8.B(side:H) 季節が進むのは早いものでそろそろ冬至をむかえつつあった。距離は離れているものの共に気候が温暖で冬にあまり雪の降らない地方出身であるヒルダとクロードは襟巻や手袋が手放せないがファーガス出身の学生たちは標高の高いガルグ=マクで冬を迎えているのにまだ薄着で修道院内を闊歩している。時期が時期だけに士官学校の学生たちの話題は自然と白鷺杯や舞踏会のことが中心になりつつあった。金鹿の学級はクロードをはじめとして舞踊に興味がない者が多いが前節ルミール村で地獄のような光景を目にしたこともあり皆、気分を変えたがっている。ヒルダのように楽しみにしている者も舞踏会という行事に対し拒否感を示す者もいるが考えが違う者同士ありやなしやと語り合い盛り上がることで必死に前節の恐ろしい記憶に抗っていた。
そんなある日のことベレトから白鷺杯の代表はマリアンヌ、その指導役はローレンツにするという発表があった。ベレト自身も傭兵上がりのため舞踊が得意ではない。誰かに任せようにも金鹿の学級は平民が多く宮廷舞踊の心得があるのはローレンツとヒルダそれにリシテアだけなので指導役は妥当な人選と言えるだろう。
どうしてヒルダではないのか、とマリアンヌは嘆いていたが指導役にも学級代表にもなる可能性があったヒルダとしてはマリアンヌの足の早さとローレンツの真面目さに感謝するしかない。踊り子は再行動したい者の元へすぐに駆けつけねばならない兵種だからだ。
白鷺杯を理由にずっとマリアンヌにくっついていられるせいか近ごろのローレンツはとても幸せそうにしている。配偶者探しと称して学内にいるありとあらゆる領主の娘に声をかけていた頃のことが嘘のようだ。しかしたまにベレトに呼び出されクロードと三人で食事をしている時の態度は対照的であの張りのある声でずっとクロードの礼儀作法を注意し続けるのでとてもうるさい。
クロードはその度にローレンツを自分の母親より煩い、マリアンヌはあんな奴に指導されて大丈夫なのか?と大袈裟に嘆くが本当に不思議なくらいローレンツとマリアンヌは話さなくなった。無理に会話を続けようとして周囲を凍り付かせるようなことが減り今もクロードとヒルダが熱々のゴーティエチーズグラタンを冷ましながら食べている食卓の一列向こうで二人静かに何も語らず共に昼食をとっている。どうやら二人とも沈黙が苦ではないらしい。言葉を尽くして朗々と自論を語るのがローレンツの本質だと思っていたヒルダはその激しい変化に驚いた。普通なら口数が減ることを激しいと表現しない。だがヒルダはその態度にローレンツの強烈な意志を感じるのだ。
「そんなに気になるならこっそり二人の様子を見に行けば?」
ヒルダのいる席からは見えないが向かいに座っているクロードの席からはマリアンヌとローレンツの姿がよく見えたらしい。繰り返しになるがヒルダの席からは見えないので想像するしかない。無駄話をせずに昼食を終えた二人は今ごろクロードが見つけた人目につかない穴場で練習に励んでいることだろう。他人の前で体を動かすことに強い抵抗感があるマリアンヌの為に人目につかないところを教えてほしいとローレンツはクロードに頭を下げている。それを知った上でヒルダはクロードに問うていた。
「いやそれはどうだろう……流石にマリアンヌに悪いなと……」
クロードはクロードなりにマリアンヌの好ましい部分や欠落そして大きな秘密があることに気付いている。男らしく少し太めの眉と眉の間に皺が刻まれ顔が悩ましげになった。当然、好奇心は身をもたげているが人として守らねばならない一線というものがある。
「信頼するしかない時ってあると思うのよね」
猜疑心の塊と自称するクロードの緑の瞳がヒルダを見つめた。珍しく内側に閉じ込めた迷いが現れているような気がする。このままクロードに話を続けさせても良いのだろうか。
「踊りなあ……俺もリーガン家に入る時に練習したが慣れてなかったせいかあんまり得意じゃないんだよな。自分の足がもつれるだけならいいんだがお相手の足を踏みつけちまう」
クロードはリーガン家に連なる騎士の家の出なのかもしれない。それなら舞踊よりも武芸優先だろうしクロードに武芸の師匠がいるのも納得だ。
「ふーん軽業は得意なのにねえ……でもレオニーちゃんも踊りは苦手なんだっけ」
だがあの身軽さだ。彼女は村育ちだから慣れていないだけで宮廷式の舞踊に親しみを持って育っていればさぞ素晴らしい踊り手になったことだろう。
「なんだか集中出来ないんだよな」
「そんなこと言って慣れる気がないの丸分かりだよ!」
先日、クロードは日頃出さない本気を出せとヒルダを焚き付けた。しかしクロードの方こそ本気を出していない。そんな態度を取っていては宮廷式の舞踊などよりもっと大事なものがあるのだと顔に書いて暮らしているのと同じだ。ヒルダはクロードが隠している大事なものが何なのか知る日が来るのだろうか。それはヒルダにだけ告げてくれるのだろうか?それとも皆と一緒に知ることになるのだろうか?