2025-04-18
「アナベル様が雇った傭兵の中に、なんかすごくきれいな人いない?」
「いた。明るい色の髪した人でしょ」
市庁舎ですれ違った役人がそんなことを言っているのが聞こえた。思わず振り返っても、彼女たちはこちらに気づきもせずに噂話をしながら歩いていく。呼び止める理由もなく、ビクトールは頭をかきながら連れが待つ入口ホールへ向かう事にした。
アナベルに傭兵を取りまとめてくれと言われてひと月程。渋ってはいたが、一度動き出せば早いものだ。報酬が決まり、仕事内容が詰められ、居つくべき場所が定まる。ミューズの酒場でいつまでも日雇いのような仕事をし続ける日々は終わりだ。
数日後にはミューズを発つ。あとここでやるべきは少々の書類仕事ぐらい。その少々も、ざっくりと目を通してフリックに押し付けた。アナベルに挨拶をしている間に読んでくれているだろう。
全面的に甘えている事を自覚しつつも、それが許されていることが嬉しいのだから世話がないというものだ。
入口ホールには待合のための椅子がいくらか用意されている。フリックはそこの隅に腰掛けて渡した書類をめくっていた。細長い手足を折りたたむような姿勢は行儀がいいとは言えないが、そこにしっかりと馴染んでいてなんの違和感もない。
あの役人の女性たちも、多分ここにその綺麗な人間がいることに気づかないんじゃないだろうか。
声をかけることは簡単だったが、ビクトールはなんとなく少し離れた場所に腰をかけた。フリックの横顔が良く見える、だが視界には入らない場所だ。
付き合いだけならそろそろ7年近くになるが、こうしてまじまじと観察するのは珍しい。
集中しているのか、少し突き出した薄い唇。きれいに切りそろえられた爪を唇に押し当てているのがすこしばかり子供っぽい。
日に透ける淡い色のまつげが時折上下する。そのたび、頬に落ちた影も一緒に動いた。夜の女たちと違ってわざわざ伸ばすこともないはずなのに、頬に影を落とす程長いまつげと、それに彩られた深い青色の目。
女子供に好かれそうな柔らかな面差しではある。そこにいるだけで目を引く人間だ。だがこいつの価値はそれだけではない。
麗しい見目だけで判断されては堪らない。ビクトールが死地から盗んだ人間はそんなものではないのだ。
思わず口角が上がった。フリックが読んでいた書類を折りたたむ。
「人の顔をじろじろ見るな。失礼だぞ」
「いやあ、お前の顔褒めてるやつがいてよ」
フリックが立ち上がるのに合わせて、ビクトールも歩き出す事にした。わずかに開いた距離を追いつかれ、同時に書類も押し付けられる。
「お前もちゃんと読んでどけよ」
「おうおう、分かってるって」
訝し気に眉を寄せても、その相貌の整っている事と言ったら。あの役人の女性たちはこんな顔しらないだろう。
そう思うと笑みが深くなった。不満気に突き出された唇に触れたくて堪らなくなる。
「なんだよ」
市庁舎を出て、目抜き通りを歩いていく。もう歩調をわざわざ合わせる必要もない。
「きれいな顔してるって言われてたから、あらためて観察しとくかなって思ってよ」
呆れた顔が少し手を伸ばせば届くところにある。ここが往来でなければ、頬にぐらい触れていた。
「見飽きてるだろ、なにを今更」
「意外とそうでもねえなあって」
意味が分からぬ、と首を傾げるフリックの呆れながらも柔らかな表情に、ビクトールはまた相好をくずすのだ。