「黄色」「幻」「憂鬱なヒロイン」 どこかのいつか、まだ時間が数字で言い表せず、人と神が祈りに依らず触れ合っていた頃。
虹の麓にできた小さな村から、旅立つ青年がおりました。
青年は見目麗しいとは言い難く、逞しさも勇ましさも持ち合わせていなかったけれど、その瞳はきらきらと輝き、村から伸びる黄色いレンガの敷き詰められた街道に、うっとりと溜め息をこぼしました。
「ああ、ついに! 僕は旅立つんだ。世界で最も早く朝陽を浴びる場所。麗しの白い都に!」
弾む足取りで青年は街道を進み始めました。軽やかな足音が野原を揺らします。コツン、カツン、コツツン。
やがて青年の足が森に差し掛かると、小麦畑に立つカカシが言いました。
「こんにちは、罪を犯した方。世界から忘れ去られた方。旅立ちの時をお祝いいたします」
「ありがとう! 忘れられた賢君よ! 君も都に行くかい?」
「いいえ、永久に輝かしい御方。煌めく宝を見つけて掲げる方。あなたの瞳が私を映すだけで私は満足です。けれどあなたが見つめ続けるべきは私ではない」
感謝を述べて、青年は森に入りました。すぐに錆びついたカラクリ人形を見つけます。
油を差してやると、人形はぎこちなくお辞儀をしました。
「感謝する。世に騒乱をもたらす方。滅びと終わりに立ち向かう方。あなたの道行きを祝福しよう」
「ありがとう! 打ち捨てられた名君よ! 君も都に行くかい?」
「お断りする、目映き足跡を残す御方。過ぎ去る春の如く名残惜しい方。あなたが私に触れただけで私は満足だ。だがあなたがその腕に抱くべきは私ではない」
お別れを告げて、青年は森を抜けました。すぐに野盗に襲われます。
青年がまっすぐに見つめると、野盗は武器を放り捨てて跪きました。
「お詫びいたします、混沌の君。世界が畏れ消し去ろうとした方。あなただとは思わなかったのです。あなたの行く末に祈りを捧げます。どうか」
「謝罪を受け入れよう、世に搾取された暴君よ。君も都に行くかい?」
「どうかそれだけは。羽ばたく背を持つ御方。儚く溶け散る雪を見つけて微笑む方。あなたが私の言葉に耳を傾けてくれるだけで、私は満足です。ですがあなたが真に耳を澄ますべきは私の声ではない」
涙を拭ってやって、青年はその場を後にしました。丘を越えて、いよいよ都が目に映ります。
ああ、朝陽を浴びる都の壮大なこと! 麗しの白、輝かしい白、青年を捨て去り忘れた都に、遂に青年は帰ってきたのです。
弾む足取りで門をくぐると、都の住人が気さくに声をかけてきます。
「へぇ、あんたの眼にはこの都が白く映るんだ。どんな白だい?」
「あらゆる白さ! 真珠の白、花弁の白、雪片の白、太陽の白! 君の眼に映る都の色も聞いていいかい?」
「緑さ! エメラルドの煌めく緑、春の山の色づく緑、たゆたう湖の深い緑!」
「わたしは赤! 瑞々しい林檎の赤、ルビーの目映い赤、葡萄酒の沈んだ赤!」
「僕は黄色! ひまわりの黄色、タンポポの黄色、落ち葉の黄色、それにもちろん街道のレンガ!」
色とりどりの言葉が都に華を添えます。ああ、麗しの都。輝く七色の都。光の都。影を落とす都。彼を打ち捨てた故郷!
青年はそびえ立つ城に足を踏み入れました。邪魔する者はいません。
門を越え、応接間をくぐり、玉座の間に足を踏み入れると、白薔薇を象る椅子に物憂げに座る、彼の姫君が見つかりました。
「おはよう、世界に愛された君。花びらの君。宝石の君。輝かしい光を一つ所に束ねた、ただ一人の君。また会えて嬉しいよ」
「御機嫌よう、影の方。闇夜の君。世界に忌まれた怪物のあなた。またお会いできて嬉しいです」
涙こそありませんでしたが、姫君の浮かべた笑みは悲痛なものでした。青年も笑みを消し、その足元に跪きます。
「僕は帰ってきた。君の元へ。なのに、何が君の顔をくすませているの?」
「移り気なあなた。次々に宝を見つけるあなた。わたしがいなくても平気なあなた。わたしはこの都が悲しいのです」
姫君の微笑みは凍った水面に触れた雪のようでした。肌に痛みを残して過ぎ去る氷のように、姫君は言葉をこぼします。
「誰もが見たいものを見て、見たくないものは見ない。この都は幻。この幸福は幻。揺らめく陽炎にすぎないのです」
「そこにしか万人に訪れる幸福はないと、かつて君は決意したんじゃなかったかい?」
「まちがいでした。誰もが幸せになれると思ったのです。でもこの幻は、万人に満たない人を忘れさせてしまうものでした。幸福でない人はこの都から追放されるのです。あなたのように。都合の悪い歴史のように」
その微笑みの白さは、白薔薇の蕾のようでもあり、夜に浮かぶ月のようでもあり、また朽ちた亡骸の骨のようでもありました。
そのつま先に唇を落として、青年は告げました。
「君が望むなら、この都に黒を呼び戻そう。影を。暗闇を。過去を。罪を。悲しみや絶望、悲嘆や義憤、君が疎んだすべてを」
「できません。みんな幸せなのに」
「そのみんなに君はいない」
青年は姫君を見つめ、抱きしめました。こぼれた吐息に耳を澄ませ、その香りに混じる涙を味わいます。
「君が望まなくても、僕は君を幸せにしたい」
こぼれ落ちる悲しみに、姫君はやっと涙を流しました。
「わたしの幸福は、あなたでした」
その夜、都に影が戻り、黒が戻り、都は世界で最も早く朝陽を浴びる場所ではなくなりました。
けれど都は滅びませんでした。姫君も玉座におわしたまま。けれどその傍らに、美しくもなく逞しくもなく、されど誰より姫君を輝かしく見つめる青年が立つようになったそうです。
いつかのどこか、明日の昨日。言葉が祈りを超えて、人が虹のたもとに辿り着けた頃。今はどこかの物語。