
「おれだって別に、マルコが男好きだろうと女好きだろうとどっちだって構わねェよ、あー吃驚させやがって…、ただお前ら盃交わした兄弟仲だろ?だから驚いたっていうのが…、なぁ、ジョズ。おまえも正直ビビったろ?」
ビスタの達観した態度に、自分の反応がおかしいのかとラクヨウはジョズを振り仰ぐ。ジョズ、通称ダイヤモンド・ジョズ───、悪魔の実、超人系、キラキラの実の能力者だ。動物系幻獣種であるマルコの最初の兄貴分がラクヨウであるなら、最初の弟分はジョズである。
急に話題を振られたにも関わらず、戦闘時以外はおっとりと構えるジョズはいつも以上に緩慢な動きで両方の掌を膝の上で合わせる。その表情は、何とも素朴なものだった。
「おれは…嬉しい。恋だの愛だの、正直想像がつかないが…きっと良いものだ。マルコがそういうものを見つけられたことを嬉しく思う」
「ジョズ……、照れるじゃねェか、ありがとよい」
「サッチは良いヤツだ、おめでとう」
「じゃあ、イゾウだイゾウ!!」
照れ臭さそうに鼻の下を指で擦るマルコは、ラクヨウにとっては成人をそろそろ迎える年齢であってもどうにもまだまだ出会った頃の幼い子供に見えて仕方がない。
「ん?おれか?───そもそも何が問題なんだ、この船は恋愛が御法度だったのか。初耳だったな」
イゾウ───、目が醒める程に冴え冴えとした美貌の持ち主であるこの男も、マルコやサッチと同じ齢であり比較的、船に乗り込んだ時期としては遅い。ゴール・D・ロジャーの船へと移ったが、主君である光月おでんを慕い案じるあまりにその背を追ってきた(物理的にも、だ)猛者である。
得意とするのは、昨今は刀ではなく銃であり、その見目の艶やかさから同性からちょっかいを出されることも少なくない男だ。その男が白い首を傾げれば、危うい色気が覗く。
「いや、別にそういうのはねェよ…実際、口にこそ出しちゃいねェが、そういう仲の奴らは…何人かいるしよ」
「だろうな、見てて分かる」
何も海の世界では取り立てて珍しいことでもない。
閉鎖的な空間で、同じ方向を目指す集団だ。背中を預けられるまだ信用出来る相手に、友情を超えた感情を覚えるのは、何も海賊だろうと海軍だろうと関係なくあることだった。
ラクヨウ自身、可愛い弟分達に想いを告げられたことは経験としてある。どうしても、そういう目で見ることが出来ないために全て後腐れない様に断るのも海の男としては必要な手腕と言っても過言ではないのだ。
それでも、決して人間としてだの、男として魅力がないのではなく、ラクヨウが自分としての問題であり、となまじっか覚悟を決めて想いを告げに来る家族にNOと言うのは結構な精神的負荷が掛かるのも事実だ。
「ただ、おれはよォ…サッチはあれだ、確かに今はちょっと可愛い面してるかもしれねェが、ありゃ結構デカくなりそうだし…、」
目元に出来た傷をマルコの前では流石に口に出さないが、あれが名誉の負傷なのは皆理解している。船に乗り込んだ経緯やマルコの盃兄弟というだけで、比較的非戦闘員といえど家族内でも一目置かれているサッチだったが、そのマルコを今回救出するのに大きく活躍したということで配下の海賊達もサッチに対して興味や一目置く者も出ているのだ。
「…それに歳を重ねりゃ、おれみたいにクールでイカしたヒゲを生やすかもしれねェ。コックなら腹だって出てくるかもしれないし、禿げ…抜け毛に悩まされる様になるかもしれねェぞ」
「何だそりゃ、ラクヨウの将来の不安か?」
「混ぜっ返すなよ、ビスタァァ…?おれはだな、何も難癖付けたいんじゃねぇ…つまり、」
「分かってる、ラクヨウは心配してくれてんだろ?一時の気の迷いで、家族の仲がギクシャクするか…もしくは壊れちまうんじゃないかって」
マルコが至って穏やかな口調で意を汲むものだから、ラクヨウはその通りだと言葉なくとも表情で多いに同意を示す。良くも悪くも、強い男に憧れる男達の集まりだ、マルコなんかはこれから益々雄々しく飛躍していくことだろう。
兄貴風を吹かせるだけあって、弟達は皆可愛いものだ。出来るだけ、必要以外の傷は付かなくて良いだろうと先回りしてやりたくなる。───傷を増やして成長するものだが、ことに恋愛のあれこれについて、ラクヨウ自身、陸の女との別れで強くなった心が自分に存在するのかは甚だ疑問である。
「…例えばさっきの話な、サッチが年取って老けて、皺が増えて髭も生やして…、」
マルコは両手の指先を合わせて眼差しを伏せる。何を想像しているかは、明白だ。
「……嬉しいなァ…それまでおれが側にいれたってのは、想像すると幸せな気持ちになってくる」
「マルコ……、」
「それに、女だっておんなじだよい。若い頃とは様変わりしてくるだろ、変わらないヤツがいたらそりゃ魔女だ。けど、皺のひとつひとつが、そいつの生きてきた証じゃねェか。───綺麗なもんだ」
気のせいか、後光が指して見えるとラクヨウは掌で目元を覆う。
「ぐっ……ま、眩しい…何だ、ジョズ、おまえか…!?」
「冤罪だ」
「……分かった、分かったっての、本気なんだな。…そんならおれは特に言うことはねェ、成功したら祝ってやるし、失敗したら慰めてやる。それ以上もそれ以下もしねェから好きにすりゃ良い」
「助かるよい、呼んで話した甲斐がある」
どのみち広くて狭いモビーディック号で起きる諸々なのだ。知っておいた方が変に動揺しないで済むうえに、勘繰りも心配も余計なお世話すら、この不死鳥は望んではいないだろう。自分が絡めば面倒な話ではあるが、正直、娯楽に近い視点で見守るのが最適なポジションだ。
「最近、くっついた奴らはくっついた奴らで円満だしよ、色恋の話は見てる分には愉快なもんだ。揉めて仲裁が必要になった時だけ、中立で入ってやるからな」
話はこれで終わりかと腰を上がる大兄貴分の言葉に、イゾウはそっと一番近くの席のビスタに耳打ちをする。
「ラクヨウはあんなこと言ってるが、気付いてねェのか?……ホワイティ・ベイからの気持ちに」
「まったく気付いてないな、自分に向けられる矢印は直接突き刺されて初めて気付く様な…まぁ、鈍感だ」
「鈍感。男の鈍感ってのは、罪だな」
「野暮で罪だぜ、ベイもあんな鈍感男ふん縛ってやることやっちまえば早いのにな」
「そりゃあ乙女心ってやつだろ」
「ベイに存在してるか?そんなもん」
「ねぇな」
声もなく爆笑しながら互いの肩やら背中やらを叩き合う二人の姿は、年相応のものだ。
「何こそこそ話してんだアイツら…なぁマルコ、オヤジには言ってあんのか?」
肩を竦めつつラクヨウはミーティングルームの扉に手を掛ける。兄貴が兄貴なら、父親は父親だ。何も話を通しておけとは言わないが、ここまで念入りに"茶々を入れるな"と宣言しておくからには、当然かと自己完結しかけたところで、首は左右に振られる。意外だった。
「してねぇよ」
「マジでか!意外だな、てっきり一番最初に宣言しに行ったかと…」
「どう転ぼうと、最後までねぇな。おれ達は等しくオヤジの息子だろ。ないとは分かってても、サッチが居場所を失くすようなことには繋げたくねぇんだ。だから、オヤジだけは言わねぇ」
片手を腰にあて、のんびりとした口調で語るマルコに唖然としたのはほんの数秒のことで、いっそ感心の思いでラクヨウは両手を拍手の形に叩き合わせる。
「何だそりゃ」
「いや、おまえ結構考えてんのな、それだけ本気ってことかと思ったら…なァ?」
実際そうだ。
ただ、若さからの熱病に浮かれて周りに吹聴して回るような男ではないと分かっていたが、いつの間にか少年は青年になっていたんだと思い知らされる。その純粋な賞賛としての拍手である。
「わかった、改めて誓おう。おまえ達のあれこれを勝手に賭けにして盛り上がったりしねェって…あぁ、それならいっそおれから緘口令でも皆に…」
「あぁ、その必要はないって。むしろ皆には知っててほしいくらいだ。じゃねぇと埋まらないだろ?」
「は?」
「外堀がよ。─── せっせと逃げ場を埋めてるんだ、今こうやって」
主張の激しい下睫毛が、上瞼に猛烈に当たる勢いで瞬きを繰り返す。見上げてくるマルコの口元から、並びの良い白い歯列が覗くが、青い瞳が冷ややかに一切笑っていないことにゾッとラクヨウの両腕に鳥肌が立つ。
覇気、ではない。ならば何だ。
「そりゃまぁ、まだ何も伝えるどころか直接動いちゃいねぇから、サッチの行動も何もかも自由だ。娼館で遊んでこようと、村娘と短いロマンス重ねたって構わねェ。構わねェさ」
「……す、すごく構うって顔して…あーまぁ、サッチは…女が好きだもんな…?」
「おれだって男に興味はねぇよ、サッチだからだ。…あいつが男だろうと、女だろうと、…いや、いっそのことサッチが女だった方がよかったのかねェ…」
口元を覆っての溜息は、恋する若者の悩ましいものだったかもしれない。だが、歴戦の猛者であるラクヨウでさえ温度の高低差に両腕を摩る。付近に冬島でも迫ってるのか───?
「……だが、どんなに女が好きだろうと、おれ達は渡り鳥だ。島から島へ、留まることはねぇだろ。所詮は美しい想い出ってもんに変わる。アイツは夢の為には死ねるだろうが、女の為には島一つ留まれねぇような男だよい」
「そりゃあ、褒めてんのかよ、それとも」
「事実は事実だ、目下の脅威は…夢を一緒に追い掛けて行けるような相手を船で見つけちまうこと。男だろうと女だろうと関係ねぇよい、牽制するところは兄弟だろうときっちりしておかねぇとな」
外堀を埋めに埋めて、盃の兄弟だという一番近い位置を存分に活かして。じりじりと袋の中に閉じ込める様に捕らえていかなくてはならないと、まだ成人手前の弟分が呟く言葉は洒落にならない。そもそも、洒落で済ますつもりはないらしい。
「おれも女は抱いた事があっても、男は初めてだからよい。色々と下調べやらが必要だから、ラクヨウ」
「あ?」
「色々と面倒掛けるだろうが、よろしく頼む」
「……あ…あぁ……」
肩をぽん、と叩いては清々しい顔で通路の角の向こうへと消える弟分にラクヨウはしばらく何とも言えない顔で天井の木目を仰ぐ。どうしてこう逞しくも育ってしまったのか。皆の弟分として可愛がられていた過去が、どうにも懐かしい。だが───、
─── ………おれの生き血を飲んでも、肉を食っても…けっきょく、皆…むだだったねい……。
檻の中に横たわりながら、ぽつりと感情もなく呟いていた少年。酷いと思ったあの日は既に遠い。
徐々に表情が生まれて、父親の肩で歌い、笑い飛び立つことも、誰かを愛おしむことも覚えたというのなら。多少の犠牲はやむを得ない。
「カーーーッ!!待ちやがれ、おれは、おれは応援してやるからな、マルコ…!!男なんてな、基本は女と同じだ、安心しろ!!」
「男抱いたことあんのかい」
「一応経験としてはある、昔寄ったある島でよー、風習だか文化だか知らねぇが、女じゃなくて全員男の娼館があってだな……?」
肩を抱き抱かれて、去っていく若者達の姿は意気揚々と幸先は明るいかと思われていた。
しかし、時代は大きな混迷と狂乱の唸りを迎えることとなる。
✳︎
不死鳥の脚に誇らしく揺れる
金色の輪の様に丸い、狩猟月が昇る秋の頃だった。
偉大なる航路を制覇した男、世界が海賊王と呼んだ男が処刑されたのは。彼が死の間際に放った、莫大な財宝"ひとつなぎの大秘宝"の夢は人々を大海原の冒険へと駆り立てたのである。
世はまさに、大海賊時代───。
誰が次の海賊王となるのか、誰がその大秘宝を見つけるのか。浪漫を追い求めたがゆえに、それまでのある程度の秩序を打ち壊し狼藉が罷り通る海となってしまうのを、エドワード・ニューゲートが大海賊団の船長として平定に尽力したのは皮肉な結果だったのかもしれない。
「………そりゃあ、今の動乱の時代でそれなりの覚悟はしてるんだろうな、サッチ」
「あぁ、決めたんです」
父と子と、何度こうして向かい合ってきたのか。
いつか振り返った時に子供は気付くだろう、回を重ねるごとに徐々に高くなっていく自分の視点の変化を。
「グララララ!!息子の決心だ、止めはしねェよ…だが、この船を降りることになっても…か?」
向かい合う父親に、向けるサッチの眼差しは過去は想いを馳せる様に一度だけ伏せられるものの、再び挙げた際に見せる揺らぎはなかった。
「……おれは、立ち止まっちゃいられないんだ。夢も捨てられねぇ。選ばれた人間だなんてちっとも思ってねェけど、……憧れてる存在に…少しでも並び立てる男になりてェんだ…!」
TO BE CONTINUED_