世界の終わり「もし明日世界が終わるなら何がしたい?」
ノーマンの言葉にオットーは彼を見返した。ノーマンは芝生に寝転がってドーナツを食べている。スーツを着なくなったノーマンは昔に戻ったように見えた。
「世界が終わるだって?」
「もし、だよ。もし明日世界が終わるなら、君は何がしたい?」
昼間の公園では場違いの会話のように思えて、オットーは顔を顰めた。
「なぜ世界が終わるのかな。隕石でも落ちるのか、それとも紫色のエイリアンが指を鳴らすのか」
「うちの世界にはいないことを願うよ」
ノーマンは穏やかな表情で公園を見渡していた。広い公園なので様々な人が思い思いに過ごしている。ノーマンの中にいたゴブリンは本当に消えてしまったのか、最近のノーマンはすっかり大人しかった。
「理由はなんだっていい。とにかく滅ぶとしたら」
「理由がわからないと困る。どうやって滅ぶのを阻止したらいいんだ」
オットーの言葉にノーマンは目を見開いた。オットーを見つめて、まるで新しい何かを発見したかのように瞳を輝かせた。
「世界を救うつもりか?」
「そうしないと世界が滅ぶのだろう」
オットーは真面目に答えたのだがノーマンは目を細めた。目尻に寄った皺がなければその表情は昔のようだった。友として過ごした僅かだが美しい日々の残像が過ぎっていく。
「私はどうやって最後の一日を楽しもうかと考えていたよ」
懺悔のようにノーマンは苦笑した。ノーマンらしいと思ったが、ノーマンはばつが悪そうにドーナツを口に押し込んでいる。
「やっぱり君は善良な人間だよ。私とは違う」
「自分を卑下したいなら止めないが、私は違う意見だ」
「と言うと?」
「私もヴィランとして活躍しただろう。制御を失ってね。しかもチップが壊れる前からそうだった。欲にかられて正しいことが出来なかった」
「私は見ていないからなんとも言えないが、我が友のオットーはやはり善人だと思うよ」
見ればノーマンの口の端には白い粉がついている。砂糖をまぶしたドーナツを食べたせいだろう。オットーは手を伸ばしてその砂糖を拭った。
「ほら、やはり君は良い人だ」
「それとも砂糖を舐めたかったのかも」
オットーは親指についた砂糖を舐めた。甘い味が舌先に残る。
「まだあるけど君も食べるかい」
ノーマンはピンクの箱をオットーに差し出す。そこにはぎっしりとドーナツが詰まっていた。
「パサついたドーナツは好みでなくてね」
ノーマンは蓋を開けると今度はチョコレートがけのものを取り出した。昔から甘いものが好きだったが、それに拍車がかかっているように思える。細い体のどこにそれほどの食べ物が入るのだろうか。
「……それで、君は最後の一日をどう過ごすって?」
それを言いたかったのだろうとオットーが言えば、ノーマンはドーナツを飲み込んで小さく笑った。
「まずドーナツ屋に寄って好きなだけドーナツを買うだろう。それとコーヒーも一緒に」
そう言ってノーマンは冷めたコーヒーに口をつける。
「それから友人の家を訪ねて、散歩に行こうと誘うんだ。友人が寝不足で不機嫌そうでも気にせずね」
傲慢なノーマンらしい。そうしてオットーは今朝の自分が同じように散歩に誘われたことに思い至る。オットーも寝不足だった。装置の改良は思うように進んでいない。
「それで公園にでも行って、のんびりと過ごす。ドーナツを食べながら、友人とお喋りしてね」
「それではまるっきり今日と同じじゃないか」
ふふ、とノーマンは笑った。ノーマンは座っているオットーにもたれると、食べかけのドーナツを差し出した。せめて新しいものを出せばいいものを、この男はどうして食べかけを人に向けるのか。
「もっと有意義な過ごし方があると思うが」
「君と過ごす以上に有意義なことが?」
オットーが食べないでいると、ノーマンは残ったドーナツを一口で食べた。口いっぱいにドーナツを頬張っている姿は、オズコープ社にいた頃とはかけ離れている。
ノーマンは腹をさすると息をついた。流石に満腹らしい。鳥の群れが飛んでいく影が地面を横切っていった。
オットーは指にノーマンの髪を絡めた。日の光を浴びてきらめくそれを美しく思う。オットーはノーマンに身を寄せた。
「この世界の終わりに聞くのは、銃声ではなく君の囁きがいい」