2025-06-24
レナンカンプのアジトだ。オデッサのほかにも数人いるが、名前はちょっと思い出せない。あの時に死んだのかもしれない。なんだか妙に動きづらいから、これは夢だと気づいた。長い髪を揺らして、オデッサがこちらを見る。
なんだか妙に不機嫌そうにその柔らかな唇を尖らせて、こちらに向かってくる。化粧気のない、それでも華やかな容貌が下からずいとのぞき込んでくる。
「言ったわよね、ビクトール」
皆に対する、優しくて柔らかくて力強いそれではなくて、年相応の娘の声だ。好きなものがあって、それを独り占めしたいと願う子供の声。
「あの子は私のものなの。ずっと、ずっとそうなの」
そんなこと、生前のオデッサに言われたことはない。
夢であり、幻覚であり、俺が勝手に思っている事だ。でもオデッサがフリックの事を大事に思っていたのは本当。フリックからのまっすぐな愛情を受け取って、どれだけ嬉しそうに笑ったか。
フリックはあの女のものだ。いつまでだって。今だってそう。
目を開けた。眠る前と何も変わらぬ一人きりの自室だ。何とか兵舎が完成して、二人部屋だった俺とフリックにそれぞれ個別に部屋が与えられたのは少し前。別に他に部屋を与えるべき奴はいるだろ、と二人して言ってはみたが、上の方の待遇が良くならないと下のほうまで行き届かないとかなんとか言われて半ば無理やり二人部屋を追い出された。どうせ寝るだけなんだから、本当にいらなかったのに。
もそもそと起き上がり、支度をする。外からは早朝訓練の声が響き渡っていた。ルカ・ブライトとの戦いが迫ってきているが、ここにいる奴らに悲壮感は薄い。自分たちならやれる、やりますよと市民兵は意気に燃えている。
そんな中で、俺ばかり変な夢を見ている。
ちょっと前、フリックに好きだと言った。キスがしたいとねだって、その許可をもらって、キスなんかしてね。ガキみたいな触れ合うだけの奴からで良いな、って思ってさ。
実際、フリックとキスするのは結構良かった。良かったというか、なんというか嬉しかったな。別に好きだな、とおもった奴とするなんて初めてでもないけど、やっぱりそれぞれ違ったものがある。
あいつの許しをもらっている、なんて免罪符があったのも良いんだと思う。だってあいつはオデッサが好きだし、それは未来永劫変わんない。その中で、今だけ、この瞬間だけ全部俺の事だけを考えてくれてると思うと、気分が悪くなろうはずもない。
いま、おまえとキスなんぞしてるのは俺なんだぜ、って。
独占欲と言うのかね。死人と競ったって、勝てるわけもねえのに。
さっきまで見ていた夢を思い出す。オデッサはあんなこと言わない。オデッサは言わずとも知っていたからだ。自分の存在が、フリックの人生を決定づけたという事実を、はっきりと、明確に自覚して、全部使いつくそうとしていた。フリックもそれでいいと思っていたし、彼女が生きていたらフリックはそばを離れようとはしなかっただろう。
こんなところで、俺と一緒になんかいないというわけだ。
そう思うと、なんだか腸が煮えくり返りそうだから、あんまり考えないことにしている。オデッサのことは好きだった。フリックがオデッサの事が好きなのを見るのは悪い気分じゃないかったし、彼女が死ななきゃそもそも俺はあいつをここまで連れてこようなんて思わなかっただろう。
ましてや、手に入れたいと願うなど。
顔を洗ってひげをあたり、随分と伸びてきた髪を適当に括った。そろそろ切りてえな。フリックのやつ、手が空いてる日があったりしねえかな。しねえか。俺だって暇じゃねえんだし。
オデッサね。
夢に見たからというわけでもなく、ずっと考えてはいる。フリックが愛した奴だ。あいつの、何もかもを手に入れてそのまま死んでしまった女。
ガキみたいなキスも、舌を絡めるようなやつも、きっと全部知っていて、じゃあほかに何があるんだって話でよ。
「……やめとこ」
朝っぱらから考えるような話でもなく、俺は無理やり思考をそこから逸らして自室の扉を開けた。
今日も今日とて仕事は山積みだ。騎兵がなにをしているか、お伺いを立てる暇だってきっとないに違いない。