2025-05-09
「見ろビクトール」
横合いから差し出された手にはあわい緑色の玉が握られている。窓から差し込む日差しを反射して、茶色い毛におおわれた掌の中がきらきらと七色に光っていた。
何が書いてあるのかを必死に読み解いている書類にも、その光はゆらゆら落ちている。赤、青、緑。光を分解しているのだと誰かが言っていた。
「なんだこりゃ」
「光る玉だ。サウスウィンドウの交易所にフリックと行ってな」
ああ。数日前からフリックが城を離れているのはそんな理由だったはずだ。ノースウィンドウとサウスウィンドウをつなぐ補給路の構築の一環として、サウスウィンドウの商人ギルドへの交渉に出向く軍師の護衛だ。
ゲンゲンも連れて行ったのは、ギルドの有力者にコボルトが一人いるから。とかそんな理由だったはず。当の本人は、出自を利用されたことなど露知らず、ご機嫌で笑っている。
「綺麗だろう? ゲンゲンの宝物だ」
「買ってもらったのか」
「違うぞ。ゲンゲンは誇り高い戦士だ。施しは受けない」
だから、とゲンゲンは続けた。握りしめたもう片方の手をビクトールに差し出してくる。
「光る玉は交易所に二個出ていてな。緑色のがゲンゲンの宝物だ」
ふわふわの手から渡されたのは、青い色をした小さなガラス玉だ。同じように光が屈折し、青い色がきらきらと揺れ、掌の中に光が満ちた。
「お土産だ。ビクトールは最近元気がないからな」
はっきりと言われ、ビクトールは苦笑する。ゲンゲンにまで言われるようでは世話はない話だ。いつまでもすねたような顔をしていないで、やるべきことをやらねばならない。今は一旦忘れるべきだ。今の自分にはありがたい事にそれが出来る。
掌の中でガラスを転がせば、赤や黄色が漏れてくる。それでも青色が美しい。
「ありがとな」
「どういたしまして。窓辺につるしたりしてもいいぞ。いろんな色が部屋に広がってとっても綺麗だ」
ゲンゲンが生まれた村ではみんなそうやっていた。
コボルトの居住地は深い森に囲まれていて、日の光が当たらない。木の葉の間から漏れる光はとても貴重で、それらを部屋に満たすためにこういうものが必要なのだろう。大事そうにガラス球を掲げている姿を見ていると、たんに光るものが好きなだけのようにも見えるが。
砦にあったゲンゲンの寝床の周りにもいろいろと下げてあったことを思い出し、ビクトールは改めて土産のガラス球を光にすかした。青い色が光を曲げ、様々な色を部屋に広げていく。
「気に入ったか」
目を細めたビクトールに、ゲンゲンは勢い込んで言った。
「ああ、綺麗だな」
「フリックの目の色みたいだな、と思ったからな。これで安心だなビクトール」
思いも寄らぬことを言われ、どう反応すべきか思わず迷っている間に、ゲンゲンはくるりと踵を返した。本当にこれを渡すためだけに来たらしい。
「おい、ゲンゲン」
「フリックも帰ってきてるぞ。なんだか忙しそうだったが」
そりゃあ忙しいだろう。落ち着いて話が出来たのなんてどれぐらい前か分からない。元気出せビクトール。とゲンゲンこそ元気に叫んで、そのまま駆けていく。呼び止める事はできず、また呼び止める理由も思いつかず、ビクトールは上げかけていた腰を元のようにおろした。
書類の上にガラス球を転がせば、青い色が柔らかく紙の上に広がっていく。フリックの目の色などわざわざ気にした事もないが、青い光を見ているとなんとも心地よいような、むず痒いような気持ちを抑え切れない。
深く息をつき、光る玉を脇に置いた。さっさと仕事を終わらせよう。終わったら、帰ってきているらしいフリックを探しに行くのだ。