【モニター越しのスーパーモデル】 テレビに知らない男が映る。中性的で端正な顔立ち。その細身のモデルは長い脚で花道を颯爽と歩く。名をハイドと言うらしい。偶然にも今俺の隣ですっかり空気が抜け、ぺしゃんこになってしまっているのもハイドという名前だ。そういえば彼もまたモデル業をやっている。
「どうだ、私の仕事ぶりは」
「……これ、本当にハイドさんか?」
「失礼な奴だな。どこからどう見ても私だろう」
視力が落ちたんじゃないか? そう笑うと俺の下瞼をぐい、と剥き瞳を覗き込む。まったく、無礼な吸血鬼だ。モニターの奥の繊細そうなモデルは間違ってもこんなガサツな真似はしないだろう。
テレビの奥では次々とモデルたちがランウェイを闊歩する。高級ブランドの新作発表とやらは一体どこに着て行くためのものなのかさっぱり分からない……流行の最先端の衣服を彼ら彼女らに纏わせて、煌びやかだった。
芸能にはほとほと疎い俺ですら知っている、毎日のようにニュースを賑わせる今売れっ子のモデル、タレントたち。その中でもハイドという存在は引けを取らなかった。それどころか群を抜いて目立っていた。見るものを惹きつける何かがあった。彼がスーパーモデルと称されるのも頷ける。
「華やかな世界だな。こんなに注目されて、俺なら足がすくんじまう」
「そうでもない」
マグカップを傾け飄々と言ってのけた彼にへえ、と心からの驚嘆が漏れた。我が友ながら見上げたプロ意識だと思った。見られる仕事をするハイドにとって人の視線など、緊張に値しない。或いは一々気にしていられないのだろう。……そう自分の中で咀嚼した時、隣でぼそり、不満げな声があがる。
「なんせ誰も私を見てはいないのでな」
咀嚼したものを飲み込めず、かと言って吐き出すわけにもいかないからと喉元に溜める不快感。ハイド氏お得意の何かの皮肉かと首を傾げる。それは、どういう? と聞き返すよりも先に吸血鬼が口を尖らせた。
「観客は皆モニターを見ている。 私はすぐそこにいるのに、だ! 肉眼で見るには遠いとかなんとか、理由はあるんだろう。でも、1キロも2キロも離れている訳じゃない。私を起用してくれたブランドも撮れ高を気にして、見つめているのはカメラとモニターばかり。レンズ越しの私はまあ、美しいだろうがそんなのは分かりきったことだ」
残りを一気に飲み干して空になったカップがローテーブルへと置かれると、ハイドの頭が断りもなく俺の膝の上を占有した。自堕落な吸血鬼はこうして良く、ソファに横になる。
「私のことを見ている人なんか実はほとんどいやしない。世間はモニター越しに、誌面越しに……『今ホットな話題』を捉えてそれで満足なのさ」
寝癖の付いたハイドの髪を撫でる。さらさらと指ざわりの良い髪は、それこそ日頃からどこかのブランド化粧品で手入れされているのだろう。俺の家に備え付けられているのは薬局の隅に置いてある一番安いシャンプーだけだ。この絹のような髪がきしまないか、少々不安になる。
「まあ、お前の言うことはわかる」
「ほう、スーパーモデルと謳われる私の気持ちがわかるか」
「そういう言い方はよせ。……世間はお前の顔に貼り付けられたスーパーモデルという今この瞬間のステータスを興味津々で見ている。そう言いたいんだろ」
でもな、そう否定の言葉を唱えながらオーバーサイズのシャツの下、贅肉のない薄い腹へと手を這わせるとハイドは小さく息を漏らした。
「それで良いんじゃないか? 例えば暗い部屋、ソファに沈んでめそめそしている姿なんか見られたら、モデルの仕事がグッと減っちまう」
「なるほど、確かにそれはかなわんな。……私はあのイメージで金をもらっているのだから」
指の先には丁度、スーパーモデルが映っている。画面越しにポーズを決め、ミステリアスな表情を浮かべる彼と、今目の前に居る部屋着姿のへにゃへにゃな彼。それを見比べ、あまりの落差が可笑しくて、どちらからともなく声を出して笑った。
「俺がしっかり見ていてやるさ」
そばにあった毛布で膝の上のへにゃへにゃをすっかり包んでしまい、子供にするようにとん、とん、とあやす。満更でもなさそうなハイドの横顔は、とても柔らかなものに見えた。
「目を離してくれるなよ。ちゃんと見ておかないと私は酒場に繰り出して、少し酒を飲み過ぎて……そして野蛮なオークに絡まれてしまうかもしれない」
「……お前さん、一旦黙れ」
ああ言えばこう言う、やかましい唇を塞いでしまうと舌先で鋭い牙に触れた。