resonance pale.1 高校3年の初夏、俺は企業主催の職業見学会に参加した。
場所は地元にある出版社。中規模で文芸作品の出版をメインにしながらも、医療論文誌や自治体が移住者向けに出すパンフレットも手がけている会社だ。出版社の仕事には以前から興味があった。
どれくらい以前から、といえば「前世から」と答えるほかない。
俺は、前世の記憶のほとんどを所持した状態で転生したのだ。
色々全部乗せの俺が、死後死神から素直に転生できたわけではない。死神として、規定年数で霊術院を卒業し一番隊に配属、京楽さんから直々に後釜教育を受けながら数百年。
「じゃ☆」と軽くフェードアウトした京楽さんの後を継いで慌ただしく総隊長になってから数百年。
一緒に退職した七尾さんが推薦してくれた優秀な副隊長を後釜として教育しながら、数百年。
一勇は意外にも死神にはならなかった。「僕のやり方で自由にみんなを守りたい」と、三界の境界の管理人になったのだ。現世・尸魂界・地獄を気ままに往き来しながら過ごして、最後は「地獄で惣右介さんとニューライフを送るね!」と驚く面々を置いて颯爽と去ってしまった。手紙やメールは100年に一度くらいで届くが(どうやってんだ…?)、顔はそれ以来見てない。楽しそうなので、良いけど。
死神として働きながら、現世の顔見知りを見送って、尸魂界の顔見知りを見送った。そして、俺が生きていた頃のことを知る人が周囲に誰もいなくなったとき、突然寂しさが胸の内から溢れて、何もできなくなってしまったのだ。
完全にバーンアウトした俺は、仕事も録にできないのに人恋しさが有り余って隊舎からも離れられず、人間を辞めた生活を余儀なくされていた。副隊長から、ある提案をされるまでは。
「隊長、転生しましょう」
流石に耳を疑った。
「え、じゃあお前総隊長になんの?」
「いえ。総業務長として全隊の統括にあたります。総隊長は、また突然変異レベルの死神が現れるまでは空席とします」
「は??なんで決定事項みたいになってんだよ?みんなは?つーか誰と決めた?」
「追々説明します。とにかく、隊長がどうしたいかだけなんです。先のことは、何も心配いらない」
俺が知らないうちに物事が進められてきたことは少し寂しかった。でもあの頃は、俺がまだ子供だった頃は蚊帳の外なんて当たり前で、俺はいつもただ決断するだけだったんだ。「何も心配いらない」という言葉が、バカみたいに心を軽くした。
みんな本当はずっと知ってたんだ、俺がまだ「人間」だってこと。
子供みたいに泣きじゃくりながら、「あっちに戻りたい、戻りたい」と繰り返すばかりの俺を抱きしめながら、副隊長は何度も「うん、戻ろう、帰ろう」と相槌をうって、何時間も背中をさすってくれた。その後2人揃って「体が痛い」なんて笑いあったことも、全部覚えてる。
身辺整理や挨拶回りもそこそこに、天挺空羅で「みんな、今までありがとう、元気で」と伝えた。そして、最後の場所に立った。見送りに来てくれた副隊長に、何か言おうとして、胸がいっぱいで何も言えなくて、ただ笑いかけた。副隊長も、ただニッと笑った。
俺は輪廻の渦に飛び込んだ。
そうして今ここにいる。
ただの人間として生まれ変わった俺は、普通の高校生として、進路の岐路に立っている。俺がイメージしていた平凡な人生なんて無かった。あるのはただ、その日その日を懸命に生きる脚だった。前世を覚えていようといまいと、俺は元々そういうふうにしか生きられない人間だったんだ。
前世の仕事、翻訳家としてもやりたいことはまだまだたくさんあったから、語学の道に進もうかとも思った。けど、今それ以上にやってみたいと思っているのは編集の仕事だった。
どうやったら読者に手に取ってもらえるか。作家のポテンシャルを最大限に引き出せるのか。人に本を読ませるということに興味があるのだ。
本当に単純に興味があったからという理由だけで申し込んだ見学会。割と仲のいい友達を誘ったが、びっくりするほど誰もノッて来なかった。若干心細くなりながらも一人で出版社に向かい、エントランスで集合時間を待つ。ちらほらと他校の生徒が現れて安心した。そこに担当者が到着し、見学会が始まった。
オリエンテーションの後は、見学する部署ごとに分かれて社内を歩きながら説明を受ける。が、特に目新しい情報はなく、そういえばそういう仕事だったなと擦り合わせるような聞き方になった。ライトな見学会よりも合同企業説明会の方が有益だっただろうかと考えながら歩いていると、前の方からヒソヒソと話し声が聞こえた。
「でっか…」
「背でか…」
他校の生徒だった。
つられて同じ方向を見て、世界が止まった。
「………斬月?」
200cmはありそうな長身、肩につくくらいの焦茶色の猫毛。
それだけだった。たったそれだけの外見的特徴だった。それだけなのに、俺はその名を声に出して呼んでいた。
5m先を歩いていた背中が止まる。振り返ったその顔は、記憶に焼き付いているあの顔と同じだった。
(いやなんで、なんでだよ。なんでアンタがこの世界にいるんだよ。そんでなんで反応するんだよ。2回目も斬月でいいのかよアンタ。)
胸を突き破るほどに脈打つ心臓を、服の上からキュッと押さえた。
「…なにか」
記憶と同じというのは嘘だった。深く刻まれていた眉間の皺、鋭い眼差しは無かった。あの人は寡黙ではあるがその実感情豊かだった。表出の仕方がわかりにくいだけで、慣れれば目の方が口よりモノを言うタイプだった。
目の前の人の表情はむしろ全ての感情が抜け落ちているようだった。たが、不思議と冷たさは感じない。普通の人が、他人に向ける無関心を、取り繕わずそのまま表情に出したような顔。
「なにか?」
もう一度問われた。
「……………いや、さーせん、知り合いに 似てて」
震える声で、なんとかそれだけを言葉にした。声が出るまでの長い沈黙を、その人は何も言わずに待っていてくれた。しかし、その言葉を聞いた後は「そうですか」と背中を向けられてしまう。それはあまりに堪え難かった。
「まっ、待ってくれ!えっと、やっぱ何処かで会ったことないかな、や、ありませんか…?」
ワチャワチャと飛び出した纏りのない音節を、やはりその人は足を止めて聞き留めた。そして少し考えて、「いや、無い」ときっぱり言い切った。
「そ、ですか…」
その人はあからさまに落胆する俺を奇妙なものを見る目で見たあと、同じ目で廊下の先を見遣った。
「集団が行ってしまったが?」
「えッ」
その言葉で俺は現実に引き戻された。そうだ、見学会。
慌てて道を進み曲がり角の左右を確認するが、既に時遅し。集団の気配は感じ取れなくなっていた。だが編集部のあとは小会議室での質疑応答があるはずだ。そこで合流できれば。
「すみません、小会議室ってどこですか?」
「…知らない。私は今日初めてここに来た。」
「え…?アンタ、社員じゃないのか?」
「あぁ…作家だ」
そのあと、彼はエントランスまでなら送れると申し出てくれたおかげで、エントランスから連絡して担当者に迎えに来てもらうことができた。そして無事に見学会が終わった。のだと思う。碌に覚えちゃいないが。
ぼんやりとしたまま乗り込んだ電車の席で、母さんが駅まで迎えに来てくれるから連絡しなければならないのを思い出した。パスワードを2回間違えながらスマホのロックを解除して、LINEを開く。
そのトーク履歴の一番上に、「斬月さん」という名前と、一文字「あ」という表示があった。