紅(ヒカテメ)森の中で魔物の群に襲われて仲間たちと分断された。
襲い掛かる魔物にテメノスは素早く詠唱し、あたり一面に光が満ちて魔物が霧散していく。
「終わりましたね」
ふぅ、とひとつ息を吐いてテメノスは傍の木にもたれかかる。
思ったよりも深追いしていたようであたりに他の仲間たちの姿はない。まだ戦闘をしているようなら加勢に向かうほうがよいだろう。
元来た道を戻ろうとテメノスが、歩き出そうとしたところで暗い森の向こうから音がする。テメノスは、じっと耳をそばだてる。魔物の気配ではない。足音……人のものだ。鉄臭い、いや、これは血の匂いだ。人数はひとりだろう。
「ヒカリ」
テメノスが様子を伺っていると、茂みの向こうから現れたのは見知った姿であった。ヒカリは血でしとどとなった剣を鞘には納めずにそのまま持ち、歩いた後には赤黒い雫がぽたぽた落ちている。
自分より先に魔物を追っていったのはヒカリで相当な数を相手にしたようだ。
「無事でしたか。怪我はありませんか? ……ヒカリ?」
ヒカリ自身の顔にも血がこびりついていた。服は赤いので分かりにくいが血に塗れている。呼びかけても返事はない。荒い息だけが聞こえる。返り血だと思っていたがまさか、怪我をしているのだろうか。テメノスはヒカリに慌てて近づく。
ヒカリは持っていた剣を振り、血を振り払ってそのまま鞘に剣を納める。
近づいたテメノスはヒカリにいきなり胸倉をつかまれて、引き寄せられる。
「……っ!」
突然のことで、手にしていた杖は大きな音を立てて地面へと落ちた。
「…寄越せ」
どん、と引きずり込まれて、そのまま木に背中を押し付けられる。顔を上げれば、こちらを見るヒカリの視線に捕らえられる。
渇望の色が濃い、赤く燃えるような瞳が暗い色を伴いながらテメノスを見つめる。血で赤く染まる顔に表情はなかった。
怖いとさえ、思った。こんな彼を、ヒカリを私は知らない。
血に塗れたヒカリの唇が弧をゆっくりと描く。唇が少し開いて、白い歯と赤い舌がちらりと見えた。
「…んっ」
喰らわれる。噛みつくような勢いで。唇と唇が合わさる。
息が求めて少し口を開けばそこからぬるりとした舌が侵入してくる。
「ふっ、んんっ」
鼻から抜けるような声が漏れる。唇が、舌が口内を蹂躙していく。熱くて、むせ返るような鉄の味と匂いで酷く苦い。
「…ぐっ」
せめてもの抵抗と、ヒカリの唇に歯を立てる。それでも彼は止めることなくぬるりとした血の味がさらに広がっていくだけだった。
終わりも唐突なものだった。思いっきり突き飛ばされる。
身体を再度、木に押し付けられた背中が痛い。
「似合わねぇな」
吐き捨てるような言葉と共にヒカリは血が出た自身の唇をなぞった後にテメノスの唇に手を伸ばす。しかし、触れる前に彼は手を下ろされた。
「くそっ」
忌々し気につぶやかれた言葉は誰に対してだったのか。頭を押さえ、荒い息を何度も繰り返した後、ヒカリは静かにテメノスに詫びる。
「…すまない。気が昂っていた」
さっきまでの熱はどこに行ったのか。ヒカリは親指でそっと、テメノスの唇に優しく触れる。真っ黒な瞳には、ヒカリの唇の紅が移ったテメノスの姿があった。
きっと似合ってはいないのだろう。