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    桃本まゆこ

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    桃本まゆこ

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    え~じの試合を見に来てキスカムに抜かれるふかっさんが見たいという気持ち。急に始まって急に終わる。書きたいとこだけ。

    #沢深
    depthsOfAMountainStream

    キスカムの沢深 今年の休暇をアメリカで過ごしたいと言ったのは深津の方で、沢北はそれを快諾した。そのときは今年も二人のんびりと束の間の休息を過ごせるものと信じて疑わなかったのだ。
     どうやら今年は何かが違う、ということに沢北が気付き始めたのは、深津の滞在が一週間を超えたあたりからだった。

     沢北が念願のNBA入りを果たしてからすでに四年の月日が経っている。実力も実績も十分に認められた選手であることは事実だが、オフの日の過ごし方は気楽なものだった。少なくとも自分が何者であるかを悟られないよう変装をしたり、顔を隠して出掛けたりするような気の使い方はしない。深津がオフシーズンに合わせて滞在する間も、沢北はレストランでたまに居合わせたファンにサインを求められることがあるくらいで、ごく普通に日常生活を送っていた。
     NBAの本場には四六時中パパラッチに追いかけ回されるようなスター選手が星の数ほどいる。沢北もアジア人選手としては人気のある方だが、歌手や女優のようなセレブリティと浮名を流すわけでもなく、堅実に、ともすれば山王にいた十代の頃の方が黄色い声援を浴びていたのではないかと思うほど地味に、この国で選手としての日々を送っている。
     とは言えひとたび帰国すれば沢北は日本を代表するスポーツ界のスーパーヒーローだ。現役日本人プレーヤーである沢北は世間の注目の的で、空港の到着ロビーに降り立った瞬間から芸能人さながらあっという間にファンや記者に取り囲まれてしまう。チームではなく沢北個人に企業のスポンサーが付いたことをきっかけにCMやテレビ番組などメディアの露出も増え、沢北栄治の名前がバスケに興味のない層にも広く知られるようになったこともその一因だった。どこに行くにも人の目が付いて回るせいで、前回の帰国の際にはアメリカにいる方が気が楽だと愚痴を溢していたほどだ。だがそれも日本国内に限っただけの話である。NBAの本場アメリカにはパパラッチたちがドル箱として付け狙うスーパースターがいくらでもいるのだ。パパラッチにしてみても、日本からやってきた同性の恋人と慎ましくデートをしている沢北栄治の姿を撮ったところで、大した稼ぎにはならないのだろう。だがそれが今年は、何かがいつもと違う。

    「一成さん、何か俺に隠してることあります?」
    「な、何もないピョン」
     沢北は慌てた様子で着ていたパーカーのフードを深く被ると、自分のサングラスを深津にかけさせた。一体何が起きたのか分からない。沢北の選んだカフェに二人で足を運び、ごく普通にテラスでコーヒーを飲んでいるうちに周囲には黒山の人だかりができていた。
     そこはかつて沢北の所属するチームに在籍し、今は現役を退いて実業家となった元NBAの先輩選手が経営するカフェで、エージも遊びに来いとかねてより招待されていたのだった。同じような理由でカフェの壁面には選手たちのサインが多く書き残されている。日本の飲食店でよくあるようなサイン色紙ではなく、店の壁に直接ペンでサインをするのがこの国らしい習いだ。そのためNBAファンの間では「運が良ければ選手と遭遇できるカフェ」としてちょっとした有名スポットらしい。沢北もそれは分かっていたが、とはいえファンに出くわしたところで、いつものように穏やかに握手やサインに答えて終わりだろうと思っていたのだ。まさかこんな四方八方を人に囲まれ、無遠慮にスマホのカメラを向けられるとは思っていなかった。
     大急ぎでチェックを済ませて店から出る。表通りの騒ぎに驚いた店員が気を利かせて裏口を開けてくれたので、沢北は深津の手を引いて素早く細い路地へ入った。タクシーを捕まえる沢北を見上げ、深津は鼻からずり落ちるサングラスをかけ直した。
    「日本で何かやらかしたんですか!? 絶対おかしいっすよ! 」
    「なっ、何もしてないピョン……」
     沢北が振り返ると深津は視線を泳がせた。絶対にあやしい。ほぼ百パーセント『黒』である。どうやらファンの注目を浴びているのが深津であるらしいということには沢北としても気付いていた。沢北の方が目立つのでランドマーク的にファンに発見され、そこで隣に深津がいることに気付くとファンたちのテンションが上がっているようだった。概ね女性ファンが多く、スマホのカメラを向けてくる者もいれば、何やらこちらに向けてスマホの動画を再生していた者もいる。キュートだとかホットだとか、日本語で言うならば「可愛い~♡」みたいな甲高い声があちこちから聞こえていたような気がする。
     ようやく乗り込んだタクシーの車内で、沢北は自分のスマホにEiji Sawakitaと打ち込んで検索した。日頃、SNSやインターネット上で自分の名前を調べることは一切ない。自らのメンタルにとって百害あって一利なしであることを身に染みて知っているからだ。だが今回ばかりは例外の事態だと沢北は本能的に察していた。間違いなく、何かミーハーなファンやメディアが騒ぐようなことが自分たちの身の回りに起きている。時間にしてほんの数秒。果たして答えはすぐに見つかった。
    「……は? 待って、これ、この前の試合?」
    「……ピョン」
     Sawakita’s Biggest fan、目に飛び込んできたのはそう題された動画だった。ぱちぱちと目を瞬かせる沢北の隣で深津はむっすりと口を閉ざしている。
     休暇に入る直前、沢北が今シーズン最後に出場したゲームの映像がSNSにアップロードされている。画質は荒く、音声もひどく割れている。それは観客の一人がスマホで会場内を映した短いプライベートムービーのようだった。ほとんど雑音ばかりが響く画面の向こうで、不意にざわめきが沸き上がる。次の瞬間には動画のカメラはコートのはるか上空、会場中央のモニターに向けられた。モニターには『kiss cam』 のロゴと共に真っ赤なキスマークとハートマークが浮き上がっている。キスカムに選ばれたカップルたちは皆一様に驚いた笑顔を浮かべ、時には誇らしげに、時には恥ずかしそうにキスを交わしていく。初々しくはしゃぐ若者や、中年の夫婦……数組のカップルを経て次にカメラに抜かれたのは、客席にぽつんと座る若い男性の姿だった。チームロゴの入ったキャップを目深に被り、さらに足を組んで膝の上に頬杖を付いているせいで口元も隠れている。ほとんど顔が映っていないも同然だが、沢北がその姿を見間違えるはずなどなかった。
    「え?! 待って?! これ一成さんじゃん!」
     キャップを被った深津の隣にはほとんど人間と同じくらいのサイズの巨大なテディベアが座っている。テディベアが着ているのは沢北のチームのユニフォーム、背番号は沢北の9番、しかもサイン入りのものだ。
    「ちょっ、一成さん、まじで? 見てたのぉ?」
     動画の中、じっとコートを見つめている深津は、自分がカメラに写っていることに気付くとモニターを見上げた。その顔は相変わらずの無表情だ。気難しそうな若い男がひとりきりでキスカムに抜かれているというシュールな状況に会場からは笑い声が起きている。
     すると次の瞬間、深津は隣の大きなテディベアを抱き寄せてキスをした。目を閉じ、唇をつんと尖らせてたっぷり十秒以上の熱烈なキスに会場から大きな歓声が上がる。唇を離した深津がふかふかのぬいぐるみに頬ずりをする頃には、口笛だの拍手だのが鳴り響くほどの盛り上がりになっていた。
    「いやいやいや可愛すぎでしょ!? 何してんの一成さん?! 俺が引っ込んでる間に!」
    「見てないお前が悪いピョン」
    「この日来てるって知らなかったもん~!」
     今シーズンラストの試合には間に合わないと聞いていた。試合終了後の深夜の便でこちらに到着するというので、沢北はその翌朝にホテルまで深津を迎えに行ったのだ。この動画に映る男が間違いなく深津であるなら、実際はそれよりも早いフライトで、試合に間に合うように渡米していたということになる。
    『エイジサワキタの熱烈なファン』というキャプションでSNSに転載されたその動画は、沢北のあずかり知らぬところで爆発的にバズっていた。

    ――かわいいw
    ――こいつテディベアの分もチケット買ったのか?
    ――エイジのファンなんだね!

     好き勝手に流れるコメントの中、一体だれが呟いたのかも分からない次の一言が投下された瞬間から、ほんの数十秒の短い動画は瞬く間に拡散され始めたのだった。

    ――ファンじゃないよ。彼はエイジの本物の恋人だよ。日本のバスケ選手。
    ――え?! 


    「あぁ~……こんなかわいい一成さんのキス顔が世界に広まってたなんて……! 二人でいるとやけにキャーキャー言われんなぁとは思ってたけど……っ! ああ~もう~!」
     大仰な仕草で頭を抱える沢北を見遣り、深津はふとタクシーの運転席に目を向けた。ハンドルを握ったまま、控えめに俯いたドライバーの肩が小さく震えている。笑いを堪えているらしい。どうやら日本語の分かる運転手に当たってしまったようだ。
     沢北のリアクションが良すぎるのがいけない、と責任転嫁しながら深津は大きくため息をついた。
    「……栄治、怒ったピョン?」
     サングラスを外し、上目遣いに見つめる。齢三十も近付いた男のぶりっ子なんて痛いだけだろうと思うが、天下のNBAプレイヤー様には効果覿面のようだ。
    「も~! かわいいっ! 怒ってません! でも熊じゃなくて俺にキスして!」
     190センチを超える大柄な男ががばっと抱き着く。然して広くもないタクシーの座席は大きく揺れ、ついに堪え切れなくなったドライバーは後部座席を振り向いて大きな声で笑った。
    「お二人さん、お幸せにね!」
    「ありがとうピョン。安全運転で頼みますピョン」

     二人が仲睦まじいほっこりカップルとして日米問わずネットニュースの常連になるのは、もうしばらく先の話である。
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