嘘・プレゼント・今度こそ逃がさない 私の恋人は、プレゼントを欠かさない。
例えば待ち合わせに遅刻してきた時。事前に連絡もなく一晩帰ってこなかった時、予約していたレストランに現れなかった時。
つまり、私はよく約束を反故にされるのだ。でもその度彼は、駅で買えるスイーツから私が好きなブランドのバッグまで、あらゆるプレゼントで機嫌を取ってくるから、結局許すことになってしまう。
なぜこんなにも時間を守れないのか。彼がルーズだからではない。
彼の職業が、私立探偵だからだ。
依頼人からの連絡、対象者の動きに合わせて行動しているから、彼は常日頃オフの時間が読めない。
私もたまに手伝うため、彼の仕事事情には明るいつもりだ。今回の依頼人は若い女性。夫の浮気調査を依頼してきている。
いつもは我慢している私も、どうしても二人で過ごしたい日があった。
付き合って三年、同棲して一年の記念日。私は彼の好きな料理に好きなお酒を用意して、彼の帰宅を待っていた。特別なランチョンマットを引いて、テーブルの中央に花を飾る。
どうしてこんなに気合いをいれるのか。今日は彼が珍しく、大事な話があると言ったからだ。それってもしかして……もしかして、プロポーズなんじゃない? 鼻歌を鳴らしながらガーベラの位置を調節していると、携帯のコール音が鳴った。
「工藤君?」
「お前、今家か?」
「ええ、そうだけど……」
「よかった……絶対、家にいろよな。安室さんが帰ってくるまで待ってろ」
言われなくても、私はお祝いの準備を完璧に済ませ、恋人の帰宅を待ちわびている。工藤君の電話に、適当に相槌を打って切った。
工藤君はいきなりどうしたんだろう。まるで黒ずくめの組織が現れた時のような焦りようだ。
そう思って、安室さんの好きなお酒、バーボンのボトルを見る。以前、 私を追う男のコードネームもバーボンと名乗っていた。
私は結局バーボンの顔を見ていない。煙渦巻く列車の中、工藤君に携帯を手渡された私はキッドを介し声だけでバーボンと会話をしていたから。
機械越しに聞こえた音はくぐもっていて、彼の声すらよく覚えていなかった。
でも、もうそれは遠い過去の話で、思い出す必要なんてない出来事だった。黒ずくめの組織は何年も前に、公安の手によって倒されたからだ。
公安警察。日本国家の安寧、治安維持を図るため、組織された秘匿部隊。表舞台に立つことは滅多にないと、事件関係者から聞いたことがある。仕事に関することは全て機密事項のため、驚くことに家族にすら自分の職業は明かせないのだと。
そんな昔の記憶を手繰りながら、私はリビングの時計を見守っていた。約束の七時を経過し、八時、九時を過ぎても彼は帰ってこなかった。
今日は、依頼人に会ったらすぐに帰宅すると言っていたのに。おかしいと思い、携帯で依頼人の連絡先を検索する。普段は彼に黙ってやりとりをすることなんて絶対にないけれど――恐る恐る画面をタップした。
「志保、本当にごめん。仕事がどうしても終わらなくて……」
彼がようやく帰宅したのは、時計の短針が真上を向いた頃だった。フラフラと部屋に入る彼に向かい、携帯の画面を突き付ける。
「仕事なんて、嘘じゃない」
表示していたのは、依頼人の女性とのメッセージ履歴。今日は、安室探偵と約束はしていない。彼女はそうはっきりと告げていた。
「……新しい依頼が入ったんだよ」
「嘘」
彼が差し出してきた小さな紙袋を、ぱしんと手で跳ねのける。
「こんなものいらない」
「志保」
「あなた、本当は何者なのよ? ずっとおかしいと思ってたの。いつも、どこで何をやってるの?」
彼は私の質問に答えず、床に落ちた紙袋を苦し気に見つめるだけだった。いつも、そんな顔をみては、結局許してしまっていた。でも、嘘をつかれながら彼と一生を共にすることなんてできない。
「……別れる」
「……え?」
「もう、別れる。このままじゃ、信頼関係なんて築けないわ」
「嘘、だろ」
「嘘つきはあなたじゃない! 私、本気だから」
「志保!」
彼の静止も聞かず、マンションを飛び出した。階段を駆け下り、エントランスから道路に出る。走って走って、大道路に差し掛かったところで、路上に停まっていた車に背筋が凍った。
雨蛙と呼ばれる、ドイツの旧車。
ポルシェ365A。ジンが、乗っていた車……
私の記憶は、そこで止まっている。
「志保」
目覚めた時、目の前に彼の顔があった。
「安室さん……」
「大丈夫か?」
段々と視界がクリアになり、病室に寝かされていると気づく。小さく頷くと、彼は深く息を吐いた。
「もう、何も心配しなくていいから」
頭を撫でられ、全身の力が抜ける。ずっと、眠っていた気がする。長い夢を見ていた気がする。微睡んだ頭で、そんなことを考える。
今度こそ、逃がさない――
そんな声が聞こえた気がした。ジンではなく、彼の。
彼が、ジンを捕まえてくれた――なんて、ね。
「どうした?」
くすくすと笑う私を、彼が優しく覗き込む。
「なんだか、都合のいい夢を見てたみたい」
「夢?」
「あなたが、私の敵を捕まえてくれた夢」
「……そっか」
私の手を握る彼は、目元に深い隈が差していた。何日も寝てないかのような表情。疲れきった彼が、私を本当に愛おしそうな目で見るから、もう彼が嘘をついているかどうかなんてどうでもいいような気がした。
彼に見守られながら、私は安心して寝息を立てる。
「……今度こそ、君を逃がさないよ」
彼が私の指に光る宝石をなぞる。放たれた言葉は、私の耳には届いていなかった。