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    tarutotatan082

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    明朗と命を絶とうとする江澄と?な曦臣の監禁曦澄になるはずのもの

    #曦澄

    嘉日


    今日は本当にいい日だ。

    江澄は戴冠式を終え、立派な宗主然としている金凌を見て小さく息を漏らした。小生意気な甥の落ち着いた言動への感動も成長の早さへの嘆きも含まれたものだった。江澄は大きく息を吸っていると、金凌がこちらに向かってくる。
    「江宗主、今日はお越しいただきましてありがとうございました」
    金凌が丁寧に拱手をする。周りの目がある時は血縁であると忘れろ、と何度言っても叔父上、叔父上ときゃんきゃん吠えていた姿が嘘のようだった。それでも、よく出来たでしょ、と言わんばかりに緩む金凌の口元を認めて江澄は薄く笑った。
    「この度は戴冠おめでとうございます。江家は金宗主を力の限りお支えします」
    江澄は久方ぶりに眉の皺が解ける感覚を得ながら屈託なく笑みを返す。金凌は江澄の聖母のように盛り上がった頬肉を見てわずかに目を瞬かせた後、満面の笑みを返す。見慣れない江澄の表情に金凌の隣に控えていた家僕が目を見張った。
      金凌は確かによく頑張ったと思う。金光瑤の一件を経て、財と力のある金家を引きずり落とす理由を漸く見つけた他家の横槍は酷いものだった。助言すら許さなかった金光善の時代を思えば、反発するのも当然だと思うが。もしも金子軒がまとめる時間がもっとあったなら、そう考えて江澄は思考を散らすように首を横に振った。過ぎたことは戻らないのだ。何があろうと。

    江澄は億劫だが長い階段を降りようと出口に向け歩みを進める。しかし、声を潜めて話す他家から聞き馴染みのある人物名を聞いて速度を緩めた。
    「よくもまああの藍啓仁が許したものだ」
    「それよりも語るべきは相手だろう」
    「そうさなぁ」
    「まさか含光君と夷陵老祖が婚姻の契りを結ぶなど」
    普段ならば話すことしか能のない連中の流言など聞き流す江澄だが、その名には判断を鈍らせる程の執着があった。魏無羨が雲深不知処に居座っていると風の噂で知ってはいたものの、藍忘機と情人であるとは知らなかったため唖然とする。
    暫し足を止め、過去に思いを馳せれば、魏無羨の藍忘機と対峙した時のやけに間延びした声や、無関係にしては邪術に執着していた藍忘機の心内を今更に理解して妙な心持ちになった。魏無羨が雲夢な寄り付かない訳は縁が切れた──あいつは前世の事と切り捨てて表現した、からと考えていたので江澄は何だか力が抜けてしまった。どうしてか瞳がじわと熱くなったので急いでその場を後にする。
    命を奪った立場ではあるが幸せになって欲しい、と思う。出来れば己から見えない所で。


    ***


    江澄は気分よく酒を飲みつまみを口にし、時々町に溢れる唄を口ずさんだ。思わぬ幸運を得て機嫌よく村民に福を与える農民の話だとか、海に棲む魔物から赤子を救い出した母親の知恵の深さを称える唄だとか。それ程までに気分が良かった。今日は本当に良い日だったから。
    阿凌は立派に務めを果たせそうだし、ヤツは幸せらしかった。体にのしかかる重石のような責任、不安、贖罪が少し軽くなった気がして、江澄は一献傾ける。

    いい気分のままありたけ酒を飲んでいると子の刻にせまろうかという時間になっていた。江澄は嘆息する。もう寝ねばならないが、湯浴みを済ませていなかった。どうにも独りでいたくて家僕を下がらせていたから全て己で準備し片付ける必要があるのが面倒だった。
    諦めて湯浴みに向かうか、もういっそ全て面倒だから死んでしまうか悩むほどに動く気力が湧かない。
     江澄は愚かな思いつきに自嘲するとおや、それも案外悪くないかもしれないと思い始めた。何しろ今日は笑いだしたくなる程にいい日だったし、もしかしたら今後こんな幸福は無いかもしれないし。今宵は満月で蓮花湖を照らす月光はさぞ幻想的だろうし。
    誰に許しを乞うているのか江澄は理由をつらつらと並び立てたあと、やにわに立ち上がる。バランスを崩して思わず手を付いた机から酒瓶が落ちて割れた。姦しい陶器の鋭い音も気にならないくらいに江澄の気分は上向きだった。

    そうと決めたなら折角の機会だ、めかしこんでしまおう。未だ朝晩は冷えるが蓮花塢が1番に輝く夏に向けて誂えた衣を思い出す。清涼さを感じさせるものが良いだろうと常よりも淡い藤色で肌触りが柔らかなものに着替えることにする。
    あぁ、母が大切にしていた香も使ってしまおうか。これは本当にいいものよ、と言って姉の婚姻の際に首に塗りつけていた様をよく覚えている。江澄にとって幸福の象徴であるそれは、今日という日にお誂え向きと感じた。手のひらで握り込める程の小さな紅色の容器を開けると芳醇な蓮の香りがする。思わずうっとりと目を閉じると、江澄は酒と相まって夢見心地になった。

    江澄は再び機嫌よく鼻唄を口ずさむ。幼い頃は稚拙ながらに魏無羨と大きな声で唄い姉に聞かせるのが楽しかった。優しい姉は2人ともを褒めながら2人ともの頭を撫でてくれた。父と師兄とで話しているときに目線すら合わなかったことを思い出すと、姉の博愛には目を見張るものがある。思えば歳もさほど変わらず姉も両親の不仲が不安だったろうに、親と子の隙間風のみならず夫婦の軋轢も解そうとしていたのだから。
     姉上には幸せになってほしかった。姉は運命の人と結ばれて、愛しい阿凌を迎えて不幸だなんて、と言いそうではある。ただ、絶えず笑顔で気を遣わずに幼い我が子の成長を夫婦で見守る穏やかな生活を迎える筈だった。
    それにしても、どうやって姉の元に向かおうか。絞首、飛び降り、溺死。水死体は汚くて嫌だ。水に馴染みのある雲夢でその遺骸を見ない筈もなく、水を含んで皮膚がふやけ膨張するさまはとても醜い。あぁ、でも母の美しい顔を受け継ぐ己の顔が見るも無惨になっていたら誰も気づかないかもしれない。それはいい。そうしようか。
    そう考え、江澄はとりあえず衣を替えようと帯に手をかける。香を塗った指先が帯の表面を滑るのと酔いが相まって上手くいかない。何故出来ないのか茫洋と手元を見つめていると、紫電が鮮烈に光る。しまった、紫電を阿凌に渡さねば。
    どうしてこんな大事なことを忘れていたのかと江澄は己に腹が立ち、机の上やら飾り台やら周りのもの洗いざらいを床になぎ落としていく。刺々しい美貌も、気性の荒い性格も母から受け継いだものだった。一度激昂すると手が付けられないと己でも自覚していたから、室内には少しでも音を防ぐよう結界を常に貼ってあった。今回も、日常の中でままあることだから家僕は気にもとめていないか気づいていない。しかし、江澄の頭からはすっぱりと抜けていたが今宵は客室に沢蕪君を泊めていた。
    微かな旋律すら聞き分ける藍氏の男が騒々しい物音に気が付かぬ訳もなく。扉の向こうで人影が蝋燭に照らされてふわりと揺れた。
    「​───江宗主?夜分遅くにすまないね。ただ、何やら物音がしたものだから何事かと」
    ああ、天命だ。今日はやはり死ぬのに良い日だ。これで紫電も金凌に違いなく渡せる。江澄はとにかく嬉しくて柄にもなく踊り出しそうな気分になった。
    「沢蕪君!」
    江澄は肌蹴たままの衣をそのままに扉に手を掛けたが、摺った裾を踏んで体勢を崩す。藍曦臣は暗がりの中飛び出してきた江澄を危なげなく抱きとめる。
    「おっと。この部屋は……何があったんだい?」
    藍曦臣は鼻につく蓮の香りと散乱した部屋の様子を見て思惑顔だ。返答も動きもないままの江澄の首筋からは儀礼で使われると記憶している、高価で希少な恍惚とするほどの花の香りが匂い立っている。
    「江宗主?」
    藍曦臣がもう一度声を掛けると江澄は漸く藍曦臣に押し付けていた顔を上げ華やぐような笑みを見せた。
    「貴方は本当にいい所にきた。ちょっとお手をお貸し願えませんか」
    「それは構わないけれど、」
    江澄は藍曦臣の手を取って、割れた酒瓶を迂回しながら皺の付いてしまった衣まで案内した。
    「これを、着たいのです。ただ、お恥ずかしながら帯が解けなくて」
    江澄は分かるでしょう、とでも言いたげにふるふる揺れる手を藍曦臣の眼前に差し出す。
    「こんな夜更けに何処か出掛けるの?」
    「えぇ、ええ!」
    江澄はよく聞いてくれましたと言わんばかりに大きく頷いた。酒乱で身振りも声も大きい。気付かれぬよう、──例え眉を顰める藍曦臣を認めたところで狂った江澄がそれについて何かを思うことは無かった─が藍曦臣は密かに怪訝な顔をした。
    「蓮花湖に行こうと思うのです。今日の月は美しいでしょう、月光に照らされた湖の眺めはさぞ耽美と思いませぬか」
    「はぁ、」
    蓮花は花の咲く気配を見せず、未だ殺風景だったけれど。藍曦臣は納得もつかないがここの主が自信満々にしているから、見慣れた筈の地を敢えて夜分に見に行く事への疑問も心にしまった。
    「では、私も同伴させて頂こうかな」
    藍曦臣は常と違う様子の江澄をこのまま見捨てても置けず、眉を下げ薄く笑った。江澄としてはこれからの行為に沢蕪君がいると大変に邪魔だったが、目上の誘いを断れる訳もなく頷く。常の就寝時間を大いに超えているからか、沢蕪君の瞳が闇がかっていて警戒心が解けたという理由もあった。幼子のように帯を藍曦臣が締めると、江澄は意気揚々と歩き出す。
    「幾度も申し訳ないが、もう一つ頼まれて頂きたい。この、紫電を金凌に渡してほしい」
    「金宗主に?確かに明日は金鱗台へ赴く予定だけれど、そんな大切なもの預かれない。己で渡されては?」
    「……少々、野暮用があってこの地を離れられないのです。お願いします」
     問答を繰り返すうちに、あっという間に蓮花湖に辿り着く。指輪を外した江澄が藍曦臣の掌に強引に紫電をねじ込む。藍曦臣は驚き紫電を返そうと差し出しても江澄が一向に手をださないものだから、諦めて胸元にしまった。
     
     蓮花湖は月が隠れ鬱蒼とした雰囲気を醸し出している。光がないことも相まって薄気味悪さを感じ藍曦臣は眉を顰める。対照的に一等薄着の江澄は鼻を赤くしながらもにこにこと笑った。確かに盛りでないこの季節柄蓮花は見えないが、一寸先も見通せないほどに遥か続く湖は江澄にとって幻想的に映った。
    「ほら、美しいでしょう。私の雲夢は」
    「ええ。次は是非もう少し陽の明るい時にお目にかかりたいものだね」
    「次……」
     江澄は賛同を得た嬉しさよりも藍曦臣の言葉を心底疑問に思い鸚鵡返しする。次、次というのは一体いつのことであろうか。藍宗主を案内するためにあるかも分からぬ機会まで自分は生きていないといけないだろうか。いや、別に誰が案内してもよいだろう。そう結論付けると、江澄は水面に己の顔を映すように身体を屈めた。
     月光の届かない湖面は何も映さず、時折吹く風が表面を滑る音だけが聞こえる。江澄が冷えた水を両手で掬うと、咎めるように藍曦臣が江澄の手首を掌で抑える。江澄は特段反抗もしないまま、そのささやかな力に従って水を元に戻せば、藍曦臣が濡れた手を見て手拭いを差し出した。藍曦臣は呆然として動かない江澄に焦れ、手の腹を上にして引き寄せて指の股まで丁寧に布を宛がう。江澄の美麗な爪先がその衣と同じ色に染まっているのを一瞥すると、藍曦臣は江澄よりもほんの少しばかり大きい掌で包み込んだ。
    「風邪を引くよ」
    「……どうも?」
     江澄は上がっているとも下がっているともいえない口角のまま、首を微かに傾ける。穏やかに微笑む藍曦臣を無感情に眺めていれば、江澄は尋ねたいことを思い出して弾けるように問う。
    「あいつらは、婚姻するのですか」
    「忘机と魏公子のこと?私も詳しくは知らないけど、叔父上を説き伏せられ次第公にすると思うよ。まぁ、彼ら二人には許諾や祝福なんて必要ないだろうけれど」
    「はぁ、なるほど。そう…………」
     藍曦臣が顎に指を沿わせ、淡々と呟くのを靜に聞いていた江澄はその言葉を聞くと大きく首を縦に振った。口から大きく息を漏らした江澄の様子を心配と捉えた藍曦臣が、江澄の薄い衣が緩く輪郭を拾う肩に手を置く。
    「そんなに気に留めなくても。契りを交わすことになれば江宗主、君の元にも知らせが届くだろう」
    「そう、ですか」
     江澄はそういうものかと、咀嚼の足りない蓮の実を無理やり飲み込むかの如く呟いた。沢蕪君の優秀な頭脳から見れば己と魏無羨は日常のことを伝え合い、祝福し合う関係のように見えるのか。
    「それより江宗主、そろそろ部屋に戻ろう。体が冷えてしまうよ」
    「では、沢蕪君が先に。私はもう少し月が顔を見せるのを待つことにいたします」
    「そう……?では、おやすみ」
    「えぇ、よき夢を」
     優美に頭を下げる藍曦臣に江澄は堅い拱手を返す。いつもなら深い眠りについている筈の沢蕪君の体は知れず無防備で、江澄は慈愛のまま微笑んだ。これで、漸く望みが果たせる。江澄は足音一つ立てず雅致に去る藍曦臣の背を視界の限り追った。
     そうして、手にしていた三毒の鞘を確乎握りしめると水飛沫の一粒も騒ぐことなく入水した。蓮根が実をつけるほどに水位の深い湖では、足が水を切るばかりだ。江澄は沈まないよう絶えず足の裏で水泥を蹴り上げると、美しい鈍色の刃を手首に当てた。その行動に躊躇いも後悔も微塵もなく、あるのはただ亡失の安堵だけだった。
     幾度となく邪崇を斬り倒してきた三毒は、今回もきちんと命を果たしてすっぱりと皮膚を裂いた。違和感すら感じないほどで、手首から垂れる血の色さえも見えないものだから、江澄は湖面から左手手首を出し空気に晒す。大粒の雫がぽつぽつと床に落ちる微かな音を聞き流していると突如寒さを感じた。
     あふれて手首を伝うぬめついた感覚に身を任せていると、穏やかすぎるその量に失態を感じた。しまった。動脈は縦に流れているのだから、生温く横に切ってはいつまでも仙力が浅傷を癒してしまう。しかし気づいた時にはもう遅い。幾ら喉頸に刃を当て引いても酔いと失血で手が震えて上手く動脈を切れなくなってしまった。薄い皮膚に横の切れ込みが微かに入るだけで鮮やかな痛みが江澄を襲う。かつて人だったモノを斬るのには慣れているのに、たかが己の少しを傷つけるのがこんなにも上手くいかないとは。江澄は怒りを通り越した自嘲に鼻奥がつんとした。本当に、この男は何をやらしても上手くいかぬ。折角今日は絶好の旅立ちの日だったのに。
     江澄が物音ひとつ立てず絶望の淵をなぞっていると、背後から水の踊る音がした。
    「江、宗主?」
     訝し気な声を受け江澄は弾けるように顔を上げ振り向く。突然の血の巡りに酩酊がしたがそれよりも悦びが強く、目を見開き口は大きく縦に開いた。やはり今日死ぬのは天命だ!
    「沢蕪君!いい所に!お願いがあります。再三申し訳ないのですが少々お付き合い下さい。なに、最期ですから。ここを綺麗に切って欲しいんです。ねぇ、簡単でしょう。お時間は取らせませんから。さぁ、さぁ!」
     江澄は喉仏を晒すように頭を仰け反らせる。白皙の首筋は顔を出した月に照らされ、一輪の百合のように藍曦臣らの瞳には映った。焦燥のまま慌てて湖に飛び込めば、藍曦臣のぬるい手を江澄が冷えた指先で手繰り寄せる。そこには殆ど力が込められていなかったが、導かれるように藍曦臣はその手首を掴んだ。
     そうして、空気に触れ皮膚にぺたりと張り付くその表面を、己の掌で拭い取ってしまう。暗がりの中見透かすように眼前に掲げ、顔を綻ばせる。
    「手放してしまうその命なら、私に頂戴?悪いようにはしないから」
     藍曦臣は空気が和らぐような慎ましく、可憐で冷徹に、有無を言わさない鉄壁の笑顔を浮かべて江澄の手から抜き身の三毒を奪った。咲きたての花から仄かに香るような、無防備に心の縁を撫でられるような感覚に江澄は眉を顰める。それでも互いに衣を水に浸しながら体温を分け合う行為はどこか安穏としていて、包まれた身躯のその肩鎖骨あたりに頬を寄せる。
     美しい満月の夜。己を罷る姿は残忍なほど綺麗で、隠してしまおうと思った。




    ***





    鬱鬱としていた沢蕪君を久方ぶりに外で見かけ、魏無羨は思わず足を止める。ほほ笑みを浮かべて風に当たる藍曦臣の表情は朗らかだ。
    「ご機嫌じゃないですか。何かいい事でも?」
    「少しね、」
    藍曦臣の煌めく瞳とは対照的に何時までも閉ざされた唇に、この人から語られる物はないと判断する。魏無羨は続きの会話を諦め軽く拱手をして、その先の小川を跳ねる。
    そしてはて、すれ違った時にはらりと香ったものにどうにも覚えがあった。この鼻で感じたことは無いが記憶に一番残るのは嗅覚らしい。確かに、江家に伝わる香だった。蓮花塢に遺された江氏は一人だけ。この匂いを今纏っているのはかつての師弟のみのはずだ。

    「ふふっ、ここは私の一等気に入りの場所なんだ。貴方もここが好きになってくれると良いのだけど」
    からから笑う声を聞いて魏無羨の体が反射的に振り向く。相手が居たならば内に籠っていた沢蕪君が元気になって良かったなと思うのだけど、明らかに彼は独りだった。いや、よく見れば手元に肘上から手先程の大きさの正方形を携えている。人の頭がすっぽりと入りそうだ。先程は隠していたのだろうか。
    屈託なく笑う沢蕪君と蓮の芳しさ。薄ら寒いものを感じて魏無羨は眉を顰める。
    探ろうにも、風向きが変わってしまい沢蕪君の言葉はもう聞こえない。それでもその口元をよくよく観察すれば、口角がぱっと上がり、微かに窄められて響きを飲み込むように閉じ込められる。考え過ぎのようにも思えるが、確かに“阿澄”と呼んだような。 そんな折り、雲深不知処に似つかわしくない布擦れと駆ける足音が響いた。砂利が靴に当たり弾ける音と水飛沫が飛ぶ。
    その慌てた様子に何事かと再び沢蕪君の元に近寄る。息を切らした藍思追が気遣わしげに魏無羨を見て、それでも高位の藍曦臣に向き合って言った。
    「江宗主が、亡くなったそうです」
    「なんと。それは金宗主から?」
    「はい………どうにも混乱していて、でも真実のようです」
    「彼も不安だろう。景儀も連れて暫く共にいてやりなさい」
    藍曦臣がさして驚いてもいないように、家規を諳んじるように当たり前のことを伝えられたように平常に思えたのは、魏無羨の思い過ごしか。
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    今日は本当にいい日だ。

    江澄は戴冠式を終え、立派な宗主然としている金凌を見て小さく息を漏らした。小生意気な甥の落ち着いた言動への感動も成長の早さへの嘆きも含まれたものだった。江澄は大きく息を吸っていると、金凌がこちらに向かってくる。
    「江宗主、今日はお越しいただきましてありがとうございました」
    金凌が丁寧に拱手をする。周りの目がある時は血縁であると忘れろ、と何度言っても叔父上、叔父上ときゃんきゃん吠えていた姿が嘘のようだった。それでも、よく出来たでしょ、と言わんばかりに緩む金凌の口元を認めて江澄は薄く笑った。
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      金凌は確かによく頑張ったと思う。金光瑤の一件を経て、財と力のある金家を引きずり落とす理由を漸く見つけた他家の横槍は酷いものだった。助言すら許さなかった金光善の時代を思えば 7443

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    「晩吟……」
    「あなたは怪我人なんだぞ、勝手に動くな」
     かくいう江澄もまだ左手を吊ったままだ。負傷した者は他にもいたが、大怪我を負ったのは藍曦臣と江澄だけである。
     魏無羨と藍忘機は、二人を宿の二階から動かさないことを決めた。各世家の総意でもある。
     今も、江澄がただ水を取りに行っただけで、早く戻れと追い立てられた。
    「とりあえず、水を」
     藍曦臣の手が江澄の腕をつかんだ。なにごとかと振り返ると、藍曦臣は涙を浮かべていた。
    「ど、どうした」
    「怪我はありませんでしたか」
    「見ての通りだ。もう左腕も痛みはない」
     江澄は呆れた。どう見ても藍曦臣のほうがひどい怪我だというのに、真っ先に尋ねることがそれか。
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    「んんっ」
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     江澄が身をすくませても、衣を引っ張っても、彼はやめようとはしない。
     そのうちに舌は首筋を下りて、鎖骨に至る。
     江澄は「待ってくれ」の一言が言えずに歯を食いしばった。
     止めれば止まってくれるだろう。しかし、二度目だ。落胆させるに決まっている。しかし、止めなければ胸を開かれる。そうしたら傷が明らかになる。
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     行儀は悪いが誰かが見ているわけではない。
     牀榻の支柱に頭を預けて耳をすませば、藍曦臣の気配を感じ取れた。
     明日別れれば、清談会が終わるまで会うことは叶わないだろう。藍宗主は多忙を極めるだろうし、そこまでとはいかずとも江宗主としての自分も、常よりは忙しくなる。
     江澄は己の肩を両手で抱きしめた。
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     幸い雲夢は遠く、猾猿の災禍は及んでいない。一方、姑蘇の地は大荒れで、例年並みに戻った気候が、さらに作物の育成に悪影響を与えている。
     江澄は江宗主として、藍宗主に見舞いを出した。小麦や稗も大量に送ってある。
     その礼状とともに、藍曦臣から江澄宛の文が届いた。怪我の様子をうかがい、健康を祈る文面には一言も会いたいとは書いていなかった。同様に、藍曦臣自身の怪我についても触れていない。
     江澄は即座に返事をしたためた。
     三日後に見舞いに行く、と。
    「もう痛みはありません。ご心配をおかけしました」
     寒室に通されると、藍曦臣はてきぱきと茶を用意した。「いらないから大人しくしていろ」という江澄の苛立ちには、笑顔で「まあまあ」と返されただけだ。
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