店番猫ちゃん「明日出かけてくるね」
そう暁人にさらりと告げられ、オレは眉を跳ね上げた。特に問題のないセリフのはずが、何かがオレの感覚に引っかかったのだ。読んでいた文庫本から顔を上げ暁人を見ればいつも通りのおっとりとした表情。だが「そうか」とだけ返せばどこかほっとしたように見えた気がして、やはり何かを隠しているなと思う。
元刑事の勘としか言えないそれがまぁまぁの的中率なことをオレは実地で知っている。煙草をふかしながらさてなにが引っかかったのかとのんびり考える。さほど嫌な予感はしないので、放っておいても良いのだが……もうこの思考は職業病のようなものだ。
ちらりと暁人をうかがえば、こちらを見ずにスマホをいじっている。それで違和感の一つに気がついた、報告が少ないんだ。暁人は身内にはわりとおしゃべりな質で、どこかに出かけるとなると行き先や相手などを世間話ついでによく話してくる。「友達と飲み会に行ってくるから帰りに焼き鳥お土産に買ってくるよ」だの「スーパーに買い物行くけど食べたいものある?」だの。
それが今回は「出かけてくる」だけ。行き先を告げられない理由でもあるのか? オレは頭の中で明日のスケジュールを思い出して、仕事が終わり次第様子を見に行こうと心に決める。外野には過保護だ束縛だのよく言われるが、弟子であり相棒であり年下の恋人であるコイツ相手に取り繕えるほどの余裕がねえんだよほっとけ。
さて、明けて今日。仕事も順調に終わりメッセージアプリで凛子に報告を送ると、今日は直帰でいいとの返信が来た。ありがたい。言われなくともそうするつもりではあったが、これで大手を振って暁人の様子を見に行けるってもんだ。
あの夜からオレと暁人には繋がりがある。なので何かあればすぐわかるし、暁人にはまだ難しいようだがオレからすればだいたいの居場所の特定もたやすい。胸に手を当てて目を閉じ、繋がりを引き寄せるようなイメージをする。同時に霊視を行えば、黒いモヤが伸びているのが見える。
「この方向、距離……猫又のとこか?」
普段から依頼などで懇意にしている(不本意だが)猫又の店がある方だった。いくら愛想が良いとは言えアイツらは妖怪で、人とは違う理で生きてるのだから気を許すなと口を酸っぱくして言っているんだが、どうにも暁人はその辺があめぇ。
「まぁ、それがアイツの良いところなのかもしれねえが」
そう思ってしまうあたり、オレはオレで暁人に甘い。まぁだが、行き先が猫又の所と考えれば、オレに詳しく言わなかったのも道理かとも思う。
「説教はするがな」
今度はどうやって言い聞かせるかと考えながら歩いていたからか一瞬反応が遅れた。「いらっしゃいいらっしゃーい、今日はサービスデーだよぉ!」と機嫌よさげににゃいーんと鳴く猫又の声と「ありがとうございます、また来て下さいね」という暁人の声に。
……ありがとうございますぅ? 何やってんだあの馬鹿。
苛立ちと共に早足で駆けつけた猫又の屋台で見たのは、猫耳に鈴のついた首輪と半纏というまさしく猫又の格好をした暁人だった。
「はァ?!」
思わず飛び出した低い声に暁人がこちらに気づいて「えっ、KK――やっば」とつぶやいたのがわかった。やばいという自覚はあるのか。どういう自覚かは後でゆっくり聞くべきだとは思うが。
怒りなのか呆れなのかわからない感情で引きつる口角を無理矢理にあげた笑顔は、多分相当に凶悪なツラだったとは思う。屋台から逃げられないまま慌てている暁人にゆっくり近づくと、オレは口調だけは優しく暁人に問いかけた。
「お暁人くんは、オレに隠れてなぁにやってんだ?」
「KK、なんでここに……」
「オマエの様子がなんかおかしかったから探しに来たんだよ。そしたらオマエときたら……必要以上にコイツらに関わるなって言ってるだろうが!」
「ちょっと頼まれて店番してるだけだよ」
ね、と猫又に目配せする暁人に、共犯者(猫)は「暁人さん妖怪達にめちゃくちゃ人気あるから店番頼むと売り上げ倍増なんだよねぇ」とにゃふにゃふ笑ってやがる。
そう、そうなのだ。あの夜出会った妖怪達は、なぜだか暁人を慕う者も多い。恋人のオレとしては正直気にくわねえ。
――だいたいだ。
「店番するって言ったって、こんなもんまでつけてなんの意味があるんだよ」
ムカムカとした気持ちのまま頭で揺れる猫耳をぐいと引っ張れば「だめKK――いって!」という悲鳴が暁人から上がり。とっさにオレの手が引っ込んだ。指先に感じた柔らかさと――あたたかさ。それはつまり。
「オマエそれ生えてるじゃねえか!」
気まずそうに目をそらす暁人と「大丈夫、一日限定だよ~」という猫又に、天を仰いだオレの怒りは増えるばかりだ。
「――帰るぞ」
「え、でもまだ」
約束の時間じゃない、と続ける暁人にまだ言うかと思う。暁人に懐いてくる妖怪どもと関わらせるだけでもむかつくというのに、さらにそんな猫又の仲間のような格好をして店番なんて許せるわけねえだろ。
「旦那に見つかっちゃしょうがないね~。今日はここまででいいよ」
「あの、あれは」
「報酬はちゃんと渡すよぉ。売り上げは十分伸びたしねぇ」
ということは、いったいどれだけの奴がこの暁人を見たんだ。苛立ちのままに屋台から暁人を引っ張り出して首輪と半纏を剥がして猫又に投げ返す。
「次はねぇぞ、クソ猫」
「怖い怖い! あんまり嫉妬深いと嫌われるよ旦那ぁ」
「うるせぇ」
そのまま暁人をオレのコートでくるんで天狗を呼ぶ。天狗にも見せたくないが速攻で家に帰るなら仕方ない。
「ちょ、KK!」
宙に浮き上がると暁人が慌ててオレにしがみついてきた。「離すなよ」と告げビルからビルへ移っていく間、暁人の猫耳が風にふるふる揺れていてどうにも我慢が出来ず、かるくはんでやるとびくりと体を震わす。
「帰ったら説教だ――首輪なんてつけられてるんじゃねえよ」
「え、そこ気にしてたの?」
ネックレスみたいなもんじゃん、と本人は首をかしげているが下心のあるオレからしてみれば恋人に首輪なんて扇情的以外の何物でもなかった。
「一日限定……ってことはまだしばらくその姿って事か」
「なんか嫌な予感するんだけど」
「説教って言ったろ――ついでに、いっぱい鳴いてもらおうか」
オレが何を考えているのか伝わったのか暁人は一瞬息をのみ、そして吐息をはくように「……スケベ親父」と頬を染めてつぶやいた。
その晩、耳どころか尻尾まで生えていた暁人にはこれでもかと鳴いてもらい。オレとしては腹立たしさもあったがまぁ、良い趣向替えにはなったと思う。暁人本人には「ばかばかばかばか。KKのばか。スケベ。エロ河童」とさんざんな評価をされたが、恋に溺れた中年なんてこんなもんだろ。
そして次の日ベッドに沈む暁人が言うことには、あの謎のバイトは猫又が隠してたオレの調査資料が欲しくてやったものだと。そう言われてはやに下がった顔つきになるのをとめることは出来なかった――。