繁忙期の充電係 四月はとにかく忙しい。爪隊も牙隊もいつも慌ただしいけど、四月は群を抜いている。
新人や研修生の受け入れ、お役所的手続き、春に盛って暴れる魔獣や悪魔の制圧、要人警固任務の増加……。あたしはペーペーだから、言われた仕事を走り回ってこなすだけ。
でも、責任のある立場の悪魔は違う。
キマリス様の顔色は日に日に悪くなるし、アザミくんの眉間のシワもどんどん深くなる。
「アミィ大佐、お疲れ様です」
「……ああ」
たまに廊下ですれ違っても、アザミくんは険しい顔で軽く頷くだけで、早足で歩いて行っちゃう。
ここしばらく、アザミくんの家に行ってない。たぶん、あたしだけじゃなくてアザミくん自身も帰ってない。署内の仮眠室を使っているかどうかも怪しい。 シャワーは浴びてるみたい。たまに髪が濡れてるし。
とはいえ、あたしも最後に全休を取ったのがいつか覚えてない。
うーん。五月に入ればちょっとは楽になる……はず。いや、警備部から応援依頼が来るんだっけ……。
ある日の夕方、キマリス様に呼び出された。
「これ、アミィくんに渡してきて。そのまま上がっていいから、日報を書いてから行っておいで」
「イエッサー!」
渡されたのは、バビルスから来た研修生の資料。これを元に研修計画を立てるから、ちゃんとアザミくんに渡さなきゃ。
席に戻って日報を書いていたら、隣から話しかけられた。
「今さ、アミィ大佐めっちゃ機嫌悪いじゃん? 渡しに行くの嫌じゃない?」
「嫌じゃないです」
「えー、でも怖いじゃん。キマリス様に頼んで他のヒトに替えてもらいなよ」
「怖くないし、替えなくていいです」
書き終えた日報をキマリス様に出しに行く。
「はい、確認したよ。ついでにアミィくんも連れて帰ってくれない? 機嫌悪くて、苦情が来てるんだ」
「苦情ですか?」
聞き返すと、キマリス様が笑った。
「そ。フェンリル様から、『アミィくんが休まないと、他の隊員が休みづらい』ってね。だから、よろしく」
「ふふ、わかりました。その任務、引き受けます」
「あと、席替えしようか。うるさいでしょ」
「そうですか?」
「……本人が気にしないなら、いいけど。まあ、そのうち馬に蹴られるかもね」
「馬……?」
キマリス様に頭を下げて執務室を出る。
牙隊の執務室に入ると、手前の先輩が『なんとかしろ』って、ジェスチャーしてきた。視線の先には、機嫌が悪すぎて黒いオーラをまとっているアザミくん。
思わず吹き出して、頷いた。
「アミィ大佐」
「……お前か。何だ?」
「キマリス大佐から資料を預かって参りました。ご確認ください」
「ああ」
アザミくんが受け取って机に置くのを確認してから、盗聴防止魔術を発動する。
『もう一件、キマリス様より指示を受けています』
ゆっくり視線が上がる。にこっと微笑んで、アザミくんの目を見る。
『一緒に帰ろう、アザミくん』
『……は?』
『アザミくんを連れ帰って、寝かせるように頼まれてるの。帰ろう』
アザミくんの眉間にシワがよる。不満そうに口を開く。
『キマリスに、そのようなことを指示される謂れはない』
『うん。キマリス様に依頼したのはフェンリル様だそうです。牙隊隊員を休ませるためにも、まずは大佐がお手本をお願いします』
それに、と言葉を選ぶ。
『最近、アザミくんの家に行ってないから、お邪魔したいな?』
アザミくんの口は固く結ばれたまま。でも、すぐにため息をついた。
『キマリスに指示されたからでは、ない』
『うん』
『フェンリル様の依頼を受けるだけだ』
『うん。帰ろう』
アザミくんはさっと書類をまとめて、すぐ立ち上がると、残っていた隊員に指示を出して執務室を出た。
さっきの先輩が、笑顔でサムズアップして見送ってくれた。
更衣室の前で、アザミくんがふいに振り返った。
『私の大事な婚約者の頼みを聞いてやる』
『うん。ありがとう、アザミくん』
着替えてアザミくんの家に直行する。交代でシャワーを浴びて、ごはんも食べずにそのままベッドに転がった。
「お疲れ様、アザミくん」
「……お前も疲れているだろう」
「うん。疲れちゃったから、抱きしめて」
返事の代わりに、ぎゅっと抱きしめられた。だから、あたしも抱き返す。
温かくて、大きくて、すこし硬くて――大好き。
「アザミくん、キスして」
唇が重なる。前にしたときより、唇がカサカサしていて、ちょっと悲しい。触れた肌が少し乾いてて、指先がささくれてて――きっと本人も気づかない、あたしだけが気づくような、ちいさな荒み。
「アザミくん、起きたら一緒にお風呂はいろうね」
「ああ」
「今は寝よう」
あたしが、アザミくんをピカピカにしてあげる。
そっと、まぶたに口づける。
すぐに寝息が聞こえた。
「おやすみなさい、アザミくん」
腕の力が強くなる。それが嬉しくて、あたしも目を閉じた。
翌朝目を覚ますと、アザミくんはまだ眠っていた。眉間のシワは消えてて、あどけない顔がかわいい。
そっとキスした瞬間、頭を押さえられて唇を奪われた。舌が絡んで、牙がぶつかる。
息が足りなくなってクラクラしてきたころ、やっと解放された。
「……アザミくん、いつから起きてたの?」
アザミくんの目がうっすら開く。きれいな緑の光が、まっすぐこちらを射す。
「寝込みを襲われたときに起きた」
「お、襲ってないよ!! ……寝てるアザミくんがかわいすぎて、好きだなぁって思ったらキスしちゃった」
えへへと笑ったら、アザミくんは真顔になる。何も言わないから、擦り寄って、勝手に顔のあちこちに口づける。
「起きたのなら、ごはん食べようか。お腹すいちゃった」
満足したから、起き上がって声をかけた。でもアザミくんは起きてこない。
「私はまだ、満足していない」
腕を引かれる。
ベッドからは、まだ出られないらしい。