降志ワンライ「Subtitle」 人間は二つに分類される、と思う。
昼に生きる者と、夜に生きる者だ。
勿論、約78億人が生きる地球上の人間をたった二つに分類するなんてことはバカげているとわかっている。
千差万別、多種多様、十人十色、と多様性を促す言葉は多々あるけれど、生まれた時から闇と供に生きてきた志保にとって、世界は闇と光に分かたれていた。
一般的な20代前半成人女性には稀有な人生経験を積み重ねて、今はごく普通の社会人として生きる彼女は、それでもやはり今もなお、自身は夜に生きる側だと思っている。
決して悲観的な意味ではなく。かつて『目つきの悪いアクビ娘』などと失礼な呼称で呼ばれた由来通り、単純に朝に弱い夜型人間であるからだ。
フリーランスの研究者、という職業病の一種とも呼べるだろうけど。
チクタクと、やけに大きく聞こえる時計の針にただ耳を澄ませて、そんな取り留めもないことを考えていた。
今は深夜。時刻は――おそらく1時か、2時か。それくらいだろうか。
自室のベッドに横たわって、ただ時計の針に耳を澄ませながら、志保はそっと隣に眠る男の寝顔を覗き見た。
金色の髪の下に見え隠れする顔立ちは精悍だが童顔で、スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てるばかりだ。先ほどまで志保の身体を散々貪っていた獣はそこにはおらず、なるほどトリプルフェイスなんて器用なことをこなしていただけはあるわ、なんて。冗談めいた自身の思考にフッと一人綻んだ。
久方ぶりに会う恋人もまた、志保と同じく夜に生きる側の人間だ。
否、むしろ昼――いわゆる光に属する側の組織に身を置いているはずなのだが、世界は美しいものだけで構成されているわけではなく。
綺麗なものを守るためには、昏い影にも触れなくてはならないのは世の理だった。
それでもあの『黒の組織』が壊滅してから早五年の月日が流れ、長期的な潜入捜査からは離れた立場になりつつある彼は、徐々にその身の置きどころを本来生きるべき昼の世界へ還しつつある。
それでも、どこか自分と同じ、影の部分を感じてしまうのは、志保の都合のよい願望だろうか。
「……ん…」
ごろん、と寝返りの振動でベッドが軋む。
つい数刻前までもっと大きな振動に揺れていたことを思い出して、ベッドを買い替えるべきだろうかと思い至った。そんなことをすれば鋭いこの男に色々と察されてしまいそうで癪なのだが、寝床が破壊されるのは避けたい。流石にそれくらいは考慮してくれていると思いたいけれど。
目の前に晒された広い背中には、浅くも細かな旧い傷痕がいくつも散らばっていた。
……自分の身体にも、疵がある。むしろ深さでは志保の方がより重い傷痕だろう。
志保を抱くとき、降谷はその旧い傷を慈しむように何度も何度も、口づける。
もう痛くないか、大丈夫かと尋ねられているようで、その度に少しばかりこそばゆく、柔らかな気持ちを覚えるのだ。
直後、あっという間に頂へ昇らされてしまうのだけど。
彼に倣うように、そっとその背中へと唇を寄せた。
柔らかなリップ音を鳴らすも、その傷痕すべてに舌を這わせるのは流石に骨が折れる。
ならば、と。指をひとつ立てて。そこに触れて。
さらりと意図を持って、曲線を描く指先を、始点へ結び終えて一人微笑んでみせる、と。
「……ずいぶん、可愛いことするなぁ」
「……起きてたの?」
ウトウトはしてたけど、と応えながら。
くるりと志保の方へ向き直った恋人は、想像よりずっと筋肉質な腕で志保の細い身体を抱き寄せた。
生まれたままの素肌で触れ合うのは、情事の最中ならずとも心地よい。
差し込まれた腕枕と、シーツに散らばるクシャクシャの髪に指を通して額に口づけた彼は、にへら、と嬉しそうに唇を緩めていた。
「…随分、しまりのない顔ね」
「だってさ、嬉しくて」
「……そんなものなの?」
再び持ち上げた指先を、今度は裸の胸へと滑らせて、先ほどと同じ形――ハートのマークを、描く。
「……どうせなら、正確に逆円錐状で描いた方が、より信憑性が増すのかしら」
「そこは略式で問題ないから……というか、志保の愛情を疑ったりはしてません」
今度は先ほどとは違う、少しばかりの苦笑いを浮かべながらも、志保を見る降谷の目は、優しい光を零している。
月光さえとどかない夜の部屋。
月のように映る、彼の蜂蜜色の髪に、海の色。
夜を生きる身だった。
光零れる世界とは、無縁のはずだった。
今もなお、夜に生きる志保の隣には。
優しい光が佇んでいる。