強炭酸◇◆──────────
委員会の仕事を二十分で終わらせた九門は、階段を二段飛ばしで駆け下りて、素早く靴を履き替え、ローファーの踵を踏んだまま校舎を飛び出した。そのままグラウンドの横を全力で駆け抜けたい気持ちを抑え、下校する生徒たちの間を縫って校門へ急ぐ。
同じ制服を着た黒髪の少年は門に寄りかかって、スマートフォンの画面を見ていた。九門が近づいて声をかけようとしたとき、彼は顔を上げた。
「おつかれ」
莇は気怠そうだった顔を少し綻ばせてから、片手で操作していた端末をポケットに仕舞う。
「踵踏んでるけど。急ぎの用でもあんの?」
「ああ、いや、莇を待たせちゃってると思って!」
九門は話しながら、慌てて靴を履き直す。莇はそれを見て軽く笑った。
「ハハ、そんなに待ってねえよ、俺もギリギリまで教室いたし…………靴履けたか?帰ろうぜ」
九門が声をかける前に、こちらに気づいた。九門を見て微笑んだ。「おつかれ」って、言ってくれた。靴を履き直すのを待ってくれた。
そんな何気ない莇の行動一つ一つが、炭酸水の泡のようにしゅわしゅわと九門の心臓をくすぐるのだった。
今日に始まったことではない。たとえば、鏡に向かって真剣な表情でアイラインを引いている横顔を見たとき。なんでもない冗談で、莇が大きく口を開けて笑ったとき。九門は鳩尾のあたりが温かいようなむずがゆいような、妙な感覚になる。
その感覚は、友人に抱く感情とするには、心を侵食する範囲が広すぎる。うっすらと気づいてからも、九門は莇に対する態度を変えなかった。
表裏のない性格だとよく言われるが、その実九門は本心を隠すのが得意な方だった。特にマイナスな感情はキャパシティを超えるまで隠そうとしてしまう。
莇に向ける感情がマイナスなものであるとは思いたくなかったけれど、これが恋愛に関する話題を嫌がる彼を困らせるものであろうことは、九門にもすぐにわかった。
とはいえ僅かな期待を捨てきれず、元来の人懐こい自分のまま、つい莇を試すことがあった。
「待っててくれてありがと、莇、大好き!」
「おっ…と!なんだよ、大袈裟な」
「だって嬉しいからさ!」
今みたいに抱きついても、頭を撫でてみても、彼はこんなふうに笑うだけで、たとえば顔を赤くして「破廉恥だ!」と叫ぶことはない。それは莇が九門のことを「友達」だと思っていて、それ以上でも以下でもないということを証明している。九門は自分の内側に隠した気持ちが悟られていないことに安堵しつつ、同時に落胆し続けていた。
この密かな葛藤は、莇だけでなく、自分以外の誰にも知られていない。従兄弟の椋にも、実兄である十座にさえ、相談することは憚られた。もし相談すれば、二人とも親身になって話を聴いてくれるだろうに、九門はどうにもならない感情を一人で抱え込むことにしたのだった。
なぜなら、もし口に出してしまったら、正真正銘、本当になってしまう気がしたからだ。この感情が少し大きいだけの「友情」なのか、それとも違うのか、曖昧なまま心に仕舞っておきたかった。
「そういやこの間、太一さんがさ────」
仕舞ってあるうちは、莇は変わらず、こんなふうに九門に笑いかけてくれるに違いなかった。彼の顔を歪めてまで自分の身勝手な感情を伝えられるほど、九門は楽観的ではない。
ただ思っているだけ。それだけで終わらせるつもりでいる。
「ええっ、マジ?それちょー見たかった!」
心臓をくすぐる炭酸が、最近はちくちくと刺してくるようになった。その小さな痛みに気づかないふりをして、九門は莇の話に相槌を打つのだった。
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