CRITICAL ERROR 鳴り響くエラーメッセージ、動かなくなるボディ。辛うじて稼働していた聴覚センサーが最後に拾ったのは、見知らぬ男の声だった。
高層ビルの真ん中を薄紅色の花弁が舞い、眩しい光と音に溢れたネオン街──フォルモーントシティ。そこでは人間の他に、アシストロイドと呼ばれる人の手によって作られた機械たちが暮らしている。
整備と機械化の進んだハイクラス・エリアとは違い、階級社会の底にあるワーキングクラス・エリアには治安の悪い場所も決して少なくない。法の目をかいくぐった非合法な店が立ち並ぶ中、管理者不明のアシストロイドたちはメンテナンスもされず、ただ使い捨ての道具のように各々の役目を全うすべく働かされていた。
──フォルモーント・シティポリスのもとに大規模な麻薬取引のタレコミが入ったのは夕方過ぎのことだった。ワーキングクラス・エリアの歓楽街の一角で、違法アシストロイドたちと引き換えに、隣接したシティから大量のドラッグが持ち込まれるという。人の形を精巧に模したアシストロイドは高値でやり取りされるのだ。特に違法アシストロイドは、人の心に取り入りやすいよう愛らしい見目をしているものが多いから尚更。
『部局各位、作戦は伝えた通りだ。こんだけデケえ取引となると恐らくだが戦闘用のアシストロイドも配置されてる。気ぃ抜くんじゃねえぞ』
インカム越しに指示を出した後、フォルモーント・シティポリスの署長であるブラッドリーはエアバイクのエンジンを始動させた。
アシストロイド絡みの事件は近年増加の一途を辿っていた。人間関係に疲れた人類によって作り出されたアシストロイドだが、最近では元々犯罪目的で生み出されるものも少なくない。無信号のアシストロイドを利用した暴走事件やテロ事件など、市民を巻き込んだ凄惨な事件の上に今の厳しいアシストロイド管理法が成り立っている。
ブラッドリーが要所を巡り、現場に辿り着いた頃には、舞台となった非合法店の検挙は殆ど完了していた。ちゃっかり逃げ出そうとしていた人間数人を捕らえて部下に引き渡し、ブラッドリーは荒れ果てた店の並びの前を歩きだす。シティポリスの制服を身に纏っているにも関わらず、すぐに客引きであろう女がすり寄ってきた。
「そこの素敵なお兄さん。私とこれから一杯どうかしら」
しなやかな細い指先がブラッドリーの腕に絡む。絶妙な角度の上目遣い。押し付けられる柔らかな胸。わざとらしくない甘やかな声。蠱惑的な仕草の一つ一つが、まるで計算しつくされたかのように、男を誘うためのものだった。
「悪いな嬢ちゃん。見ての通り仕事中でな」
「あら、お仕事のことなんか忘れて一緒に良い夢でも見ない?」
「はっ、そりゃ随分魅力的な誘いだが……あいにく、こっちはおもちゃの片付けで忙しいんだ」
そう言ってブラッドリーが女の肩をとん、と指先で押すと、女はそれ以上は追ってはこなかった。
なるほど、引き際をわきまえているあたりイイ女だ。もっとも、わきまえているというよりも、そういう風にプログラムされているといったほうが正しいが。
アシストロイドに客をとらせる店は増えている。見目の精巧さはもちろん、人間を雇うよりも何かと効率が良いのだ。容姿を自在にカスタマイズできるのは勿論、そういうプログラムさえインストールしてしまえば、どんなに無茶な命令でもアシストロイドは遂行しようとする。オーナーの存在というのはアシストロイド達にとって絶対なのだ。
「にしても、派手に壊れてんなあ」
外には機能停止したアシストロイドがそこかしこに転がっていた。見目だけなら人間と変わりない精巧な作りのボディが損壊し、配線が飛び出している様は何度目にしてもアンバランスで違和感だらけだ。
この中の大半はスクラップという形で処分されることになる。例えオーナーの命令で動いただけだったとしても、犯罪に関わったアシストロイドを野放しにしておくわけにはいかないのだ。一度ただの鉄くずになって、それを材料にまた新たなアシストロイドが作られる。俗に言うリサイクルというものだ。こんな明け透けな言い方をしては、アシストロイドに人権を! などと謳っている人々から総バッシングを受けるだろうが。
周りの部下たちは続々と壊れた機械人形の回収作業に移っていた。
「……?」
ふと、何かが焦げたような匂いが鼻についた。機械油特有のものではなく、もっと馴染みの深いような。ブラッドリーが匂いのもとへと足を進めると、火にかかったままの大鍋が放置されていた。今宵の現場は表向きはバーとしてカモフラージュされていたため、こうした厨房があるのは頷ける。延焼しては困るので火元を消すと、何かにぶつかったような無機質な音が足元から響いた。
「あ?」
人が一人、倒れていた。曇り空のような青灰色の髪がキャビネットを彩り、体躯は足元から崩れたように床に投げ出されている。手のひらにはフライ返しが握られており、どうやら意識を失う直前までこの厨房に立っていたことが窺えた。よく見ると、脚を大きく損壊しているようだ。柔らかな疑似皮膚のシリコンから色とりどりの配線が露出している。
「……アシストロイドか」
ブラッドリーはその場で静かに拳銃を構えた。もう機能停止している上にこの壊れ具合ならば、スクラップにする他無い。見たところ無信号の違法アシストロイドだ。もしかするとオーナーは居たのかもしれないが、死んでいるかしょっ引かれたかのどちらかだろう。
引き金にかけた指に力を入れる。その瞬間、閉じられていたアシストロイドの瞼がゆっくりと開いた。そこから覗いた蜜色の瞳が、ブラッドリーを静かに捉える。硝子玉のように無機質な光をたたえた其れは、ただじっと、自らに向けられた銃口を眺めていた。
──何か仕掛けてくるか。身構えたブラッドリーを他所に、そのアシストロイドは呟いた。消え入りそうな声で、でも確かに。
『ころしてくれ』と、ただそれだけ。
瞼の向こうに光が見える。停止していた身体に微弱な電流が流れて、数々のプログラムが一斉に動き始めた。
「よう。目は覚めたかよ」
かけられた声に、そのアシストロイドはぱちりと瞳を瞬いた。素材が劣化してぱさついていた髪は柔らかさと色艶を取り戻し、大破していたはずの脚もすっかり修復している。よく憶えてはいないが、きっとかつて自分が新しく作り出された時はこのような姿をしていたんだろう。万全な体躯を眺めながら、アシストロイドはさらに一つ、己が決定的に変わっていることに気がついた。
「……」
じ、と目前に立つ男を見つめる。アシストロイドには基本的に所有者──オーナーである人間が存在する。つい最近まで、自らのオーナーは店の経営者だった。一般向けにはバーとして展開していた歓楽街のど真ん中の店。そう、自分はバーの皮を被った闇取引の場で調理と給仕担当として働いていたはずだ。
それなのに、組み込まれたプログラムが訴えている。この男が今のお前のオーナーだと。
「ああ。オーナー登録は書き換えさせてもらったぜ。てめえの元のご主人サマは今頃冷えた鉄格子の中だな。悪いが戻してやる気はねえぞ」
視線の意図を察したのか、男はなんでもない風に言い放った。バイカラーの髪に、葡萄酒色の大きな瞳、勝ち気そうにつりあがった眉、にやりと弧を描く唇。間違いなくバランスはとれているからこそ、鼻を横断する大きな傷がよく目立つ。明らかに堅気では無さそうな容貌だが、それとは裏腹に男が身に纏う衣服には見覚えがあった。
「シティポリス……」
なるほど、どうやら取引は失敗に終わった挙句、店ごと検挙されてしまったらしい。一度壊れかけたせいか記憶データが曖昧なので確証は持てないが、きっと己を撃ち抜いたのはこの男と同じ制服を着た人間だろう。
でも、それなら何故自分は今壊れたボディを修理された上、目前の男に『所有』されているのだろうか。
「……違法アシストロイドはシティポリスに見つかり次第スクラップにされるって聞いたけど」
「まあそうだな。ノーシグナルの違法アシストロイドは、見つけ次第鉄くずにって規則で決まってる」
しれっと肯定する男に、アシストロイドは首を傾げてみせた。今置かれている状況と、男の言葉に矛盾がありすぎて、頭の中が演算を放棄している。
「何もわかんねえって顔だな」
「まあ、そりゃ……」
「そんなてめえに教えてやるよ。てめえはたまたま俺様のお眼鏡にかなって、今こうして鉄くずになるのを回避したってわけだ。もっと喜べ」
「……そうですか。うれしいですオーナー」
「おい、棒読みにも程があんだろ。あと急に堅苦しい喋り方すんのやめろ」
男は呆れたように息を吐き、アシストロイドの青灰色の髪を指先ですくってみせた。そのままわざとらしいほど恭しい所作で首を傾け、アシストロイドへと顔を近づける。吐息がかかるほどの距離。じっと見つめるワインレッドの双眸。其れを彩る密度の濃い睫毛。
見た目だけでなく仕草まで派手な男だな。人間の思考に似せたプログラムの隅っこでアシストロイドはただそう思った。
「折角オーナーになったんだ。まずはてめえの名前を聞いとかねえとな」
目前で吐き出された言葉に、ぽかんと口を開く。
「ええと、修理した時にわかるんじゃなかったっけ。管理番号とか……」
「管理番号だあ? じゃあてめえは自分のペットのことを一号二号って呼ぶのかよ」
「アシストロイドはペットとか飼えないんだけど……」
「わかってんだよんな事は! ったく、機械人形のくせに変な奴だな……」
オーナーである男は深く溜め息をつくと、仕切り直すように再びアシストロイドの方を見遣った。
「俺様の名前はブラッドリー。フォルモーント・シティポリス署長、ブラッドリー・ベインだ。てめえには無えのか? そういう、人に与えられて、人に呼ばれる名前ってのが」
そこまで聞いて、アシストロイドはようやく質問の意図のすべてを理解した。
とはいえ、突然名前と言われても、店では個体名でなど呼ばれはしなかった。裏の上客たちの接待役、あるいは店の経営者の付き人。そういった者たちには必要に応じて人間のような名前が与えられていたが、たかが調理と給仕担当のアシストロイドを個体名で呼ぶ者など居なかったのだ。
ああでも、一度だけ。あの店に連れて来られる前に、呼ばれた名前があった気がする。あの頃の自分も同じように違う店の片隅で料理を作っていて、やってきた客の一人が言ったのだ。
『おい、これはてめえが作ったのか?』
『ええと……はい。お気に召しませんでしたか?』
『違えよ。逆だ逆。こんな美味えもん初めて食った! おまえ、名前は?』
名前は無いと言うと、その客は少しだけ悩む素振りを見せてから、確か自分をこう呼んだ。
「……ネロ」
アシストロイドがその名を口にすると、ブラッドリーはぱちりと瞳を瞬いた。
「ああ、ええと……一度だけ、そう呼ばれたことがあるんだ。でも、別にあんたの好きなように呼んでくれたらいい」
アシストロイドは惑わせていた視線を再び新たな主のもとへと戻す。そこに居たブラッドリーは口端をにっとつり上げて、挑戦的な、それでいてどこか慈しむような眼差しでアシストロイドを見ていた。
一瞬、時が止まったみたいに身体が動かなくなる。おかしい。電気回路がショートしてしまったのか? 修理されたばかりなのに?
焦るアシストロイドを他所に、ブラッドリーはゆるりと口を開いた。
「いい名前じゃねえか、ネロ。つけた奴はセンスがいいな」
大きな手のひらが青灰色の髪を豪快に撫でる。他人からの無遠慮な接触は、快不快でいうと不快の方に仕分けされるはずだ。それなのに、不快を示すシグナルは全く伝達されてこない。これは、バグだろうか? それとも、この男がオーナーで、自分がそのアシストロイドだからだろうか。
「髪、ぐしゃぐしゃになる、から」
「あ? アシストロイドが髪の心配かあ?」
手のひらがようやく頭から離れ、代わりにおどけるような調子の良い声が降ってくる。ブラッドリーはこちらを覗き込むように小首を傾げると、やがて何かに気付いたように笑ってみせた。
「あはは、照れてやがる! アシストロイドも顔赤くなったりすんのな」
明け透けな言い様に、顔に集まった熱が余計に勢いを増す。排熱機能がおかしくなっているのだろうか。修理されたとはいえ、あれだけ派手に損壊していたのだ。やはりまだどこか不具合があるのかもしれない。
ブラッドリーの言葉をそのまま受け入れることができるほど、ネロと名乗ったアシストロイドは素直な個体ではなかった。
「こ……れはそういうのじゃなくて」
「どういうのだよ」
「多分、排熱機能がうまく動いてないんだ。新規の情報インストールの方にCPUのリソースが割かれてるから、他のとこにまで……オーナー?」
灰がかった白煙に、センサーが反応する。いつの間にか、ブラッドリーの片手の先には火のついた煙草が鎮座していた。添えられた長い指の動きと共に、はらはらと白くなった灰が踊るように落ちていく。今は気軽にフレーバーチップを替えられる電子タバコのほうがよほど主流で、身体に対する害も少ない。それなのに、廃れていったはずのアナログな其れが、目前の男にはまるで金銀宝石に彩られた装飾品のように似合っていた。
「んだよ、物珍しそうに見やがって。てめえも吸うか?」
「いや……そういうのじゃなくて」
「てめえさっきからそればっかりだな。元からそんなにボーッとしてんのか? それともあの野郎、修理の時にヘマしやがったんじゃねえだろな……」
ぺたぺたと確かめるように片手でアシストロイドのシリコン製の頬を撫でる男の表情は至って真剣そのもので、うっかり笑ってしまう。
「はは……あんた、変な人だな」
てめえにだけは言われたくねえよ! とキレの良いツッコミが響く。歩き出した男の背を追いながら、青灰色の髪のアシストロイドは新たな生活の幕開けに身を震わせた。