2025-05-17
剣の腕は聞いていたし、実際自分の目で見てみてもその噂よりも使えるなという印象はあった。ただ年齢や外見に似合わない実力に自信過剰なのもまた事実で、それが鼻に着くというのはある。
ありはする。だけどこれは多分、もう少し単純な感情だ。
解放軍とかいうお尋ね者だって、別にいつだって地下でこそこそ隠れているわけではない。レナンカンプは大きな町だ。市が幾つも立って、酒場の数も大きいのから小さいのまでより取り見取り。それらを楽しむ人間すべてに目を光らせるなんて、帝国にだって出来るもんじゃない。
食事と酒はゆっくりと楽しめる。つまり、いくらでもからかい様があるという事だ。
隣に座っていたハンフリーが退いた隙にフリックの隣に腰をおろす。向かいでこんな場末の酒場でさえ品の良さを保ったままのオデッサがにこりと微笑んでくれるが、隣の奴は残念なことに、当然至極嫌な顔をした。少しも隠さないその感情に、ちょっと心配が優るぐらいだ。
「フリック、そんな怖い顔しないのよ」
「ハンフリーはすぐに戻ってくるんだから、さっさと退けよ」
「いいじゃねえか、まだ席は空いてんだしさ」
持ってきた自分のフォークで空いた席をさせば、フリックはそれ以上突っ込んでは来ずに子供っぽく口を尖らせる。自分が20だかの頃はどんなだったかな、と思い出そうとしてやめた。
卓にはまだ料理が山ほど積まれている。オデッサはまだ食欲が戻り切っていない様子だし、ハンフリーもばかすか食べる方ではない。じゃあフリックと二人で片づけなければならないだろう。
「これうまかったぞ」
「どれ?」
手のつけられていない川魚のフリットを大皿から取り分けてやれば、とたんにちょっと嬉しそうに声を出した。それだけで花でも咲いたみたいになるんだから、いつも愛想よくしてれば良いのに。
「ちょっと辛い」
「衣になんかスパイス入ってるんだろ。ビールで流し込めよ」
半分ぐらい残っていたフリックのグラスを少し近づければ素直にそのままグラスを傾ける。
「うまいか」
「うまい。お前の手柄じゃねえだろ」
「こっちも食え」
「どれ」
お前らが食ってねえものを食わせてんだから俺の手柄だろう。
もりもり食わせて、こっちももりもり食べて、ハンフリーが戻ってきたけど席を譲る気はなくて、そしたら適当にオデッサの横に無言で座った。酒だけを注文する大男の皿にもフリックが自分がうまいと思ったらしきものをメインで乗せている。オデッサにも食えそうなものを渡しているのがかわいいじゃねえか。
しばらく食わせていると、いい加減腹が膨れたんだろう。箸の進みが遅くなってくる。俺のほうはまだ食えたからほいほい残りを口に放り込んでいると、呆れと羨望と若干の苛立ちが混ざったような文句が横から飛んできた。
「お前ぐらい食えたらさ」
腕とか体とか、酔いの回った少しばかり座った目で眺め回されている。じゃあ俺も、と思ってじろじろと眺めれば、嫌そうに椅子を蹴られた。はぁ、不平等な奴だ。
「もっとでかくなれるのかなって」
ハンフリーが向かいで一瞬喉を詰まらせた。
「じゃあもっと食うか?」
「いらねえ。腹いっぱいだし」
別に意識してよく食ってよく寝てたらこうなったわけじゃねえから、体質じゃねえの。そんなことはフリックだって百も承知だろうし、実際必要十分なぐらい強いんだからいいじゃねえか。
まあでかくて重いってのは強さに直結する要素ではある。それが欠けているんだからこの自信過剰なクソガキのコンプレックスにもなろうってもんだな。服から伸びる腕とか首とかもう少し育つのかもしれねえけど、そもそもの骨が細そうだもんな。
オデッサが酒に頬を染めながら、なんだか楽し気に笑い声を立てた。それにフリックが注意を向ける。
肩に腕を回して引き寄せた。考えていたよりも倍は軽くて細い印象の体が簡単に腕の中に収まる事に、こっちの心臓が跳ねる。ガキじゃねえかまだ。
「あらあら、大丈夫?」
オデッサが一番最初に笑みを含んで言った。フリックはと言えば、あんまりの事に言葉も出ないようで、なんだか大人しい。じゃあまあ、それで良いか。服の上からペタペタ腹から胸から肩まで撫でまわせば、本当に細っこい。ちゃんと鍛えられてるのは分かるけれど、なんというか俺とは厚みが違う。質が違うと言ってもよくて、なんかだんだんと本格的に心配になってきた。
感情は豊かでガキのまんまで、体のほうまでまだ出来上がってない人間がこんなところにいていいもんか。
目を瞬かせていたフリックが、正気に戻ったのに気づくのが一瞬遅れた。やめろ、という怒鳴り声が耳をつんざいたのと鼻のあたりを強打した衝撃が脳に到達したのがほぼ同時。
俺に抱き寄せられたフリックが、寸分の躊躇いもなく頭を俺の鼻にぶつけて来たのだ。目の前に星が飛んで、手の力が不本意にも緩む。それだけでフリックには十分だ。俺の腕から逃げ出しただけでは飽き足らず、ハンフリーを盾にして喚いた。
「何すんだデブ!」
「お前こそなにすんだよ!」
鼻血が出なかったのだけが幸いだ。衝撃で頭がくらくらする。やりすぎた、という自覚がないではないが、ここまでされる謂れはない。
オデッサが楽しそうに笑っている。盾にされたハンフリーが、肩に置かれたフリックの手を宥めるように叩くのが、少々気に入らなかった。