優しいハロウィン◇◆──────────
お題「ハロウィン」
仕事終わり、LANケーブルを買う目的で、大型電器店の入った商業施設に車を滑り込ませた。この週末がハロウィンであることと、そろそろクリスマスの準備が始まることで、どのフロアも賑わっていた。
時間が余ったので地下の食品フロアに行ったら、ある洋菓子店が目に留まった。この間退職した女性社員が最終出勤日に持ってきていたお菓子の詰め合わせが、確かここのだった。
一際大きな箱の見本があって、それは紫色の背景にオレンジ色でカボチャ、黒で猫や魔女のシルエット、白でかわいらしいオバケが描かれていた。中にはクッキー、ラスク、マシュマロ、ブラウニー、スイートポテト…………個包装されたバラエティ豊かなお菓子たちが詰まっている。
「こちら、ハロウィン限定ボックスとなっております!通常の詰め合わせよりお得ですよ」
ショウケース越しに、キャスケットを被った店員が教えてくれた。これを買えば、劇団員全員と監督さんと支配人に二つか三つずつお菓子を渡せるだろう。
「とってもおすすめの商品でして、あと残りわずかです!」
小柄な店員は背伸びをして、一生懸命ハロウィン限定ボックスを勧めてくれる。値段は税別四千円だ。ふと店員の顔を見ると、笑顔の奥に必死さのようなものが感じられた。年は随分と若そうだ。
俺がこれを買わなかったら、この店員さんはがっかりするかな。ふとそう思って、気づいたら箱を指差していた。
「じゃあこれ一つ、お願いします」
「ありがとうございます!かしこまりました!」
財布を出すのが面倒だったので、スマホのバーコード決済で支払った。受け取った袋がずっしり重い。あれだけ沢山のお菓子が入っているのだから当然だ。
駐車券を口に咥え、車のロックを解除して買ったものを後部座席に置いたら、子供にプレゼントを買って帰る父親のような気分になって、なんだかむず痒かった。
はっきり言って浮かれていた。寮に着くまでは。
寮の玄関にも、中庭にも、三角たちが作ったジャック・オ・ランタンが飾られている。それを見たとき、俺は自分が余計なことをしていると気づいてしまったのだ。
談話室ではちょうど臣がカボチャのパイを焼いていたし、団員たちが持ち寄ったお菓子がたくさん広げられていた。さらに冷蔵庫にはカボチャのプリンが入っていた。俺がわざわざデパ地下でそんなに珍しくもないお菓子を買ってこなくても、寮はすでにハロウィンを迎える準備は万端だったのだ。
それに、よく考えてみればこの劇団の最年少メンバーは高校生で、未成年と言えど「子供」ではない。もし俺が彼らと同じ年代の頃に同じことをされたら、果たして素直に喜んだだろうか。
買ったお菓子の箱を部屋のローテーブルに置いてみて、小さくため息をついた。やっぱりやめておけばよかった。
ソファーに座ろうとしたら、ポケットに入れていたスマホが震えた。LIMEのメッセージがいくつか入っていて、うち一つは千景さんが寮全体のグループに送った「これから帰ります」だった。個別メッセージで連絡するともうすぐ駅に着くらしいので、とりあえずお菓子は部屋に置いて、先輩を迎えに行くことにした。
◇
「これは?貰い物?」
目敏い先輩は、部屋に入るなりお菓子の箱を発見した。
「買いました」
「茅ヶ崎が、わざわざ?」
「うっ、わかってますよ…お菓子なら臣が沢山作ってるし、監督さんも買ってたし…。仕方ない、俺が自分で全部食べ」
「ふうん。…茅ヶ崎、トリック・オア・トリート」
スーツ姿のまま差し出された手のひらを見て、俺は一瞬先輩の言っていることがわからず、困惑した。
「え、食べるんですか?先輩が食べられるのありますかね」
「その洋菓子店はペッパーチーズクッキーを売っているはずだ」
箱の中をゴソゴソ探すと、確かにあった。それを先輩の手に置くと、彼は「ありがとう」と言って、早速個包装の袋を破って、丸いクッキーを口に入れた。
「よく知ってましたね」
ボリボリとクッキーを噛みながら、先輩はスーツから私服に着替えていく。どこにも行き場がないと思ったお菓子たちのうち一つが、まさかこの人の口の中に吸い込まれるとは。しかし俺はそのことが少し嬉しかった。
先輩は丸眼鏡をかけてからスマホを手に取って、何やら入力し始めた。
俺の端末に通知が来た。開くと、全体のトーク画面に先輩のメッセージが。
【一〇三号室に来て『トリック・オア・トリート』と言うと、茅ヶ崎からお菓子がもらえます。早い者勝ち】
「えっ」
「お前がそれを全部食べるのは非常にまずい。茅ヶ崎の腹囲のサイズが変わったり吹き出物が出たりすると、俺も監督責任を問われるからね」
「先輩って俺の監視役だったんですか」
「…それ、みんなにあげようと思って買ってきたんだろ。なら、ちゃんと配ればいい。寮に子供はいないけど、お菓子好きな大人は沢山居る」
そう言うと先輩は二つ目のクッキーを口に入れた。美味しかったらしい。
それから一分も経たずに、部屋のドアがノックされた。
「やあ、至くん、千景くん。ごきげんよう」
「えっ、誉さん⁉︎」
「おや、もしかして、ワタシが一番乗りかね?」
お菓子に釣られて一番に来るのは、部屋が隣の十座あたりだろうと踏んでいたから、正直驚いた。先輩は楽しそうにニコニコと笑っている。
「ああ、そうだ。合言葉が必要だね。トリック・オア・トリート!」
誉さんはブラウニーを一つと、マシュマロをいくつか手に取った。誉さんならいくつでも買えるような値段だろうに、大きな手にお菓子を持って、上機嫌にポエムを唱えながら一〇三号室を出ていった。
彼の後ろ姿を見て、俺は不思議と満ち足りた気持ちになった。
「千景さん」
「何?」
「ありがとうございます」
「俺は何もしていないよ。お菓子があるって言っただけ」
また、ドアがノックされた。全員に行き渡るまでに、お菓子が無くなってしまわなければいいのだけど。少し前までと正反対のことを思っている自分に、俺は苦笑した。
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