お前と居るとお題「犬」「イタズラ」「スニーカー」
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九門が靴を買いたいと言ったので、俺たちは地下一階からエスカレーターに乗った。売り場のフロアは七階だから、ここからは少し遠い。けれど、奥のエレベーターはどうせ混んでいるだろう。
俺は九門の二段後ろに立った。すると流石に九門の方が目線が高くなる。紫色の髪と、ピアスのぶら下がった耳が見えた。
「買うものあんなら、俺のこと待ってないで行ってきてよかったのに」
「えっ、全然待ってないよ!」
話しかけると、九門はすぐに振り返って目を合わせてきた。その振り返り方があまりに急なので、パーカーのフードが一瞬宙に浮いた。
俺のコスメフロアでの買い物は、短くても小一時間はかかる。フロア中の商品を買い占めることなんてできないから、じっくりと吟味しなければならないのだ。待たせてしまうのは悪いと思うが、こればかりは仕方がない。
だから、買い物をする前に俺は「どこか見る場所があれば行っていていい」とちゃんと伝えたのだが、「大丈夫!」と大変元気よく返されてしまった。
結局俺がリップやコンシーラー、アイシャドウ、あらゆるコスメをかわるがわる試し塗りしている間も九門は何を言うでもなく、ひょい、と覗き込んで、ラメで光る俺の手の甲を観察していた。
「いや、結構時間かかったし…」
「いいのいいの!莇の買い物見てるの面白いしね」
その言葉通り、九門は決してつまらなそうではなかった。コスメに興味があるわけではないのに、なぜそんなに目を輝かせるのだろう。
「なんかお前、何かに似てるよな」
「ええっ、何かって何⁉︎そういうの一番気になるやつ!」
「思い出したら言うわ」
「気になるなあ……」
前に向き直った九門の背中を見上げると、厚い生地のフードがぶら下がっていた。そのフードの下に手を差し込んだら、「こらぁー」と声が聞こえた。
「莇ぃ、イタズラしてるでしょ」
「さみいから」
「手つなぐ?」
「はっ、馬鹿かよ」
九門はいつも楽しそうだ。登下校のときも、寮の談話室でも、たまに部屋に遊びに行く時も、必ず口の両端を上げている。
俺は一成さんや至さんのように何かオチのある面白い話をできる方ではないが、九門は俺が話すとなぜかいつも楽しそうに聞くし、こうやってちょっかいをかけても、やっぱり楽しそうだ。
五階から六階に上がる途中で、九門が一つ段を降りた。片足は元いたところに乗せたままだけれど、背中が目の前に来た。なんだか距離が近すぎるような気もするし、そうでもない気もする。
もう一度乗り換えれば到着だ。急に下がった気温のせいで冷えていた指先は、フードの下で体温を取り戻した。手は九門の背中から抜いたけれど、折角詰めた距離をまた開くのは悪いかも、と思って、次は九門の一段だけ後ろに乗った。
「もうあったまった?」
「おー」
「あ、七階だ、降りるよ!」
エスカレーターを降りると、見上げる位置にあった頭が、やっと俺の目線の下に来た。売り場に向かってずんずん歩き出した九門に俺も続く。スポーティーな服装にコスメブランドの紙袋を提げている後ろ姿がアンバランスで、なんだか面白い。そんなに重いものでもないのに、半分持つと言って聞かなかったのだ。
「紐のないやつがいいんだよね」
「スリッポンなら、あの辺にあんじゃね」
九門は「ホントだ!」と言って、俺が指を差した方に駆けていった。俺は「おい、走んなよ」と言って追う。側から見たら俺の方が年上に見えるだろうが、これが俺たちの「いつも通り」だ。
「これにする!」
「決めるの早いな…。他のデザインもあるけど」
「いいのいいの、これと目が合ったんだもん」
本日二回目の「いいのいいの」だ。九門が手に取ったのは、黒のキャンバス地に白い底がついた地味なスリッポンだった。
「莇も似合いそう!履いてみなよ」
「俺は別に…………」
別に買わないし、と言うより早く、九門は店員を呼び止めて、同じ靴を二足、サイズ違いで出してもらっていた。靴のサイズを教えた記憶はないが、俺の前に置かれたスニーカーを試しに履いたら、
「ぴったりじゃん!」
驚くほどに足に合っていた。シンプルなデザインなのも悪くない。
「意外と履き心地いいな」
「でしょ?すみません、これとこれの二足、お願いします!」
「待っ、俺は買わない…」
「オレが買ってあげる!それ、誕生日プレゼントだから!」
強引にもほどがある。けれど俺も少し欲しくなっていたのもあって九門を止める気にはならず、流れるように二足のスニーカーを購入するのを俺はただ見ていた。
たまに強引なのに、不思議と不快ではないんだよな、と思いながら。
「はい、莇。誕生日おめでとう!」
「おお…なんか急すぎてびびったけど」
「あはは、ごめん!実は何あげるかずっと迷ってて。これ見た瞬間に、莇とお揃いで持ちたいって思ったんだ!」
「そっか。サンキュ」
「いつも仲良くしてくれてありがとな。これ履いて、これからも一緒に、いろんなところに遊びに行こう!」
俺たちはコスメの入った紙袋とスニーカーの入った紙袋を一つずつ持って帰路に着いた。俺は歩きながら、先ほど聞いた真っ直ぐすぎる九門の言葉を反芻していた。
「莇、ご機嫌だね。そんなに嬉しかった?」
九門が俺の顔を覗き込んで言う。
「は?」
「…………って、お目当てのコスメ買えたからか!つい自惚れちゃった、恥ずかしいから忘れて!」
「いや、九門と居るといつも楽しいと思って」
俺にしては珍しく素直な言葉が口からこぼれて、自分で自分に驚いた。九門を見ると、俺よりもっと驚いた顔をしていた。
「莇ぃ〜!!」
驚いた顔から、満面の笑みに変わる。ぶんぶんと振る尻尾が見えそうなくらいの「嬉しい顔」だった。
「あ、わかった。お前、犬に似てる」
「え、今言うの?っていうかそれ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「ほんとにぃ〜?」
九門と居ると楽しい。それは他でもない九門自身が楽しそうだからだ。
「靴ありがと」
「どういたしまして!そういえば莇、来週の土曜日空いてる?」
「空いてるけど、何かあったか?」
「そのまま空けといて!誕生日プレゼント、これで終わりじゃないから!」
◇
次の週の金曜日、寮のガレージに新たな仲間が納車された。持ち主は兵頭九門。
「そういえば免許取ったって言ってたっけ」
キズ一つない新品のバイクは、ガレージの照明を反射してピカピカに光っている。
「カッコいいでしょ。莇、明日七時にここで待ち合わせな!」
「最初に乗せんの、十座さんじゃなくて俺でいいのかよ」
「誕生日プレゼントって言ったでしょ!それに、兄ちゃんは前に乗ってる方が似合うしね」
「ふふ、そーかよ」
だから「紐のないスニーカー」だったのか、と納得した。明日はヘルメットをかぶるから、髪は下の方でまとめようか。まだ夕飯前なのに、俺はもう明日のことを考えて浮かれている。
後ろに乗ったら、エスカレーターで一つ後ろに乗るよりもずっと、九門の背中が近くなるだろう。想像すると妙に心臓が高鳴るけれど、きっと寮で一番の親友と出かけるのが楽しみなだけだ。
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