次がないように、首輪のサイズを知りたい その日の仕事を終え、ス魔ホを見る。
……業後、魔インの通知が途絶えて一週間が経つ。
始まりは些細なことだったはずだ。
きっかけは、付き合って一年ほどになる彼女が研修生の教育係に任命されたことだった。
「アザミさんに教わったみたいに、私も頑張りますね」
「ああ」
念子の様にすり寄る彼女を撫で、送り出したのがひと月ほど前。
彼女は実技と座学の指導に熱心で、研修生からの評判も良かった。
魔関署に女悪魔は少ない。そのため、若いうちに教育係に選ばれたが、そのせいで研修生に頼られやすい。
――舐められやすいということだ。
研修後、教室に残り明日の準備をしていた彼女を迎えに行き、つい余計なことを言ってしまった。
「熱心なのはいいが、距離は保て」
「わかっています。でも頼られたら、応えたくなります」
「教官ならば、節度を持って接するべきだ」
そう言うと、彼女はわかりやすく不満げな表情を浮かべた。
「……自分は、研修生を自分の配下に引きいれた上に手を出したくせに」
「な、貴様が際限なく甘えるから、仕方なく」
「仕方なく、ですか」
言葉を誤ったと気付いたときには、彼女の目がつり上がっていた。
「いや、違う。牙隊に配属したのは、それだけの実力があったからだ」
「では、手を出したのは?」
「それは――」
「――仕方なく、ですか、そうですか。わかりました、もう結構です!」
彼女は一気にまくし立て、勢いよく立ち上がると教室を飛び出して行ってしまった。
あまりに速く、追いかけるのが間もなく立ち尽くす。
だが、一人教室に残されると、釈然としない。
……そんなに間違ったことを言ったか?
教官なのだから、研修生とは適切な距離を保つべきだと言っただけだ。
若い男悪魔に囲まれる彼女を見て、何も思わなかったわけではない。彼女だって囲まれてニコニコ浮かれていたではないか。
――考えるのをやめよう。
明日には彼女の気も収まるはずだ。
――それが、一週間前のことである。
彼女は牙隊所属だが、研修期間中は終日そちらの対応に追われる。。牙隊の執務室に来る必要がない。
研修が始まってからは、昼休みや業後に連絡を取っていた。だが、この一週間は音沙汰がない。
業後に様子を見に行くべきか。ス魔ホを手に取り、彼女とのやり取りを開く。
『もう結構です!』
あの低く響く声を思い出し、手が止まる。
――もう少し、様子を見るか。
「アミィくん、顔色酷いけど、どうした?」
書類を寄越してきたのはキマリスだ。
「どうもしない」
書類を受け取り、目を逸らす。
あれからひと月、連絡を取っていない。
なんだかんだタイミングを逃している。いや、言い訳だ。激しく拒絶され、気後れして顔を見に行けずにいる。
「知ってるはと思うけど」
「なんだ」
用事は済んだはずなのに立ち去らないキマリスを睨む。
「あの娘は本当に頑固だよ」
「……何の話だ」
「アミィくんが折れなければ、あの娘は自分からは甘えてこない。わかってるでだろう」
「……黙れ」
踵を返す。
知っている。そんなことは、とっくに。
だから、行けないのではないか。あれは頑固で、一度言い出したら聞かない。一度言ったことを、そう簡単に取り消すような女ではない。
『もう結構です!』
その言葉が覆らないのではないか。もうそれっきりになってしまうのではないか。そう考えると足がすくむ。また同じ言葉を浴びせられたら。今度こそ、決定的な一言葉を突きつけられたら。
「はあ……」
だからといって、このままでいいかといえば、そうではない。
まったく良くない。
このまま、ずるずると距離が開き、研修期間が終わっても、ただの上司と部下になってしまったら――私は。
気づけば手にした書類はしわくちゃになっていた。
キマリスの言葉に従うのは釈然としないが、だからといって放っておくわけにもいかない。あれをただの部下に戻す気なんて、さらさらない。
その日の業後、意を決めて研修中の教室に向かう。
扉を開けると、彼女がひとりで明日の準備をしていた。
「まだ残っていたのか?」
「……」
彼女は一瞬目が丸くしたが、すぐに口をへの字に結んだ。むっとした顔でこちらを睨んでいるが、怒っているというより、拗ねているだけだ。
たぶん、あの日も同じだったのだろう。頭に血を上らせて気づかなかっただけで。
「悪かった。言い過ぎた」
そう告げると、彼女はしばらく視線をさまよわせ、やがて下を向いた。
「……私も、怒りすぎました」
「隣に座ってもいいか?」
彼女が頷いたので、隣の椅子に腰を降ろす。机の上のノートにはびっしりと書き込まれている。
「仕方なく付き合っているわけじゃない」
「知ってます」
「仕方なく手を出したわけでもない」
「それも、知ってます」
彼女は口を尖らせて、そっぽを向く。顔が赤い。そういうところが、愛おしい。
「好きだから付き合っているし、愛おしいと思ったからこそ、手を出したんだ」
「もー! 知ってますから! いちいち全部言わなくていいです!」
彼女が両手で私の口を塞ぐ。その手に口付けると、また「もー!」と怒られた。
「ていうか! アザミさん、嫉妬するならもうちょっとわかりやすくしてくださいよ」
「……そんなつもりは」
ない。……いや、まったくないとは言い切れない……。
「私に八つ当たりする前に、ちゃんと牽制にくればいいじゃないですか。座学が終わったころに」
「……しかし、」
「はー、頑固ですね! 研修生に囲まれて、毎日帰るの大変なんですよ! だから迎えに来てください!」
「お前にだけは、頑固なんて言われたくない」
そう言うと、彼女はきょとんしたあと、まるで念子の様に擦り寄ってくる。頭を撫でると、頬を寄せてきた。
「……寂しかったです」
「ああ」
翌日の夕方。
座学が終えるのを待って教室へ入る。
入った途端、研修生たちの視線が集まる。その中で、彼女がパッと笑顔になり、駆け寄ってきた。
「アザミ様!」
「終わったか」
「はい! ちょうど今終わったところです。あ、研修生の子たちが、ちょっとわからないところがあるみたいで……。アザミ様、教えるの手伝ってもらってもいいですか?」
彼女がにこっと笑うので、頷いた。研修生たちに目を向けると、彼らは顔を見合わせ、
「も、もうちょっと自分で考えます!」「教科書、もう一回読んでみます!」「お、お先に失礼します!」
と、散っていった。
あまりにわかりやすくて、彼女は吹き出す。
「アザミさん、一緒に帰りましょうか」
「明日の準備は、いいのか」
「明日は、今日やったところの小テストをします。……帰りに、アザミさんの家に寄ってもいいですか?」
「最初から、そのつもりでいた」
だから、今日の仕事は早めに切り上げてある。
彼女の片付けが終わるのを待ち、魔関署を出た。
隣を歩く彼女の存在に、心の底から安堵する。
――もう二度と、あんな思いをしなくて済むように、首輪の一つでもかけたくなる。絡んだ指の細さを、そっと確かめた。